第8話 情報共有

 出発の朝。砦の厩舎は喧騒に満ちていた。

 若い従者たちが旅に必要な食糧や寝具、装備品などを運び込んでいる。彼らの表情がいつにも増して緊張してるのは、騎士たちが重要な任務でガラトの地に赴くことを聞かされているからである。


 一方で、騎士たちはいつもと変わらない様子で愛馬にブラシをかけたり、武器の手入れなどを行なっていた。彼らは歴戦の戦士である。どんな過酷な任務を課されようと、今さら緊張したりはしない。

 普段と異なることがあるとすれば、彼らが騎士の甲冑ではなく、鎖帷子の上に金属製の胸当てを身に着けるだけの軽装であることだろう。

 今回の旅はいかに素早く目的地にたどり着けるかが重要となる。可能な限り装備品を軽くし、馬の負担を軽減するための措置であった。


 騎士たちから少し離れた場所では、聖者一行もあてがわれた馬に荷物を積みこんでいた。

 彼らにも事前に金属製の胸当てを着用するよう、ラーズから通達が出されていた。

 なので、フィリスはいつもの神官衣ではなく、動きやすそうな服の上に胸当てという出で立ちである。

 アイラも聖騎士の甲冑の胴鎧部分だけを身に着けた軽装だが、これだけは譲れぬとばかりに、ロセヌの刻印が施された盾が馬の鞍にかけられてある。

 トーキルに至っては「魔術の邪魔になるので」と胸当ての着用を固辞し、いつものローブ姿のままであった。


 厩舎にやってきたのはラーズが一番最後だった。

 今回の任務では、一行が帰還するタイミングに合わせて、ハイマンが自ら兵を率いて東のボタモイ平原まで出迎えてくれる手筈になっている。その最終確認を行っていたせいで遅れたのだ。


 ラーズはさっそくフィリスに挨拶し、互いの随員を紹介し合おうと話を持ち掛けた。フィリスもそれに了承し、初めて七人が一堂に会す。

 が、雰囲気はとても友好的とは言い難かった。

 騎士たちからしてみれば、聖者一行はいきなり意味不明な任務を携えてやってきた傍迷惑な連中に他ならず、仲良くする理由などあるはずがない。特にウォーレンは不機嫌さを隠そうともしていなかった。


 ただ、オッシだけは例外だった。

 好奇心旺盛な彼は、聖者一行に物珍しげな視線を送っている。なかでもトーキルは昨日までと違ってフードを被っておらず、黒く爛れた顔が露わになっていることから、その容貌が気になって仕方がない様子だった。

 オッシの視線に気づいたトーキルが、愛想の良い笑みを浮かべながら「よろしくお願いします」と手を差し出した。

 オッシもそれに「こちらこそ」と笑顔で応じた。


 顔合わせを終えると、それぞれが再び準備に取り掛かる。

 ラーズは自分の愛馬に丹念にブラシをかけ、何度も首筋を撫でながら語り掛けた。

 馬との絆は、差し向けた愛情と、かけた手間の分だけ深くなる。馬の世話は従者に任せず、すべて自分たちで行う。それがハルディの騎士の流儀である。

 愛馬は己の使命を理解しているかのように興奮気味に鼻を鳴らし、力強く前足で宙を掻いた。


「ラーズ殿、よろしいでしょうか?」


 愛馬にニンジンを与えていると、聖者フィリスが話しかけてきた。


「なんでしょうか?」


「もしよろしければ、出発前にあなたがたが知っている怪物についての情報を共有していただきたいのですが」


「……失念しておりました。すぐに共有しましょう」


 フィリスの呼びかけで、アイラとトーキルもやってくる。

 ラーズは怪物について知りうる限りの情報を彼らに伝えていった。


 最初に説明したのは、今やガラトの地に多数生息している『メッサー』という名の怪物についてである。

 ラーズたちが初めて遭遇した頭に触手の生えた人型のバケモノがそれだ。名称については、例のガラト人の老人から提供された書物に記載されてあったものをそのまま使用していた。


 メッサーは黒い霧の中から現れ、人間を見つけては問答無用で襲い掛かってくる異形の怪物である。

 動きは素早く、力も人間を凌駕する。さらに高い再生能力を持っていて、剣で斬りつけた程度で死ぬことはなく、確実に殺すには頭を潰す必要があった。

 その反面、知能はさほど高くないようで、動きは単純で読みやすく、熟練の戦士であれば倒すことはさほど難しくない。実際、初遭遇以来、ラーズたちは幾度となくメッサーと戦い、勝利を収めていた。


「戦う上で知っておいてほしいのは、奴らは絶対にこちらの頭を狙ってこないということだ。理由はわからないが、狙ってくるのは主に胸か首筋だ」


「なるほど、それで鉄製の胸当てか……」


 アイラは得心がいったとばかりに呟いた。


「最も気を付けねばならないのは、口から吐き出す瘴気だ。非常に強い毒性があり、少し吸っただけでも吐き気や痺れなどの症状が出る。黒い霧と同様、大量に吸い込めば命にかかわるだろう」


「それは厄介ですねぇ」


 とトーキルが反応した。魔術師の性なのか、台詞とは裏腹に口調からは好奇心が漏れ出ている。


「それと、怪物どもは黒い霧の外に留まり続けることはないようだ。これも理由はわからない。ただ、これまで追跡したメッサーはどの個体も最後は必ず霧の中へ戻っている」


「ほう、それは実に興味深い。ただの習性なのか、それとも黒い霧がない場所では長時間活動できないのか……。いずれにしろ、怪物どもが黒い霧を広げていることと無関係ではないのでしょうねぇ」


「ただ、これについてはあまり鵜呑みにはしないでくれ。あくまでもこれまでがそうだったというだけで、黒い霧の外に居続けられる可能性は当然ある。正直なところ、奴らについてはわかっていないことの方が多いんだ」


 ラーズは苦虫を噛み潰したような顔で言った。

 三ヶ月という時間と、多くの同胞の命を犠牲にしたにもかかわらず、得られた情報はそれほど多くない。未だ黒い霧の中に足を踏み入れることさえ敵わないのが現状だった。


「そのメッサーと呼ばれる種以外にも怪物は存在するのでしょうか?」


 フィリスが手を上げて質問を口にした。


「います。獣のような見た目をした『ベスティア』と、翼を持つ飛行種『フーガ―』。いずれも形状や移動方法に違いがあるだけで、持っている特性はメッサーとほとんど変わりません。これらの種は、おそらく斥候のような役割を担っていると思われます。他にも、『イドナム』という人型種が存在すると書物には書かれてありましたが、現在のところ確認できていません」


「飛行する個体もいるのか……」とアイラが深刻そうな顔で呟く。


「数はさほど多くない。襲ってくるのは主にメッサーだ」


 ラーズがそう補足すると、今度はトーキルが手を上げた。


「噂に聞く魔王とやらの存在は確認できているのですか?」


「確認はできていない。実在するのかどうかも不明だ」


「書物に魔王についての情報は?」


「すべて目を通したが、具体的なことはなにも書かれていなかった」


 トーキルは「ふむ」と顎に手をやる。


「……ラーズ殿の見解を伺っても?」


「いると思って行動した方がいい。書物にも怪物は魔王の眷属だと書かれてある。すべて鵜呑みにするわけではないが、これだけ現実と書物の内容が合致しているのだから、警戒はしてしかるべきだろう」


「では、道中で魔王と出くわすことがないよう、フィリス殿に祈ってもらわないとですねぇ」


 トーキルが冗談めかして言う。

 フィリスは生真面目な顔で「承知しました」と頷いた。そしてラーズの方を向いて「もし道中で戦闘になった場合は我々も共に戦います」と申し出た。


「必要ねぇ」


 そう答えたのはラーズではなく、少し離れたところで話を聞いていたウォーレンだった。


「戦うのは俺らの仕事だ。むしろあんたらは何もしないでくれ。素人はかえって邪魔になるからな」


 その言葉を受け、アイラが気色ばむ。


「蛮族相手に粋がってるだけの田舎騎士風情が随分と偉そうな口を利くじゃないか」


 挑発されたウォーレンはアイラの恰好を見て鼻で笑った。


「ふん、女だてらに騎士の真似事か? そんな細腕でまともに剣が振り回せるとは思えんがな」


「……試してみるか?」アイラが腰の剣に手をかける。


「面白れぇ」ウォーレンも不敵な笑みを浮かべながら腰を落とした。


「おやめなさい!」


 間髪容れずにフィリスが一喝した。

 さすが聖者というべきか、一触即発の空気を霧散させるに十分な威厳があった。

 アイラはすぐさま剣の柄から手を離し、主の前に跪く。一方のウォーレンは、ただの小娘と侮っていた少女の態度に虚を突かれたのか、呆気に取られて固まっていた。


「……部下の非礼をお詫びします」


 ラーズはフィリスに向かって頭を下げた。


「いいえ、こちらこそ供の者が失礼を申しました。ただ、これだけは言わせてください。わたくしたちはこれから共に旅をする仲間です。いがみ合うのではなく、互いに協力し合うことが大切だと思います」


「もちろん、そのつもりでおります」


 いかにもこの少女らしい青臭い発言だとラーズは思ったが、協力し合うことに異存はなかった。


 そこへちょうどハイマンが厩舎に入ってきた。

 おかげでごく自然に解散の流れとなった。

 ハイマンは気遣うようにフィリスに声を掛けている。その態度は恭しく、まるで姫君に忠誠を誓う騎士のようだった。

 ラーズは小さくため息を吐いてからウォーレンに近寄り、肩を叩いた。


「ウォーレン、気持ちはわかるがつまらない真似はよせ。いらぬトラブルを招いて命を落とすような間抜けにはなりたくないだろう」


「……わかってるさ。ちょっとからかっただけだ。本気じゃない」


 ウォーレンはぶっきらぼうに言うと、自分の馬のところへ戻っていった。


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