二つの儀式

 空に夜のとばりが降りた頃。そこは静まり返っていた。

 やがて暗闇に小さな光が灯っていき、一帯を昼に戻していく。


 場所は、とある島国の大理石造りの神殿の屋外。

 そこでローブに身を包む大神官の男が儀式を進めていた。


 祭壇からは炎が上がっていた。

 その周囲では、神々が好む香がかおっていた。

 祭壇の中央では、儀式の進行役である大神官と王を兼ねる男が何かを握っていた。


 男の右手に握られていたのは、ほふったばかりの牛の心臓。

 未だに脈打つ心臓を、男は入念に調べていく。

 国の守り神であるキュベベの真意を探るために。


「陛下。キュベベ様はなんと?」


 一人の男が神官に話しかける。彼は神官団のメンバーであった。


 やがて炎にあぶられても黒ずむことなく、それどころか炎のように赤みを増していく心臓を見つめて、大神官にして王である男が答える。


「終わりだ」


「陛下?」


「この世界はもうすぐ終わる! キュベベ様は我々を見捨てなさるおつもりだ!」


「そんな……信じられません!」


 神官の一人がそう呟くと、キュベベの住まう天空エーテルから目を背け、ローブを目深まぶかに被りその場にうずくまる。他の神官団メンバーも空から目を背け、手を天に差し伸べ、嗚咽おえつをもらす。


「しかし、なぜキュベベ様は我々をお見捨てに? 生贄には贄用の牛を百頭選び、毎年欠かさずに供え――ぐふぉっ!」


 突如どよめきが起こる。神官にして王である男が口から血を吐き倒れたのだ。


「き、貴様……」


 薄れゆく意識の中、大神官にして王である男は自分に駆け寄ってくる者の中に、悪い笑みを自分に向けている者がいると知る。


「悪く思わないでくれ。これはキュベベさまのご意思なのだ」


 薄れゆく意識の中で男がそう呟いたのを耳にした直後、大神官にして王である男は息絶えた。



 同日。同時刻。

 場所は先の現場から西に海を渡った大陸にある、木造の神殿の屋外。

 祭壇で大きな炎が、その近くに立つ鳥類を模した青銅像を明るく照らしながら燃えていた。


「パパ!」


 一人の少女が近くで立つ父に叫んでいる。

 父は、ただ眺めるだけであった。


「子供たちよ。すまない」


 父には何もできなかった。

 これは祖国の古くからの決まりだったから。

 百年毎に訪れる『災厄』を、太陽神の怒りを鎮めるために捧げねばならない。

 それを防ぐための生贄として自分の子供たちを差し出すと決めた以上、どうしようもなかった。


「いやぁ! パパ! 私、死にたくない! 生きたいのぉ!」


 星々が瞬く夜空に少女の声が、物心ついたばかりの幼子の大きな泣き声が空しく響く。


 彼女は、地面に突き立てられた柱に縄で括りつけられる。

 その足元には、輪の形に薪が積み上げられていく。


「すまない……」


 父はただ繰り返し、弱々しく無念を口にするだけであった


「星々を束ねる聖鳥ポイニクスよ。にえを捧げます。どうか、二人の魂をヘルマイアス様の許にお届けし、太陽神の御心をなだめてくださいませ。あなたが曳く戦車に太陽神をお乗せになり、末永く世界を照らしてくださいませ」


 子供たちが泣き叫ぶのには目もくれず、儀式を取り仕切る大神官が口上を終える。そして彼は右手に松明を持ち、身動きできない子供たちの方に歩いていく。


 別れはもうすぐだった。

 声が枯れるまで泣いて、体を揺すぶり、目を赤くする子供たち。

 そんな彼らに容赦なく火は迫る。

 

 世界を救うために必要な犠牲だと分かってはいても、見ている者たちは胸を抉られる思いであった。

 同年代の子を持つ参加者から、すすり泣く声が聞かれた。

 だが、儀式の中断を求める者は現れない。

 憐みよりも太陽神を畏れる気持ちの方が強かったから。


「あっ」


 その時。神官が持つ松明が強風に煽られ、彼の手元を離れた。


 次の瞬間、会場は絶叫に包まれる。続いて何かが焼ける音がすると、最後に天にも届こうかというほどの巨大な火柱が巻き起こった。


 それは空に『蠍座さそりざ』が大きく輝いたかと思えば、次の瞬間には黒雲と稲光が世を彩る、夏の終わりの出来事であった。



 二つの儀式から十年が過ぎた頃、物語は始まる。

 運命的な出会いと再会、そして別れを伴って。

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