7分の1の未来

墨猫

第1話  僕の友達 ミイ

「分かったよ、起きるから。ちょっと待ってよ」

 

 全然眠り足りない僕は目を擦りながら起き上がる。

 僕は毎日、ミイに起こされる。


『ニャー、ニャー』


「分かったから。今餌を用意するからちょっとだけ待ってよ」


 毎日同じ時間にミイはやって来て、僕に餌をねだる。時計に目をやると、やっぱり同じ時間。どうしてこんなにも同じ時間にやってくるのか、ミイには時間の感覚があるのだろうかと不思議に思う。



 僕が通っていた保育園は、4歳になると自分で市営バスに乗って自宅まで帰るように指導される。朝は車や自転車で保護者と一緒に登園するが、帰りは保育園の目の前にあるバス停から、それぞれの行き先のバスに先生が乗せてくれる。もちろん園バスもあるが、それを使用するのは郊外の家の子が多かった。

 どの保護者も最初のうちは自分の子が無事に帰れるのか心配するが、子供の適応力はかなりすごい。またバスの運転手さんも注意して見てくれるし、常連さんばかりの時間帯なので「〇〇くん、次のバス停だからそろそろボタン押さないとね」「あれ、今日は〇〇ちゃんお休みなのね。そう言えば昨日少し咳してたわね」という具合だった。

 下車するバス停には保護者が迎えに来るようになっていたが、その園では珍しく僕の両親は共働きだったので、僕はいつも祖母の家の前のバス停で降りていた。


 母方の祖母だったが少し変わり者だったらしく、教師の母とは昔から意見が合わない事が多かったようだ。母が仕事帰りに僕を迎えに来ても、祖母と会話するところはあまり見た事がなかった。

 僕が5歳になった頃、母は僕の弟を身籠った。そして産休に入る頃、祖母と母は大喧嘩になり、その日を境に僕が祖母の家に行く事は無くなった。



「おばあちゃんはね、魔法使いなんだよ」


 そう言って、祖母はよく僕に魔法を見せてくれた。幼い僕は祖母の魔法が大好きだった。手のひらををパチンと叩くとアメ玉が出て来たり、呪文を唱えると何も入ってない箱からぬいぐるみが現れたり。

 今考えると、ただの手品だったのかもしれない。でもその時の僕は、祖母が見せてくれるもの全てがキラキラしていて、本気で祖母のことを魔法使いだと思っていた。

 近所付き合いが悪かった祖母は、よく子供たちから『魔女』と呼ばれていた。時々祖母と散歩をしていると「魔女が子供をさらってるぞ」と子供たちは騒ぎたてた。

 それでも僕には自慢のおばあちゃんであり、祖母との毎日はわくわくドキドキの連続だった。


 そんな僕を見て、母はずっと我慢していたのかもしれない。大喧嘩の日、僕は「おばあちゃんの魔法をもっと見たいからおばあちゃんの家に泊まる」といって駄々をこねた。大きなお腹を抱えながら、仕事に育児、家事をこなしていた母はイライラがピークになっていたのだろう。


「母さんがバカなことばかり言うからでしょ!私は子供の頃、そのせいでずっと虐められてたのよ!もう、いい加減にして!」


 そう言うと、無理やり僕の腕を引っ張り車に押し込んだ。その時はただただ怖くて、引っ張られた腕も痛くて、僕は車の中でずっと泣いていた。

 その日以来、僕は祖母と会ってない。それは母も同じだったと思う。幼い僕の世界の全てで、キラキラでわくわくで、大好きなおばあちゃん。でも、おばあちゃんに会いたいなんて、どうしても母には言えなかった。


 それからの毎日は、母が待つバス停で降り、家まで帰り、子供番組を見て、ご飯を食べ、お風呂に入って、寝る。その繰り返しだった。

 両親は笑わなくなった僕を心配していたようだが、どうする事もできなかった。


 いつものように母が待つバス停で降り、手を引かれて家まで帰っていると、どこからか「みぃ〜」と聞こえてきた。僕は辺りをキョロキョロ探したが、声の主はなかなか見つからなかった。母は僕を早く連れ帰ろうと手を繋いで歩こうとするが、僕は何度も手を振り払って声の主を探した。最後は母も諦めて一緒に探し、その声は、コンクリートの蓋で覆われた側溝の中から聞こえてくる事が分かった。

 近所の人にお願いして蓋を持ち上げてみると、泥がこびりつき、まだらな茶色に汚れた子猫だった。家に帰って母が子猫を洗うと、驚いた事に真っ黒の毛並みだと分かった。


「何度も私の手を振り払って、こんなにも必死になってる姿を久しぶりに見たから、ああ、もうこれは見つけたら飼うしかないなって、母さんその時そう思っちゃったのよ」


 ミイが家族の一員になってから数年後、ランドセルを放り出しミイと遊んでいた僕を眺めながら、母さんは独り言のようにつぶやいた。



 保育園から帰ると、僕は毎日ミイと遊んだ。ミイは色々な表情をしてくれた。

 毛糸を転がすとお尻をふりふりしながら飛びついたり、小さな箱の中から何度も手を出してみたり、押入れの隙間からまんまる目玉でこっちをのぞいてみたり、餌をあげようとすると僕の足元で何度もジャンプしてみたり、僕の世界にまたキラキラが戻ってきた。


 友達のいない僕は、毎日ミイと一緒に過ごした。

 ミイが隣でごろんと昼寝をする時は、僕は大好きな本を読んだ。僕が宿題をしていると、ミイはわざとプリントの上に寝転がって邪魔をする。「こんな紙見ないで私と遊んで」とでも言いたげなミイを見ると、怒るどころかつい笑ってしまう。

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