第12話
目の前の男、ブンタが竹刀を構える。
左足をわずかに引き、肩幅よりわずかに狭く、絞るように竹刀を両手で握る。
竹刀の切っ先が、私の喉元をまっすぐに指す。
紋章が違えば、戦い方、その流派も当然異なる。
ブンタの構えに対し、私は竹刀を右肩の上に担ぐように構える。
薪を飛ばした時と同じ、ユサール式剣術の"淑女の構え"。
攻撃的な構えで、力強い斬撃を繰り出すユサール式剣術の基本だ。
ブンタは私の構えを見慣れていないようで、困惑した目をしている。
どう戦っていいか分からないといった感じだ。
じりじりとすり足で私に近寄ってくる。
竹刀で間合いを測っているようだ。
剣と剣、この場合は竹刀と竹刀を突き合わせればお互いの間合いも把握できたのだろう。
私の竹刀は肩の横にあり、加えて初めて相対する剣術では、攻撃の間合いを測るのは難しいのだろう。
ブンタの目には焦りのようなものが見える。
さて、どうする?
貴殿の相手はユサール国内最強と言われた武人の家系。
その三女、シグリッド・ハイザだ。
いくら私の見た目が歌劇の美少女に見えたとしても、侮ると痛い目を見るぞ。
そう目でブンタを威圧すると、ブンタはついに我慢できなくなったようだ。
「ヤアアアアアアアア!」
ブンタが踏み込み、左足にその体重の全てを乗せる。
右足が浮き、左足で大地を力強く蹴った。
竹刀をわずかに振り上げ、私の頭を目掛けて振り下ろそうとしている。
所作は綺麗だが、忍耐が足りないな勿体ない。
だが、ならばこそ。
右肩の上に担ぐように構えた竹刀を、ブンタの竹刀目掛けて振る。
パン、と竹刀同士が打ち合う乾いた音が響く。
私は即座に手首を返し、竹刀の切っ先を地面に向け受け流す。
ブンタは力を竹刀に乗せ過ぎだ。
ブンタの竹刀は私の竹刀を滑って下に落ちていく。
ユサール式剣術基本の受け流しだ。
竹刀と竹刀が交わる部分を中心に左へ体を動かす。
本来であれば、体をひねりながら、両手で握ってた剣から左手を離し、相手の腕を上から押さえつけ、剣を振った勢いを乗せたまま、地面に倒れ込ませる。
ユサール式剣術は何も剣だけの勝負ではない。
他国には試合としての剣術もあるそうだが、ユサールにそのようなものはない。
実戦の上でいかに相手を無力化し、命を奪うか。
それがユサール式剣術だ。
だが、これで終わってしまっては面白くないな。
ひらりとブンタを交わし、ブンタの真後ろにつき、再び竹刀を構える。
一瞬の一撃、最速の一撃で終わるとブンタは考えたようだが、私を舐めてもらっては困る。
そのような全てを乗せた真っ直ぐな攻撃は、簡単に読めてしまう。
もしここが戦場ならばブンタの命はもう無いだろう。
ブンタは私を見くびったのだ。
他国の武人によくある事だ。
曰くユサールの武人は基本女しかいないからだそうだ。
たかだが性別の差で相手を見くびってその命を落とすのだから、全く持って間抜けな話だ。
ブンタのその顔は何が起こったか分からないといった感じだ。
だが、この男の瞳にはまだ戦う意思があるようだ。
このまま終わらせてもいいが・・・。
ちらりとヤヨイの方を見る。
彼女はこの手合わせを真剣な目で見つめている。
「ふむ、ブンタ殿」
これは良い機会になるかもしれないな。
「貴殿は筋が良い。余計なお節介を承知の上だが、同じ武人として、少し稽古をつけてやろう」
ブンタがポカンとした顔をする。
手合わせを申し込んだのに簡単にいなされた上で稽古をつけてやると言われたのだから、それも無理はない。
私が目線をヤヨイに送ってる事にブンタは気が付き、私の意図を察したようだ。
すぐにニヤリと獰猛な笑みを浮かべ、再び竹刀を構えた。
「では、打ち込んで来い」
ブンタは気合を入れ直し、再び打ち込んできた。
先ほどのような捨て身の勢いはないが、より注意深くなっている。
私はその打ち込みを竹刀で受け止め、「今の踏み込みでは、軸がぶれているぞ」と指摘する。
ブンタは一瞬動きを止めたが、すぐに「くそっ!」と悪態をつきながらも、次の打ち込みで修正しようとする。
その後も何度か打ち合いが続く。
私は彼の攻撃を受け流し、時にはわざと隙を作り、彼がどう反応するかを見た。
やはりこの男は筋がいい、これまで良い師に巡り合わなかったのだろう。
剣術や武術の癖というものは簡単に修正できるものではない。
ほとんどの人は自分の体がどう動いているかを把握できていないからだ。
だがその事を人に教えるのは非常に難しい。
特に私はそうした才能は持ち合わせていない。
軸がぶれていると言うのは簡単だが、どうぶれているか、どう直せばいいか。
それを本来言わなければならないが、私はそれを言葉でうまく説明できない
だというのに、ブンタはきちんと修正してくる。
この男は自分の体の動きを理解しているのだ。
それができる人間はなかなかいないものだ。
全く惜しい一家だ。
ブンジにしても、あの槍は綺麗な所作だったし、ヤヨイも才能がある。
ユサールなら名門武人家系として名を連ねることができただろう。
良い師に巡り合い、きちんと剣術の手ほどきを受ければ私よりも、間違いなく強くなる。
やがて、ブンタの呼吸が荒くなり、動きのキレが明らかに鈍ってきた。
体力も限界が近いのだろう、男にしては頑張ったほうだ。
彼の竹刀が大きく空を切った瞬間、私は踏み込み、彼の竹刀を軽く打ち落とした。
タンッ、と竹刀が地面に転がると同時に、ブンタは大地に仰向けで倒れた。
「ガッハハ!おなごが強い国があると聞いた事はあったが。まさかこの歳になって稽古をつけさせられるとは!全くワシは実力を測るつもりで手合わせを願ったのだぞ?それがまったくどうして、こんな事になるんだ!」
地面に横たわり汗だくで息を切らしながらもブンタは、どこか清々しい笑顔で言った。
月比古がヤヨイとフミツキを連れて駆け寄ってくる。
ヤヨイは目を輝かせている。
「全く、姉さんは趣味が悪くないか?」
「武を嗜まない貴殿には分からない世界だろう。あと姉じゃない、シグリッドだ」
月比古には少し皮肉を言ってやった。
ブンタはゆっくりと起き上がり、改めて私に向き直った。
「シグリッド殿の実力、確かだ。ブンジが・・・。弟が、子供を託すのも納得する」
彼は満足そうに頷いた。
私も構えを解き、一礼する。
「ブンタ殿、貴殿には才能がある。貴殿が翼紋章人だったら部下に欲しい所だ。どうだ、今からでもユサールに来ないか?」
「ガッハハハ!貴族の部下とはずいぶんな出世コースだ!この地がダークネスシャイン帝国に堕ちたらそれも一興だな」
ブンタはニヤリと笑った。
「それよりもだ!弟は報酬を出すと言ったのだろう?それはきちんと支払おう。アンタたちが乗ってきた鹿車とそれを引く馴鹿をやろう!だがな、アンタ達じゃ馴鹿を操れないんじゃないか?いや操れたとしてもこの平原を迷わず抜けられるか?俺達と共にダンダーチークに向かわないか?」
なるほど、ブンタのいう事はもっともだ。
ダンダーチークとは、このウホルチークのような集落の事を言うのだろうが、私はその場所を当然知らない。
そもそも今どこにいるのかすらわかっていない。
一回迷子になり行き倒れたというのに、この何処までも景色の変わらない平原を抜ける事は難しいだろう。
さらに、馬の扱いなら慣れているが、これまで見た事も聞いた事も無かった馴鹿を操るのは、簡単ではないな。
「分かった。世話になった礼もある。貴殿たちに同行し、力を貸そう」
私の言葉に、ブンタは少し安堵したような表情を見せた。
だが、すぐに別の疑問が浮かぶ。
「しかし、ブンタ殿。ダンダーチークとやらへ向かう前に、ブンジ達を迎えに行かずとも良いのか?」
私の問いに、ブンタは一瞬言葉に詰まり、視線を泳がせた。
何か言いにくいことがあるようだ。
「それはだな・・・」
ブンタが口を開きかけた、その時。
「へえ、ダンダーチークか。チークって事はここぐらいの集落なんだよね?どんな所なんだろうねえ? ヤヨイちゃんとフミツキ君は行ったことあるのかい?」
月比古が、わざとらしく子供たちに話しかける形で私の言葉を遮った。
そして、私の方を咎めるような鋭い目つきで一瞬見る。
しまった、と私は内心で舌打ちした。
そうだ、子供たちの前だった。
彼らの父親の安否に関わる話を、二人の前でするべきではなかった。
「うん、行ったことあるよ!月比古さんに教えてあげるよ!」
ヤヨイとフミツキは、月比古の問いかけに無邪気に答える。
彼は子供たちに向き直り、笑顔を作った。
「そうだなお前たち、ダンダーチークまでの道中、このお二人が乗る鹿車の御者はお前たちがやるんだぞ。しっかり頼むな!」
「「はいっ!」」
ヤヨイとフミツキが、ぱあっと顔を輝かせて元気よく返事をする。
「よし、じゃあ鹿車の準備をしてこい」
ブンタに促され、二人は月比古を連れて嬉しそうに駆け出していった。
子供たちの姿が見えなくなると、ブンタは表情を引き締めた。
「さて、弟たちのことだな」
ブンタは重々しく口を開いた。
「俺たち獣紋の民はな、見張り役を常に平原に放っている」
彼は一度言葉を切り、続けた。
「通常は二人一組で行動する。まぁだいたい夫婦だが。帝国軍を見つけたら、妻は急いでチークに知らせに戻り、夫は残って奴らの注意を引きつけ、時間を稼ぐ。帝国の連中は・・・、単純だからな。ちょっかいを出せば、そっちに気を取られて追いかけてくることが多い。その隙にチークは逃げる」
ブンタの目が、遠い過去を見るように細められる。
「今回は、ブンジが見張り役で、チトセが知らせ役だった。だが、チトセの代わりに、アンタ達と子供たちがここに来た、というわけだ。二人でおとり役になったのだろう。あるいはそうしなければならないほどの大軍か・・・」
ブンタの目が、地平線の彼方を見つめる。
その先にいるであろう弟とその妻を思っているのだろう。
その瞳は、これまでおとり役になった者が帰ってきたことがないと言ってるように感じた。
「何、心配するな。帝国軍に、俺たちがそう簡単に追いつかれることはない。それは確かだ」
ブンタは続ける。
「奴らは基本的に歩兵で、俺たちのように馴鹿も使わんからな。まして奴らは我先にと群がる。連携が取れていない烏合の衆だ。ブンジもチトセもうまくかく乱して逃げおおせているだろう」
「そうか、ならいいが。まぁ、話は分かった。それでダンダーチークへ逃げるのだな?」
私が問うと、ブンタは強い決意を目に宿して言った。
「ああ。そして、ダンダーチークで迎え撃つ。 すでに他のチークにも使いを出してある。戦える者を集め、そこで奴らを叩く」
ん、迎え撃つだと?逃げるだけではないのか?
私は息を呑んだ。
彼の言葉は、単なる避難行動ではない、戦いへの決意表明だった。
そして同時に、先ほどの自分の言葉を思い出す。
『貴殿たちに同行し、力を貸そう』
しまった!
私はてっきり、ダンダーチークという場所まで彼らを護衛するという意味で言ったつもりだった。
だが、ブンタはそれを、ダンダーチークでの戦いに参加すると受け取ったのかもしれない。
どうするか、訂正するか?
いやしかし、訂正したとして意味はあるか?
ダンダーチークに行ったとしても、そこから私はどうやって扶桑国や飛州国へ向かえばいい?
道中、フミツキに馴鹿の扱いを教わったとしても土地勘がない。
最初に飛州国を出立した時よりもブリガンテ平原の奥地に踏み込んでしまっている。
案内無しに戻る事は難しいだろう。
心の中で「はぁ」とため息をついた。
どうやら私に選択肢はないようだ。
だが気がかりなのは、私がリンゲン伯爵であるという事だ。
他国の紛争に深入りしすぎてる。
戻った際に、国に何と報告すればいいのだろうか。
迷子になって行き倒れた結果、ダークネスシャイン帝国内の紛争に肩入れしました。
と素直に言おうものなら、すぐに軍法会議にかけられるぞ。
ただでさえ、ハイザ家は姉が謀反を起こして立場が危ういというのに妹の私まで好き勝手しては、最悪家がつぶれかねん。
私は内心で自身の迂闊さを呪ったが、一度口にした約束を違えるのは貴族の名折れだ。
それに、この者たちの覚悟を前にして、今更「戦いには加わらない」などと言えるはずもない。
「ブンタ殿」
私は覚悟を決め、改めて彼に向き直った。
「私は翼紋章人でユサール王国の騎士だ。本来ならば貴殿らに肩入れできない立場ではあるが、一宿一飯の恩。この王妃近衛重装長槍騎兵第一連隊連隊長、リンゲン伯爵シグリッド・ハイザ。貴殿らに力を貸そう」
話がまとまり、私達もウホルチークの民と共に旅立つことになった。
皆、最後の荷物の確認や道踏みへの指示で慌ただしく動いている。
そんな中、タマエが私達が乗ってきた鹿車を見て叫んだ。
「この幌、何があったらこんな穴があくんだい!?まったく補修も雑だね、誰がやったんだい!!」
タマエの驚きの声を聴き、私は思わず顔をそむけた。
それは私が薪を斬ろうとして、薪を吹き飛ばしてあけた穴だった。
「あの人がやりました」
月比古が私を指さす。
タマエの呆れたような視線が痛い。
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