03-06
ミキオは、就寝の直前までフォーマルな服装から着替えないというポリシーを持つ変わり者であった。
仕事を終えた夜間にも関わらず、ワイシャツとネクタイを着用し、黒いスラックスと革靴を履いていた。
肌の色は透き通るように白く、体躯は細身の長身。
傍からは不健康そうに見えるが、大病を患ったことは一度としてなく、至って健康そのものである。
髪の色は黒で、生涯において髪色を染めたことはない。
やや長めの髪はセンターで分けられており、癖っ毛が故に全体的に外ハネしている。
視力が悪く、黒縁のウェリントン眼鏡を掛けている。
レンズの奥に覗く目は細く、切れ長の奥二重。
シズヤとの通話を切ったミキオは目を細めると、切れ長の目が更に鋭くなる。
内閣総理大臣公邸にある自室を出て、重い足取りで廊下を歩く。
向かう先は内閣総理大臣である父、西島マタイチロウの部屋。
マタイチロウは衆議院議員であり、与党である自由勤民党に所属している。
そして、マタイチロウの次男であるミキオもまた衆議院議員であり、自由勤民党に所属していた。
所謂、二世議員である。
父親の部屋の扉の前で立ち止まるミキオ。
深呼吸で息を整え、感情を殺し、意を決して扉をノックする。
「失礼します」
中からの反応を伺うミキオ。
「ミキオか、入れ」
父親に促されるままに、ミキオは扉を開けて部屋の中に入る。
室内は首相の公邸らしく、古いながらも荘厳な造りとなっている。
シルクのガウンを着たマタイチロウは部屋の奥にある椅子に座り、机の上のノートパソコンを睨んでいた。
入室したミキオの顔を老眼鏡越しに一瞥すると、すぐに視線を元に戻す。
「その顔、どうやら失敗したようだな」
図星。
日頃から他人に感情を読み取られないように意識をしているミキオであったが、その練度が高い父親には通用しない。
「はい、申し訳ございません」
ミキオは直立の姿勢で、深々と頭を下げる。
「もうとっくに逃げたんだろう? ルイは」
頭を上げて父親と目を合わせるミキオ。
「シズヤの情報によれば、一時間前には、既に」
「私の手の者も差し向けたが、やはり間に合わなかったようだ。イルミンスールの記念会館は辺鄙な所にあるからなぁ」
「残念です」
「他の議員連中からも情報が来ている。警察や消防も今のところルイを発見していないそうだ」
「左様ですか」
「教祖の藤原ナユタは用心深い男でなぁ。それが何故こうもあっさりと死ぬことになったのか――」
マタイチロウは老眼鏡を外し、ノートパソコンを閉じると、遠い目をする。
「ミキオ、お前を責めるつもりはないが、どうにか出来そうなところで、どうにも出来なかったのは致命的と言わざるを得ない。そうだろう?」
「返す言葉もございません」
「このまま教祖が不在の状態はよろしくない。信者が離れれば、我が党の票田も資金も減るからな」
「はい」
「ルイが野放しになっているのもよろしくない。用心深いナユタが後生大事に隠していた資料を持ち逃げし、それを公表されれば私たちはかつてない苦境に立たされることになるだろう」
「はい」
「私の理想としてはルイを捕まえ、穏便に話し合いをし、良き友として二代目の教祖になってもらうのが一番なのだがね」
「仰る通りです」
「教祖不在の状態が長引けば、彼の国から新たな教祖がやって来ることになるだろう。それだけは避けねばならん。この国はいいように操られ、世界中に私達の失態を曝すようになるからな。分かるだろう?」
「勿論にございます」
眉間に皺を寄せ、額に血管を浮かべ、握り拳で机を叩きつけるマタイチロウ。
「分かっているんならさっさとあのガキを捕まえて来い! この役立たずの馬鹿息子が!」
ミキオは父親の迫力に圧され、直立不動のまま全身に嫌な汗を掻く。
「警察、消防、報道、イルミンスールの幹部連中には根回しをしてある。真実がすぐに世に出回ることはないだろう。しかし人の口に戸は立てられない。情報という物はだな、いずれ! 必ず! どこかしらから! 漏れ出すものだ! だが、その前に! その前にだ! 必ず藤原ルイを捕らえ、二代目の教祖としてイルミンスールに戻るよう説得するんだ! いいな!」
固唾を呑んだミキオは、何とか言葉を絞り出す。
「……畏まりました」
恭しく頭を下げると、額の汗が床に落ちる。
「ったく、動物愛護などというくだらんもんにばかり精を出しおって。動物なんぞ助けてもな、選挙で票をくれる訳でもなければ金をくれる訳でもない。そもそもお前をこんな偽善者になるように育てた覚えはない!」
「……すみません」
「うちの息子どもは揃いも揃って大馬鹿者だ。困ったものだよ、まったく」
「……返す言葉もありません」
「もういい。出て行け」
「……はい。失礼します」
ミキオは頭を上げ、もう一度頭を下げてから部屋を後にする。
そして自室に戻り、パジャマに着替えて布団に入ったミキオであったが、なかなか寝付けずにいた。
気を紛らわせるために、スマートフォンでシズヤにメッセージを送る。
『案の定、怒られた』
すぐに既読マークが付き、返信が来る。
『気にすんな。俺もバチクソ怒られた』
ミキオは少し笑って気が楽になると、スマートフォンの画面を切り、眠りについた。
翌朝、カーテンの隙間から射し込む陽の光で目覚め、ミキオは起床する。
キッチンで野菜と果物と豆乳をミキサーにかけ、自作したスムージーをコップに注ぐ。
コップを片手にリビングに移動し、リモコンを反対の手に持ってテレビの電源を入れる。
ザッピングをしていると朝の情報番組が目に留まった。
映っているのは、昨晩に火事があったことを生中継で伝える女性レポーターと、ドローンで空撮された黒焦げのイルミンスール記念会館。
正門の前には警察と消防によって規制線が張られ、敷地の中に入ることが出来ないようになっていた。
読み上げられる情報は、曖昧なものばかり。
放火の可能性を否定もしなければ、積極的に肯定もせず、詳細は調査中といった内容である。
ただし、ひとつだけ確定的な情報がテロップで表示されていた。
【性別不明の遺体を発見 女性一名が意識不明の重体】
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