キプスとセラナ、足止めを食らう

 翌朝。キプスとセラナは馬に乗ってユルタ河をさかのぼる。そして、島で一番高いイトメ山の山頂で停まり、バリエウス島を観察する。


 東南部には、自分が漂着した入り江と市壁に囲まれたアイヴィがあった。

 西部には、地肌が剥き出しの山脈が海岸線まで伸びていた。

 北東部には、豊かな森林地帯とその向こう側に市壁に囲まれたまち、そしてバリエウス島と繋がる小さな陸繋島りくけいとうがあった。


 得られた情報と記憶とを照らし合わせ、セラナは考える。


「あの夜、あたしは嵐に遭って、この島に流れ着いた。あいつらは確か大熊座の方角にあった小さな島の方に流れていったから……」


「大熊座?」とキプス。セラナが答えた。


「船乗りは夜に航海しなきゃいけない時、空に浮かぶ大熊座を探すんだ。大熊座がある方角が北だって分かるからさ」


「へえ、そうなん……ですか」


 セラナの説明を聞いているうちに、キプスはまたもや不思議な感覚に襲われた。



『見て。空に大きな熊さん!』


 声の主はやはり知らない少女。今回はその子と一緒に夜空を眺めているようだった。


『強そうな熊さんだね』とキプスが言うと、少女はこう尋ねてきた。


『ねえ、どの星座が一番好き? あたしは蠍座さそりざ。この島を襲おうとしたヘルマイアスさまに毒針を刺して、島を守ってくれたから! はい、じゃあ次はキプスの番!』


 キプスは、ある星の一群を小さな手で指差した。


『僕は一角獣ユニコルスかな』


『あの、綺麗な女の人と一緒にいる動物?』


『うん。その女の人を悪い奴から守る一角獣ユニコルス


『あ、それもいいな。私、あの女の人にそっくりだもん!』


『あはは、そうだね。も大きくなったら、あの人みたいな美人になれると思うよ』


『え? それじゃ今の私はきれいじゃないってこと?』


 少女がうつむいて泣き出しそうになったのを見て、キプスは慌てて彼女を宥めようとした。が、次の瞬間には少女が顔を上げて舌をぺろり。


『やーい、引っかかった!』


『あ、ウソ泣きだったんだな!』


 キプスは腰を下ろしていた草原から立ち上がると、ふもとに逃げていく少女を追いかけるのだった。


 笑い合い、可愛い声を上げつつ、キプスはで少女を掴もうとし、少女はそれをかわししながら、自宅に戻るのだった。


 二人とも聖鳥が彫られた留め金フィブラを身に帯びながら。



「うわぁっ、危ない!?」


 セラナの叫びで、キプスは現実に引き戻される。彼女のぎょする馬が急停止し、体に強い衝撃が加えられたことで、彼は目を覚まされたのだ。


「大丈夫?」


「僕は大丈夫です。セラナさんは?」


「無傷。あぁ、危なかったぁ」


 キプスは周囲を見渡す。今の自分たちがいるのはイトメ山の山頂を北に少し降りた地点で、不思議な夢を見ていたのは僅かな時間だったらしい。


(さっきの夢、なんだったんだろう……? あれ?)


 だが、今のキプスには自分が見た夢の内容よりも、セラナの顔色の方が気になってしまった。


「セラナさん、寝てないんですか? 目の下にクマができてますよ」


「え? あ、うん、ちょっとね」


「もしかして、初めて会った時に言ってたデメトリオって人に会えなくて寂しいんですか」


「そ、そう、そうなんだ! いやぁ、早くあいつを見つけて、船を造らせて、この島からおさらばだ! なんて考えてたら、あっという間に朝になってたんだ。ははは」


 セラナの返事を聞いた時のキプスの顔は寂しそうだった。彼はそれを上手く言葉にできないでいたが、セラナと別れたくない、と思ったのは確かだった。


 アイヴィの民とは違い、彼女は『穢れ』を浴びた自分の右腕について悪しざまに言わなかった。

 それどころか、騎乗時に右腕を腹に回した時には「もっとしっかり抱きついて」とさえ言ってくれた。

 他の人なら触れることを厭う右腕を、彼女は気にも留めない。


(セラナさん、あなたは変わった人ですね。でも、そんなあなたを見ていると僕は変になるんです。「一緒にいたい」って気持ちが止まらなくて……)

 

 セラナの心境も複雑であった。


 咄嗟とっさに嘘をついた。

 本当は仲間たちのことなんか心配していなかった。

 あいつらは嵐ぐらいじゃ絶対に死なないって確信してるから。

 じゃあ、なんでこいつキプスに嘘なんかついたんだろう?


(あたし、疲れてんだ。じゃなきゃ昨日みたいにこいつキプスの顔見て、その……)


「あ、ところで、どうして馬を止めたんですか?」


 セラナが心中で考えていると、キプスが先程の行動の訳を尋ねてきたので、彼女は一旦少し前までの思案を忘れ、先ほどの状況説明をすることとした。


「これだよ」


 セラナが、右手に佇む木に差し込まれた斧を指差す。


「馬がつまづいちまう、って思ったから手綱たづなを引いたんだ」


「斧? いったい誰がこんなことを……」


 セラナは馬を降りると木の幹に食い込んだ斧を引き抜き、それをつぶさに調べ上げる。


になんか彫られてる。これは……山羊?」


 その時、二人に迫る一人の男の姿が見えた。セラナは警戒する。一方のキプスは怯えて――タゲス王の捜索隊の兵士かと思ったようだ――先ほど斧が抜かれたばかりの木の影に身を隠す。


「あれ? 待ち合わせ場所に来てみれば、見知らぬ可愛い女の子がいるじゃないか。おかしいなぁ。あ! 君、もしかしてアイヴィに送っといた間諜の代理人? 


 いや、そうじゃなくてもいいや。だって君、とっても可愛くて俺さま好みだし!」


 やがてセラナの前に現れたのは、頭に山羊を模した兜を、そして肩から山羊皮の外套がいとうまとう美青年だった。

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