学校一の美人な先輩がオタクだという事実を知ってしまったらなぜか病んでしまった件

天江龍

第1話

「あれは……?」


 ある日の放課後のこと。

 自称帰宅部代表こと、矢嶋慶は帰り道に立ち寄った本屋である人物を見かけた。


 和泉カレン。

 直接の面識はないが、その存在はあまりに有名で、そして目立つためすぐに彼女だとわかった。


 私立今西学園史上最高の美人。

 その呼び名は後輩である俺の耳にも届くほどである。

 スレンダーでありながらどこか柔らかみのあるスタイル。

 大きなつり目が特徴的な整った顔立ち。

 長い黒髪はまるで作り物のように艶やか。


 実際に何度か学校ですれ違ったこともあるが、噂に違わぬというか噂以上の美人であり、彼女が通ったあとは甘いいい香りがしたのを覚えている。


 そんな彼女が帽子を深々と被り、街の片隅にある古本屋で人目を気にするようにおどおどと。


 本を片手に挙動不審な様子でいるのだから、気づかないはずもない。

 

「和泉先輩もこんなとこにくるんだな」


 少し意外だったのは確かだ。

 なにせこの本屋は埃っぽくて薄暗く、いつも客なんて見かけやしないし、そんな場所に学園のアイドル的存在の彼女がいるなんて誰が想像するだろうか。


 しかも挙動がおかしい。  

 隠すように持っているあの本は一体なんなのだろう。


 好奇心というか、単なる出来心で俺は和泉先輩の様子をしばし見守っていた。

 すると、しばらくして彼女は恐る恐るレジへ向かい、手に持った本をカウンターに置いた。


 俺はこっそりと彼女の後ろに近づき、その本を見た。

 するとそこにあったのはラノベだった。

 しかも今話題の、オタクからの支持が爆上がり中のラブコメの最新巻だ。


 義理の姉妹系。

 俺も好きな作品で、今日だってそれを買いに来たんだけど、彼女にこんな趣味があったのは少し意外だった。


「へえ、こんなの読むんだ」


 思わず、独り言を呟いてしまった。

 しまったと思い手で口を塞いだが、その瞬間レジでお金を払おうとしていた彼女が振り返った。


「……誰?」


 じとっとした視線を俺に送りながら、明らかに不快な様子でそう言った。


「あ、いや、ええと……す、すみませんなんでもないです」

「質問、聞こえた? あなたは誰かって聞いたの」

「……や、矢嶋です」


 名乗ったところで俺のことなどわかるはずもないだろうけど、聞かれたので答えた。


「その制服……うちの学校の人ね。何年生?」

「い、一年です。和泉先輩の後輩です」

「後輩……ふうん、そう」


 冷ややかな対応を見せてから、彼女はまたレジの方を向いた。


 そしてさっさと会計を済ませると、緊張で足が止まっていた俺のところにやってきた。


「矢嶋くん、だっけ? あなたも、この本好きなの?」

「へ? え、ええまあ。俺も今日はそれを買いに来たので」

「そう。ちなみにこの作品のヒロインで、義理の姉と妹どっちが好き?」

「……へ? あの、それって」

「質問に答えて。どっち?」

「……姉、ですね」


 今話題に上がっている作品の名前は『仲のいい近所の姉妹がある日義理の家族になったのだけど、二人が急に迫ってきだした件』。


 タイトル通り主人公の義姉妹となった二人のヒロインが同居する主人公と織りなすラブコメディなのだけど、圧倒的に妹人気がすごいのである。


 程よいヤンデレ具合とツンデレさ、そして主人公とのドラマチックな接点なども相待って、まだどちらが選ばれたわけでもないのに読者のほとんどは妹を応援しているというわけだ。

 アニメ化も決定し、あちこちでグッズを見かけるのだけどそのほとんどが妹のもの。

 三角関係ラブコメのはずが、もはや一強状態なのである。


 逆に姉の方は典型的なメンヘラで、最初こそ持ち前の美貌で対抗していたものの、主人公に対して色々やらかしすぎて完全にヒール役扱いとなっている。


 ただ、俺は意外とメンヘラが好きなのだ。

 彼女どころか女友達すらろくに出来たことのない俺からすれば、自分だけを一途に愛してくれる美人なんて憧れ以外の何者でもない。

 

 少々病的でも、あざとい妹よりも愛情表現を前面に出してくれる純粋な姉のようなキャラがもし現実にいたとすれば。

 俺は迷わず溺れたいと思うだろう。


「……珍しいね。メンヘラ好きなの?」

「ま、まあそうですね」

「あとはどういうところが好きとかある?」

「え? どういうところって」

「姉に対する解釈を知りたいの。適当に答えていないか気になるから」

「て、適当なんかじゃないですよ。ほら、妹って万人受けするのはわかるし主人公との因果というか、運命みたいなのが手厚く書かれてるからメインヒロインっぽく扱われてますけど、姉の方が先に好きになったわけですし。それに嫉妬とか執着とかが異常でキモいって言う人多いけど、あれくらい好きなら普通なのかなって。だから俺は姉の方が人間味があるし女の子として魅力的だなって……あ、いやすみませんつい」


 つい、熱くなってしまった。

 オタクの悪い癖だ。


「いえ、熱い想いが伝わったわ。聞いたのは私だから気にしないで」

「は、はい。ええと、和泉先輩はちなみにどちらが好きとかありますか?」

「私も姉派。一緒だね」


 無表情のまま。

 そう答えて彼女は袋に入った本をギュッと握った。


「そ、それは奇遇ですね。ええと」

「じゃあ私は用事あるから。今日のこと、誰にも言わないでね」


 そう言い残して、彼女はさっさと店を出て行った。


 俺は先輩の残した甘い香りに頭をぼーっとさせながら。


 やがて我に返って先輩と同じ本を一冊買ってから、店を出た。



「なんか最近妹ばっかだな」


 夜。

 自室でベッドに寝転がりながら買った本に目を通していた。


 相変わらず内容は面白くて文章も読みやすいのだけど。

 どうも公式まで妹を担ぎ上げているようでモヤモヤする。

 まあ、あれだけ人気になれば無理もないのかもしれないけど。

 大人の都合が見え隠れするのはがっかりする。


 俺のようにメンヘラな義姉が好きな少数派のことも大事にしてもらいたいなって、勝手にそんなことを考えていると。


 ふと頭に先輩の顔が浮かんだ。


 和泉カレン。

 初めて喋ったけど、声も綺麗だし見れば見るほど綺麗だし、何より俺のタイプだ。

 

 年上で、清楚で、クール。

 まるで本に登場する義姉のようだ。

 まあ、先輩は病んでたりはしないのだろうし、そうだとしても俺なんかは眼中にもないだろう。


 同じ趣味がきっかけで何かの間違いから仲良くなれないかなんて淡い期待をしていたけど、さっさと帰ってしまったし。


 ああやって、一度でもお話できただけ有難いと思うべきなのかもしれない。


 最後には今日のことを誰にも話すなって釘を刺してきたし。

 学校で見かけても本のことを話題に話しかけるなんて、できるはずもないだろうからな。


 まあ、今日のことはラッキーな思い出くらいに思っておこう。


 さて、今日は少し夜更かしして最後まで読んでしまおうか。



「……矢嶋くん、か」


 夜。

 自室で一人本を読んでいると、今日本屋で会った男の子のことが頭に浮かんだ。

 

 初めて、私の趣味を他人に知られた。

 昔からラノベ大好き、アニメ大好きのオタクだけど、周りには恥ずかしくてその事実を黙って今まで生きてきた。


 つい最近だって、クラスメイトの男子たちが近くでアニメの話をしているのをなんとなく聞いていると、仲のいい子の一人が「オタクってキモいよねー、あんなに盛り上がっちゃってさー。まっ、和泉ちゃんにはわかんない世界よね」とか。


 その子には私の趣味を打ち明けようと考えていたのに。

 そんなことを言われたら余計に言いづらくなってしまった。


 本当は趣味の話で誰かと盛り上がりたい。

 でも、そんな願望は高校では叶わないのかなって半ば諦めかけていたのに。


 出会ってしまった。

 素敵な男性に。

 

 偶然とはいえ彼は私の趣味を彼は知った。

 知った上で、熱く語ってくれた。

 その上、彼はただ同じ趣味のオタクではなかった。

 

 義姉に対する解釈まで、ピタリと一致した。

 ネットを見ても私と同じ考えの人は全然見つからなかったというか。

 むしろこの本を読んでいる界隈で義姉好きを名乗るだけでアタオカ扱いされるというのに。


 あれほどまでにメンヘラ女子のいいところを見てくれる人と知り合えたなんて、もはや運命でしかない。

 クラスメイトの会話を時々聞いていると、この小説を読んでる人は結構いるけど誰一人として姉派はいなかったのに。


 いた。

 同じ学校に。


 その事実に興奮しすぎて何を話したらいいかわかんなくなって逃げて帰ってしまったけど。


 同じ学校ならまた会える。

 明日、会える。

 明日こそ、私の気持ちも聞いてほしい。


 ああ、ドキドキする。

 まだ知り合ったばかりで下の名前も知らないのに、今から彼に会うのが楽しみで仕方ない。


 早く明日になってほしい。

 早く彼に会いたい。


 きっと彼なら今日のうちにこの本を読み終えているはず。


 私も、ちゃんと読んでおかないと。


「明日はいっぱい話そうね、矢嶋君」

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