第11話 ファンレター

 過去の言動が今の僕を責め立てて来る。

 なぜ人はこうもおろかなのだろうか。

 夜道から自宅へ無事帰宅することができた僕は弟と一緒に半額寿司や作り置きの料理を食した後、浴槽よくそうに浸かっていた。


「事務所からの押しが強かったのは確かだ。だけど今思えば僕はあのキャラクター路線に対して口を挟むこともできたんじゃないだろうか」


 天井から落ちて来た水滴が浴槽のお湯に波紋を起こした。


「助道地高か……」


 僕は誓って対戦相手をけなしたことはなかった。


「……例外を一人除いて」


 なにせ自分自身も剣闘士だったのだ。他の剣闘士たちが抱いているはずのアリーナに立ち続けることの、怖さを身に染みて分かっている。

 

 よって対戦相手だからといって彼らを馬鹿にすることは僕には絶対にできない。

 それが例えマネージャーの春日さんや事務所からの指示だと言えど、それだけは自分の中での越えてはならない一線として引かれていた。

 

 対して、観客たちときたらアリーナ外から好き勝手に敗北した剣闘士たちを弱いだのなんだのと罵り、自分の応援している選手を贔屓ひいきするあまり、対戦相手のことを理不尽にこき下ろしたりする。

 彼らの望む結果を用意できなかった剣闘士やその家族が脅迫まがいの嫌がらせを受けたりすることだってままあることだ。

 当然僕だって殺害予告を受けたことがあった。


 だからか観客相手への嫌われ者パフォーマンスを実行した際、実を言うと僕は胸がスカッとするような気分に陥った。

 自分が他の剣闘士たちの代弁を行っているような気分になれたのだ。

 かつての僕が行った助道地高に対する小馬鹿にした発言や態度も、応援に身が入り過ぎて周りの剣闘士たちに対して過激になりすぎていた助道地高の応援団に対して口にしたモノであった。


 ただしそういった僕の発言は回り巡って、間接的に対戦相手や剣闘士界全体をけなすことにも繋がってしまい、本意からはかけ離れた結果を生み出してしまっていたのも事実だ。

 それを自覚しながらも最後の最後まで僕は配慮に欠けたまま突き進んで来たわけで、それゆえに周りから受ける非難の中でも、自分自身に来るものに関してだけは仕方のないことだとも割り切っていた。


 そもそもの話、自分のファンに喧嘩を売られるという行為は、そのファンから応援してもらっている剣闘士自身からしてみれば自らを攻撃されているのと同じことなのだ。


 僕だって自分のファンを攻撃されたら怒る。


「遅かったね、兄さん」


 風呂から上がった僕を闇弥が出迎えてくれた。

 ここは台所だ。

 冷蔵庫から牛乳パックを投げ渡してくる。


「ナイス」


 それを宙でキャッチすると僕はストローは使わず、蓋を開き、牛乳を一気飲みした。

 慣れたものでそのまま流れるように空パックを流し台で水洗いしながら、闇弥に問いかける。


「それで闇弥、お前はいったいなにがあった?」


「……え、別に、なにもないよ?」


 水洗いを終えた僕は闇弥の顔を凝視した。

 闇弥は吐息を漏らし、観念したように答えた。


「友達が亡くなったらしくて……明日葬儀があるんだ。……その子も冒険者だったんだけど……世界のために働いた名誉の死だし俺が必要以上に悲しむべきことじゃないと思って」


 僕は表情を変えずに言葉を発する。


「落ちこんでた理由はそれか? 学校への休みの連絡は僕がやっておくから、しっかりと別れを済ませてくるといい」


「……ありがとう兄さん」


「それと学校からの知らせを受け取ったらちゃんと冷蔵庫に貼って分かるようにしておくように」


「そのくらい分かってるって」


 うんざりした感情を露わとする闇弥を後に、僕は自室へ向かった。


「っと、確かこの辺にしまってあったはず……」


 いくつもの段ボール箱の中身を次々と床に出していく。

 それら全てが剣闘士としての僕に対するファンレターだ。

 といってもその多くがファンを装ったアンチによる誹謗中傷が記された紙切れである。


 マネージャーの春日さん曰く、これに目を通すことで、己の中にあるリアルな怒りを呼び起こし、嫌われ者パフォーマンスにもリアルが宿るという理屈だった。


「あったあった」


 と取り分けた手紙のいくつかに目を通す。

 本物のファンレターだ。

 なぜわざわざアンチの手紙と混ぜて置いてあるのかというと、これも春日さんの指示による役作りのためだった。

 良いを得るためには悪いも目にしなければならないとか、確かそんな風なことを言っていたような気がする。


「やっぱ、悪いことした気がするね。こんなに応援してもらっていたのにいきなり引退とか」


 けっきょく観客全てを一緒くたに考え、一まとめに悪として考えていた当時の己の間違いに気づくことができたのは、嫌われ者の僕についた一握りのファンの声のおかげだった。

 酷い奴もいれば剣闘士たちのことを本気で応援してくれている人もいる。

 そして本気で応援するからこそ、時に酷い言動が生まれるのだ。

 それがアリーナから見える剣闘士の目にする本来の景色だった。


「まあ、それでもこれで良かったのさ。僕の手が悪人ではない誰かの血に染まる姿を小さなファンに見せずに済んだ。……いや、これは卑怯な僕の情けない言い訳でしかないか」


 手のひらに目線を落とした。


「僕ら剣闘士は皆あの場所で必死に戦ってる。あの人たちを殺したくないと思ってしまった時点で、社長の言う通り、僕はとっくの昔に剣闘士失格だったんだ。……って、なんだこの手紙……?」


 一見するとこの手紙は僕に対するファンレターで間違いない。

 しかし文章に出て来る名前は、僕の名前じゃなく健太郎様という文字の方があからさまに多かった。


「……思い出した。与路よろの事を僕に褒めてもらいたいと考えた彼のファンが僕のファンを装って渡してきた手紙だ……確か返事はまだ送ってない」

  

 このファンレターの送り主は与路健太郎よろけんたろうという名の剣闘士の応援グッズを手にして大小様々な試合の観客席にやってきていた。

 いわば与路の追っかけというやつだ。


 そういえば誓って対戦相手をけなしたことはないと言ったが、あれは真実ではない。

 僕にとって終始、与路健太郎だけは例外で在り続けた。

 彼に対しては毒を吐きまくったし、完全な逆恨みだから、あいつからしてみたら理不尽なことでしかなかったと思うが僕は心の底から彼のことが嫌いだった。

 

 そして悪者を演じておきながら他の剣闘士に毒を吐かないという僕の変なこだわりを許容してくれていた事務所は、けれど与路健太郎に対してだけは強く口撃し続けるよう僕に厳命していた


 よって彼についたファンはただでさえ嫌われ者の僕へ、余計に敵意をむき出しにしていた。

 

 このファンレターの送り主は、与路に対して悪態をつきまくるそんな僕の口から彼への賛辞を引き出したかったといったところだろう。

 だからこんな回りくどいやり方をして、直接僕にこの手紙を渡して来て、返事を求めた。

 

「……いや、待てよ万が一にも、本当に僕のファンの可能性もあるのか……?」


 僕は念のためそのファンレターにもう一度、目を通す。


 健太郎様は二位之陽光郎さんにとってどんな存在ですか? 

 健太郎様の剣の腕前は、同年代のプロの方から見てどれほどのものなのでしょうか? 

 健太郎様の凄いところを教えてください!

 剣闘士、与路健太郎の凄さってなんですか?

 ずっと昔から私二位之陽光郎さんの大ファンなんです。

 そんな私が知っている限りでは、二位之陽光郎さんが健太郎様のことを褒めてくれたことは一度もなかったはずです。

 健太郎様は何度もあなたのことを褒めてました。

 ド素人の私から見て健太郎様はどんなピンチな時でも、楽しそうに戦うところが素敵だと思います。

 そのことについては、どう思いますか?

 健太郎様は――。


「ないない。絶対に僕じゃなくてあいつのファンだ」


 僕はため息をついた。 

 

「……与路健太郎……」


 剣闘士を引退した後までこの名前は僕の前に思い出したかのように記憶の底から浮かんでくるのか。



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