スノードロップ。足跡に咲く。
浅木 唯
第1話
「私と恋人ごっこをしてみない?」
彼女の一言からこの奇妙で歪な関係が始まった。表すならそれは恋人未満友達以上。それに頷いてしまったのが運の尽きだった。正常な精神をしていたなら決して首を縦に振らなかったはずだ。
言わば呪縛。どれだけ振りほどこうと、気づけば体に絡みついてくる。逃れられない運命。
どうしてこんなことになったのか、長い長い話を聞いて欲しい。
始まりは高校一年の夏休み。運良く合格できた高校に補習のため通っていた。
「はあ、お前なぁ。入学早々赤点取りまくって大丈夫なのか?」
先生から補習を受けていると小言を言われる。あまりの酷さに呆れているといった表情だ。
「大丈夫じゃないですね。このままでは留年の危機です。」
「おお、よく分かってるな。自覚があるなら少しは勉強に力を入れたらどうだ。今も俺の授業を聞かずぼーっと窓の外を見てただけだろ。」
先生は四十代半ばの男性教師。生え際が後退してきており、最近は頭皮に気を使い出したらしいが効果は無さそうだ。
「鳥って自由で楽しそうですよね。」
あのスズメも、カアーカアーと鳴くカラスも障害物のない大空を飛び回る。その姿からは一寸の迷いも見えない。
「鳥?確かに自由だとは思うが、弱肉強食の世界だぞ。不自由なこともあるんじゃないか。」
「だとしてもですよ。どこまで行ってもそれは自然の営みでしかないのですから。」
不当に搾取もされない。不当に虐げられることもない。そこに有るのは正当な生き死にだけ。平等に生きている。
「そんなことはどうでもいい。授業に戻るぞ。今度は集中しろよ。」
先生が黒板を叩きながら言う。その後も先生の授業は続いたが、意識が勉強に向かうことはなかった。
苦痛な補修は昼からも続く。まずは昼食を食べに食堂へ向かった。焼きそばパンを二個購入して人の少ない食堂で一人喧騒に耳を傾けながら食べる。
「そこの君。少し時間をくれる?」
背後からそんな声が聞こえてきたが、気の所為だと思い無視していると肩を叩かれた。
振り返ると綺麗で長い髪を携えた美人立っていた。
「どちら様ですか?」
「私のこと知らないんだ?」
意外そうな顔をして聞いてきた。そんなに自分に自信があるなんてさぞ人気者なんだろう。
「私は君のこと知ってるよ。」
美人が真正面に座りながら言った。
「そうですか。」
「不思議に思わないの?」
「別に。」
美人がクスクスと笑う。からかわれているのだろうか。美人にからかわれるのがご褒美らしい界隈があるのは聞いたことがある。
「落ちこぼれなんだってね。君は。」
その言葉を聞いて思わずは鼻で笑ってしまう。
「こんな学校で落ちこぼれなんて笑いますよね。」
元々偏差値は決して高くない。それどころか世間では底辺と言われている学校でなにを言っているのか。落ちこぼれと言うならこの学校に通う生徒は全員がそうだ。
「まぁ、そうなんだけど、君はその中でも特にってことなんじゃない?」
「この時期に補習を受けている人間には正しい評価ですね。」
その評価は間違っては無いので、否定したりはしない。
「ところで、貴方は誰ですか?」
「私は、こういう者だよ。」
美人が顔の左半分にかかった髪を掻き揚げて言った。その顔を見て驚愕した。巧妙に隠されていたのは、頭から口元付近にまで及ぶ火傷跡だった。
「火ノ
その顔を見て思い出した名前を呼ぶ。直接見たことは無いが他の生徒がよく噂しているのを聞いていた。曰く、援交でお金を稼いでおり、経験人数は三桁を超えている股の緩いビッチだとか。頼めばヤラしてくれるだとか。そんな噂の流れている女は顔面に大きな火傷跡が残っているらしい。
人気者。その評価は改める必要がある。彼女は決して人気者なんかでは無く、噂で悪評が広められている被害者だ。
「ほら、やっぱり私のこと知ってたでしょ。」
自嘲気味に笑った。その火傷跡さえ無ければ、男子からの人気を独り占めしていたはずだろう。
「あまり良くない噂は聞きませんが、事実ですか?」
「おお、よくそんな聞にくいことを聞いてくるね。」
「それは、あなたも同じでしょう?」
とても初対面で落ちこぼれと言い放った人間の言葉とは思えない。
「そうね。人目のある場所だと話しずらいから補習が終わったらここの校舎裏に来て。」
「良いですけど、貴方はそれまでどうするんですか?」
「私も補習があるの。」
そう言って悪戯っぽく微笑んだ。
補習を終えて二人は校舎裏に集合した。火ノ下鴾は何やら神妙な面持ちで佇んでいる。
「ほんとに聞きたい?」
「はい。だからわざわざこんなところまで来たんです。」
「そうだよね。うん。」
なにか決心したようだった。
「結論から言うと噂は間違ってないよ。」
噂は間違ってない。一見肯定したようにも感じるその言葉だが、否定しなかっただけとも受け取ることができる。
「間違っていないとは?」
「正確に言えば股が緩いのは本当と言えるし、嘘だとも言える。」
言いたいことがいまいち分からない。わざと曖昧にはぐらかす言い方をしているのだろう。
「と言いますと?」
続きを促すと、顔を歪めて言った。その綺麗な顔が台無しになるほどに。
「経験の全てが私が望んだものでは無かった。」
思わず絶句した。まだまだ色々とありそうだが、さらに深踏み込む気にはなれなかった。
「それで、君はどうなんだ?」
「どうなんだとは?」
「君の噂も私の耳に入ってきているよ。きっとこの学校で一番有名なのは私じゃなくて、君なんだろうね。」
「噂?落ちこぼれってやつですか?」
「そっちではなく、もう一つあるだろう?」
無言の肯定。口に出すのもはばかられる。
「なんだっけ?確か...犯罪者予備軍?それも性犯罪と殺人だっけ?」
火ノ下鴾が白々しく聞く。意趣返しのつもりなのだろうか。そんなこと知っているはずなのに、相手の口から言わせたくて仕方がないのだ。
「性犯罪に関してはそうですが...殺人に関しては既に犯してますよ。その昔にね。」
今度は火ノ下鴾が絶句する番だった。ただの噂、学校中に蔓延る悪意のあるうわさとしか思っていなかったのに。
「う、嘘だよね。タチの悪い冗談だよね...」
「違いますよ。小学四年生だったかな?そのくらいの時期に母親を殺しています。」
「ほんと...なの?」
「だからそう言っています。」
火ノ下鴾の体が震え出す。それは目の前にいる少年に恐怖したから。辛い過去を持つ自分と悪意のある噂を流される少年は少し似ているかもしれないと思って軽い気持ちで近づいた。
しかし、それは想像の遥か上を行くものだった。そんなこと想像できるはずもない。殺人を犯した人が目の前にいるなんて想像する方がおかしいのだから。
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