怪異を金に換える(2ー1)
久々に受けた大学の講義が終わり、冴木早菜は所属サークルに顔を出すために、学生会館へと向かおうとしていた。
講義の内容はよく理解できなかった。前回の講義内容を踏まえていないとわからないのは当然だが、友人から送ってもらったレジュメすら読み返さずに講義に臨んだのだ。
自業自得としか言いようがない。
「さなちゃん、サークル?」
隣で同じ講義を受けていた友人が尋ねてくる。
「うん、たまに学校来た時くらいは顔出しておこうと思って」
「授業でもあんまり見かけないもんね。単位大丈夫?」
「大丈夫じゃない、全然」
「そうだろうね。私の方が先に卒業しちゃうかもね」
「うん、まったく否定できない」
「就活とかどうするの?」
「あれ、もうそんな時期なの?」
早菜は友人に呆れられているのを感じる。
――でも、配信で稼いでるし就職なんかしなくてもいいし。
早菜も本心ではいつまでも動画配信者として金が稼げるとは思っていない。
だが自分が真面目に会社員として働いている想像なんてできないし、そもそも大学を卒業している未来すら見えない。
「もうちょっとしたらみんな就職活動始めるよ。四年で卒業するつもりのみんなはね」
早菜は友人のこの発言が嫌味なのか心配からくるものなのか判断がつかなかった。
「あたしも一応四年で卒業するつもりはあるよ、一応」
「流石に無理じゃないかなー」
その口調は嫌味でもなんでもない。多くの講義が被っているのに、自分のことを見かけないから、そう言っているのだということはわかる。
「まだ三年生になったばっかりだからね。これから頑張れば間に合うって」
「はいはい」
友人はまるで信じていない。そして早菜もまた信じていない。
「じゃあ、バイト行くね」
「バイトがんばってー」
本部キャンパス八号館の入り口で友人と別れ、学生会館へと歩き出した。
〇
学生会館はまだ昼間ということもあり、あまり賑わってはいない。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様」
早菜がサークルに割り当てられている部室へと足を踏み入れると一つ上の先輩の小野寺がいた。
「小野寺さんだー」
胸元で小さく手を振って向かいに座るが、早菜は小野寺が少し――いや、実のところかなり苦手だった。彼女は美人かつ頭も良いまっとうな人間だ。そしておそらく被害妄想なのだが、相対すると自分のような人間を見下しているのだという気分にさせてくる。
「久しぶりだね」
言われてみれば小野寺と会うのは久しぶりかもしれない。
早菜はあまり大学にもサークルにも顔を出さないので、大抵の人間とは疎遠になりがちなのだが、小野寺もまた最近はあまり大学に来ていないということは耳にしていた。
その彼女が珍しく部室にいる理由については、今回は先ほどの友人とのやりとりで心当たりができていた。
「就活終わったんですか?」
「うん。内定三つもらって、もういいかなって。選考途中の企業はもう辞退しちゃった。バイトまでちょっと時間あるから寄ってみたんだ」
事もなげに言う彼女に少し腹が立った。そもそも自分は卒業資格すら得られるか怪しいというのに。
逆恨みであることは重々承知しているが、それでもそんな風に思ってしまうのはどうしようもない。
「すごーい。どんな会社です? 小野寺さんってマスコミ志望なんでしたっけ?」
興味がないわけではないが、あまり聞きたくもない。しかし、会話の流れで尋ねざるをえない。
――来るんじゃなかったなぁ。
「マスコミ以外も色々受けたけど、内定もらってるのはテレビ局と商社と出版社だよ」
そして、彼女が口にしたのはどれも業界大手で誰もが知っている企業だった。
きっとこれからの彼女の未来は明るいものだろう。
どの企業を選択して、仕事を頑張っても、結婚して仕事をやめてもまるで理想の人生のモデルケースのような生活を送るだろうことは容易に想像がついた。
「どこにするんです?」
「うーん、まだ迷ってるけどね」
「どこも一流企業ですし、目移りしちゃいますよねー」
早菜がそう言うと、小野寺は「あぁ」と小さく呟いた。
「ううん、そうじゃなくて。今バイトしてる小さい出版社にそのまま雇ってもらったり、大学院に進学して勉強しながらやりたいことじっくり考えてもう一回就職活動するのもありかなって」
「なしでしょ」
早菜は間髪容れずに言った。ありなわけがない。この人は何を言っているのだと非常識の権化であるはずの自分が、先輩の非常識さに愕然とした。
――じゃあ、なんのための就活だったのよ。自分探し? バカじゃないの。
「なしかな?」
「なしですね。小野寺さんが内定獲ったことで、本当にそこの企業に入りたかった人が落ちてるかもしれないんですよ。たまたま同時に内定獲っちゃうっていうことはあるかもしれないですけど、獲るだけ獲って全部行かないってそういう人たちに失礼じゃないですか?」
「確かにね」
不謹慎行為で注目を集めている自分が他人に常識を説くということに頭が痛くなってくるのだが、言わざるをえなかった。
「落ちた人たちが力不足だったといえばそうなのかもしれないですけど」
その後に続く言葉はぐっと飲み込んだ。
――あんたみたいにデキる奴が他人のチャンスを奪っては捨ててたら、一生あたしみたいなのにチャンスは回ってこないんだよ。
早菜は何を奪われたわけでもないのに、この美人で聡明な先輩に一枠奪われて落ちていった見知らぬ就活生に思いを馳せて、怒っていた。
この先輩と比較すれば、自分の未来は暗黒だ。これから配信の収益はどんどん下がってくるだろう。今はチヤホヤされていてもきっと飽きられる。そして、飽きられないように過激化していく不謹慎行為はいつしかデジタルタトゥーとなり、いずれしっぺ返しを食らうことになる。そんなことはわかっているが、もう引き返せないのだ。誰かに求められ、大金を得る快楽から抜け出すことは簡単ではない。
「ちょっと考えてみるね。ありがとう」
「いえ、あたしなんか就職活動すらしないかもしれないですし」
「そうなの? 卒業しても動画配信やってくの? 観てるよ、面白いよね。冴木さんのチャンネル」
小野寺が観ているとは思っておらず、早菜は急に恥ずかしくなってきた。
――観るなよ。
「ありがとうございますー。先輩に観ていただいてるなんてめっちゃ嬉しいですー」
「そう?」
――その目が嫌なんだよ。
小野寺は嘘をついていないだろう。本心から面白いと言ってくれている。だとしても素直に喜ぶことはできなかった。
早菜は今にも叫び出したい気分になってきた。今、この部屋を出ていくのは不自然すぎる。誰かに来てほしい。そう思いながら会話を続ける。
「冴木さん、最近は事故物件を転々としてるんでしょ?」
「そうなんですよ。お金かかるし、仕込みにも手間かかるしで大変なんですけど、ウケちゃったんでもうちょっと続けてみようかなって」
「引っ越し大変だよね」
「あー、でも家は別であって、収録用スタジオを転々としてるって感じなんで。荷物は機材ばっかりですよ」
「そうなんだ。今はどのあたりに住んでるの? 大学まで遠い?」
早菜は最寄りの駅名を言った。
「え?」
小野寺のその反応に早菜は動揺する。実際に彼女の変化といったら少しだけ目を見開いただけだ。
しかし、この二年間で見てきた中で一番大きな感情の揺れとも言える。この先輩は大抵のことで動じたりはしない。何が起こっても、想定の範囲内だったかのように落ち着き払っているし、おそらく実際に彼女の想像を超えるようなことは起こっていないのだろう。
「知ってるところですか?」
「うん、少し。聞いたことあるくらいだけど。そのあたりに心霊スポットとか事故物件があるの?」
「そうなんですよ、なんかその地域に変なことが起こるっていう噂があるらしいです。あたし、不動産屋にそういう条件で探してもらうんで、その辺りの事故物件の中から良いの見繕ってもらいました」
「不思議なお客さんだなって思われそうだね」
「あ、向こうも結構あたしのこと知ってくれてるんですよ。今はもう同じ担当の人に物件探してもらってるんで、活動のことは説明したりしないですねー」
「やっぱり冴木さんって有名人なんだね」
「有名ではあっても人気ではない、というのがあたしみたいな不謹慎行為で目立ってきた人間の悩みです」
そういうと小野寺は小さく笑った。
賢い彼女は笑いどころであるということは認識しているが、本心では面白いと思っていないというのが透けている。早菜は彼女のこういうところが特に嫌いだった。
その言動のすべてで正解を選んでいる。きっとそれはわたしを格下だと思っているからだ。会話がスムーズに進むように場をコントロールしようしている。
「先輩、今度遊びに来てくださいよ。事故物件とか好きでしょ?」
「そうだね、そのうち」
――絶対来ない。
そんなことはわかっている。社交辞令だ。
「私、そろそろバイトの時間だから。行くね」
「けっこうバイト入れてるんですか?」
「うん、お金が欲しいわけじゃないんだけどね。バイト好きなんだ。今一番楽しいこと何か訊かれたら迷わずバイトっていうくらい」
「へぇ」
――羨ましい。あたしは別に配信も動画作るのも楽しくないや。お金が欲しいだけだし。逆だなぁ。
「じゃあ、またね」
「お疲れ様でした」
小野寺が出ていくと入れ違いで一年生が二人入ってくる。
「あ、サーナ先輩がいるー。いつも観てます」
「一緒に写真撮ってもらっていいですか?」
「いいよー、撮ろう撮ろう」
こうして有名人扱いされるのは気分がいい。
早菜は大学から緑ヶ沼マンションの方へと帰ることにする。
久々の学校は疲れた。
電車の中でうつらうつらしてしまう。
おそらく、今の顔面はあまり良いコンディションではないだろう。
生配信をしようという気はおきない。かといって、帰ってすぐ寝てしまうのも勿体ない。
――ちょっと散策しようかな。
そもそもマンション自体で心霊現象が起こるという話なのだが、近所にも心霊スポットがあると聞いていた。
とりあえず駅を出てから、マンションまで少し遠回りをして歩いて帰ることにする。
駅前だけなら都心と変わらない。非常に栄えている。
陽が沈みかけ、散歩にはちょうど良い気温になってきていた。
早菜は不動産屋の担当者からもらったマンションやこの近辺での不可解な出来事についてのメールを読み返しながら歩き出す。
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