嘘つきは同じ顔をしている
和田正雪
新人編集者山城と心霊マンション(1ー1)
駅近かつ、日当たりもよい綺麗なこのマンションは山城(やましろ)にとっては最低最悪の新居だった。
荷物なんてほとんどない。
この部屋に長く住むつもりはなかったし、持ってきたのは必要最低限の着替えと仕事で使うノートパソコンとスマートフォンくらいだ。
家具類はレンタル業者が後から持ってくるし、生活必需品は近所のディスカウントストアで仕入れればいい。
「はぁ」
――とりあえず買い物行く前に電話入れておかなきゃ。
オカルトとヤクザという怖いもの繋がりの二ジャンルを主に扱う弱小出版社【操山出版(みさおやましゅっぱん)】の編集者である山城龍彦(たつひこ)は、自分をここに送り込んだ社長の矢田部(やたべ)に電話をかけた。
社長の携帯に直接かけているので、本人がすぐに出る。
「お疲れ様です。山城です」
「おう。着いたか?」
社長の鼓膜に優しくない大声に山城は眉を顰めるが、電話越しでは伝わらない。黙ってボリュームを下げる。
「今着いたところです」
「どうだ、いいマンションだろ?」
たしかに良いマンションではある。3LDKの南向きで急行は止まらないが駅からも近い。普通なら二十代独身安月給の山城が住めるような物件ではない。
普通なら。
「で、怪奇現象起きたか?」
事故物件なのだ。
「まだ昼間ですよ。起きるわけないじゃないですか」
「明るいうちは何も起こらないなんて誰が決めたんだよ?」
「誰ですかね?」
「じゃあ、今俺が決めてやる。真昼間でも幽霊は出るし、怪奇現象も起きる」
「やめてくださいよー。昼間から怖くなっちゃうじゃないですか」
「こんなことで怖がるな、派手な見た目に似合わん」
「この見た目に幽霊の方がビックリしてどっか行ってくれたらいいんですけどねー」
山城は高身長で外国産の鳥の巣のようなウェーブがかかった派手な茶髪だった。
「んなこたないだろうな。派手だが威圧感があるわけじゃねぇし。お前ってアメリカのコメディアンみたいだよな」
「認めたくないですが、認めざるをえないです」
彼はパッと見は派手だが、気弱な内面がそのまま顔を形作っており、威圧感は皆無であった。幽霊どころか子供にすら怖がられたことはない。
「早くそこから出たいならさっさと取材終わらせてこい」
「わかってますよ」
「文句あるなら給料下げてもいいんだぞ」
「文句なんて言ってないじゃないですか。これ以上給料安くなったら餓死しますよ。それに事故物件に強制的に単身赴任させられてるんですから文句の一つくらい言ってもいいでしょ」
「とにかく一流の編集者になるための修行だと思って頑張ってこい。一人前になりたいんだろ?」
まだ三流以下だと自認している山城としてはそれを言われると反論できなくなってしまう。それに山城は嫌がる一方で、僅かながらではあるがチャンスだとも考えていた。
「わかりました」
「おう、じゃあ頑張れ」
そして通話は一方的に打ち切られた。
山城はトランクケースから荷物を取り出しながら何度も溜息を吐く。
彼は大学入学に際して岡山から上京してきたのだが、とことん物件運に恵まれてこなかった。通学ラッシュ、水漏れ、傾き、幽霊、怪奇現象と引っ越す度にロクでもない目に遭ってきた。そして今度はわざわざ事故物件とわかった上で引っ越してきているのだ。
仕事に必要なノートパソコンを取り出したところで――。
「もう幽霊出ましたか?」
「うわ、出たっ」
背後からの声に山城は座ったまま腰を抜かして、ひっくり返る。
「なにやってるんですか?」
操山出版の学生アルバイトの小野寺(おのでら)はるかが顔を覗き込んでくる。ブラウンのロブヘアが顔にかかる。
その合間から覗く鼻筋が通った奇麗な顔が意地悪そうに微笑んでいた。
「こっちの台詞だよ。どうやって入ったんだよ? もしかして小野寺さんが幽霊ってこと?」
「残念、幽霊ではありません。では問題です。私はどうやってこの家に入ってきたでしょう?」
「急にクイズ出されてもわからないよ。怪盗の一族なの?」
「絶対正解なわけないじゃないですか。真面目に考えてくださいよ」
床に転がって、後輩女子に見下ろされている状態で真面目に考えられるわけがない。
「正解発表しますよ。社長に合鍵渡されたんです。なんでその可能性より私の幽霊説とか怪盗説が先に出てくるんですか。やれやれ、先が思いやられますね」
「幽霊が出る出るって思ってたんだから、仕方ないじゃないか。それに合鍵渡されたからってインターフォンも鳴らさずに勝手に入ってこないでくれよ。幽霊じゃなきゃ泥棒だよ、普通に考えれば」
「普通に考えてもそうはならない気がしますけど……わかりました、次からは鳴らしますね」
「最初こそ鳴らしてほしかったよ」
「驚くと思ったんで」
「驚くと思ったんで、じゃないよ。ひどいじゃないか」
「本物の怪奇現象の前の肩慣らしってことで」
「慣れたりしないんだよ。あーやだやだ、こわいこわい」
山城は本心からそう言った。
「学生バイトにそれだけ怖がってたら、本物が出たらどんなことになっちゃうんですかね」
「考えたくもないよ」
「私は楽しみです」
「目の前にいるのは幽霊ではなかったけど、悪魔かもしれない」
そう言うと声をあげて彼女は笑った。
山城は身体を起こすが、まだ立ち上がるには至っていない。
小野寺は立ちっぱなしで山城を見下ろしている。まだ家具が届いておらず、座る椅子もなく、床に直座りはしたくないということだろう。
クーラーが効いていて、ひんやりと冷たい床は心地良い。
「ところで、小野寺さんはどうしてここに?」
「なんでだと思います?」
小野寺はいつも山城の質問にすんなり答えてはくれない。すぐに問題を出してくる。
「矢田部さんに差し入れを頼まれたからじゃないかな」
「どうしてそう思うんですか?」
「手に大きな荷物持ってるから」
小野寺は大きなトートバッグを提げてここにやってきていた。
「残念。正解はちゃんと山城さんが逃げずに入居しているか見張りに寄こされたからでした。この荷物も差し入れではありません」
山城は不正解だろうなとは思いつつ――彼は小野寺のクイズに正解できたことが殆どない――僅かに期待もしていたので、落胆した。
「で、実際のところどうですか? 良い本書けそうです?」
「今のところはまったくわからないよ。設備が一世代前だから築年数は感じるけど、全体的に小綺麗なマンションだし。冷静になってみるとそんなに〝出そう〟っていう雰囲気ではないよね」
「たしかに。でもここ事故物件なんですよね? 何が起こったんですか?」
「よく知らない」
「知らないなんてことあるんですか?」
「だって、矢田部さんが教えてくれないんだよ」
「教えたら怖気づいて逃げるから、とかですかね」
「どんな恐ろしいことがここで起きたっていうんだよ?」
「だから言えないような、ですよ」
彼女は直立不動で高い位置から冷ややかに言った。
座ったままにもかかわらず精神を摩耗させて、疲れ果てた山城は逡巡してから言った。
「それが正解かも。でも、俺意外と逃げたりはしないんだけどな」
「ですよね。私も山城さんが目に涙を浮かべて震えてるのは想像つくんですけど、逃げ出すイメージはないです」
山城は再びフローリングに仰向けになって天井を仰ぐ。大学生相手に言い負かされてばかりであり、社内での立場も悪くなる一方なのだが、いくら小心者でも仕事を投げ出して逃げたりはしない。さすがに業務を拒否しないだけのなけなしの勇気は持ち合わせているのだ。
「社長の信用はないんだよなー」
「ですね」
「そんな即答で同意されると事実でも傷つくんだよなー」
小野寺はここでようやくしゃがみ、山城の顔を覗き込んで言った。
「いいじゃないですか」
「なにが?」
「今回の取材をきっかけに良い本を作ればいいんですよ。見返してやりましょうよ。あのデブを」
「社長のことをデブなんて言うなよ。巨漢だよ、巨漢」
山城は身体を起こし、小野寺と顔を見合わせて笑った。
――巨漢はセーフだよな?
「家財道具はレンタル業者さんにお願いしてるんですよね?」
「あぁ、そうだよ。もうすぐ来るんじゃないかな」
「じゃあ、業者さんが帰ったら聞き込みに行きますよ」
「聞き込み?」
「そうです。では、クイズです。そこのバッグに入っているものなにかわかりますか? それを使います」
「わからない」
山城は彼女の目を見て即答する。
「もう少し考えましょうよ」
「俺への差し入れじゃなかったら、もうなんにも思いつかない」
「そんなことじゃ、立派な編集者になれませんよ」
「うーん」
――俺への差し入れではない。そして、聞き込みに使うもの。なんだろうなぁ。全然思いつかない。
「ギブアップ」
「やれやれ。じゃあ、正解発表しますよ。中身開けてください」
山城は彼女があえて中身が見えないように置いたであろうトートバッグを引き寄せ、中身を覗き込む。
「サランラップとタオルだ」
「さすがにわかりましたか?」
いくらボンクラの山城でも正解発表後に意図がわからないほどではない。
「引っ越しの挨拶、かな」
「正解です」
小野寺は引っ越しの挨拶を口実に近所の住人に聞き込みをしろと言っているのだ。
そして会話を引き出すための対価としての粗品をわざわざ買ってきてくれたのである。
「気が利くなぁ。これ小野寺さんのアイディアだよね?」
「そうですね。あ、これは経費で落ちることになってるのでお金は気にしないでください」
「矢田部さんが俺のところに寄こしたのもわかるよ。自分で自分の頼りなさに嫌気がさしてきた」
「まだ何も始まっていませんし、話を聞き出すのは山城さんのお仕事ですよ。実は私はそういうのが得意ではないのです」
「そんな風に見えないけどな」
「私のように背が高くて顔立ちがはっきりしていると初対面の人は威圧的に感じるらしいですよ。あとハキハキしゃべるのもよろしくないみたいですね」
「へー、そんなもんなんだ。でも俺の方が威圧感ないかな? 髪型とか派手だし」
「いえ、山城さんの髪型は面白いだけですし、顔と声が全然怖くないので」
つい先ほど、社長に似たようなこと――アメリカのコメディアンみたいだと言われたのを思い出した。
「そっかぁ」
「はい。それにバイトの私が取材までやったら山城さんは何をするんですか?」
「それもそうだ。腹括って頑張るよ」
彼女は小さく何度もうなずいた。
「レンタル業者さんが来るまでに一つこの辺りの怪談で面白いのをネットで見つけたので聞いてくださいよ」
山城は「聞きたくない」と心の中で思いながらも、口に出すことはできなかった。
当然のように返事を待たずに小野寺は話し始める。
「五時になるとこのあたりは町内のスピーカーから『ふるさと』が流れるそうです。それが時々聴いたことのない曲に変わる日があるんですって。最初はいつもの曲かな?と思うみたいなんですけど、立ち止まってよく聴いてみると徐々に耳障りな違う曲だと気づくんですね」
「そうなんだ」
「聴いていたくないのでその場を立ち去ろうとすると目の前に小さな子供が立っているそうなんです。『遊ぼう』っていうんですよね。でももう夕方ですし、遊ばないじゃないですか? 日中でも知らない子供と遊んで不審者だって通報されても嫌ですし大抵は『早くお家に帰った方がいいよ』って言ったり、無視して立ち去ろうとするそうです。で、立ち去ろうとするとその子供が手を掴んでくるんですって」
「うん」
「その感触の気持ち悪さにゾッとして、咄嗟に手を払うと、自分の手がびしょびしょに濡れてるんですって。で、思わず振り返ると耳障りなあのメロディに沿って子供が歌ってるらしいです。その歌詞の殆どは聞き取れないんですけど『お前死ぬ』って言ってる部分だけははっきり聞こえるそうです。それを聞いた人はみんなその後死んでしまうそうですよ」
「なんだよ、その話」
「なんだよと言われても。怪談なんてだいたいなんだかよくわからない話ですよ」
そしてインターフォンの呼び出し音が家具のない部屋の中で響く。
「うわっ」
「レンタル家具屋さん来たみたいですね」
山城の新居である事故物件に家具が運び込まれてくる。
最初に机と椅子を運び込んでもらい、小野寺を座らせると山城は自ら家具の運び込みの手伝いに出た。
家具もまた必要最低限のものしかレンタルしておらず、原稿を書くための缶詰部屋といっても過言ではなかった。
「刑務所みたいですね」
「否定はできないなぁ、刑務所がどんな感じか知らないけど」
「居心地良いとダラけちゃうかもしれないですし、このくらいの方が早く出ようって気になっていいんじゃないですか?」
「そうかもなぁ」
山城は広々としたファミリータイプのマンションのリビングに机と椅子だけぽつんと置かれているさまを見て、一刻も早く脱出しようと誓ったのであった。
――――――――
4/18に書籍版が刊行されます。予約受付中です。
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