Ep24 STAIRS

「本当に君は、良くも悪くも我々の期待を超えてくれるな」

 夜、作戦の報告書を渡しに本部へ赴くと、ムッとしたような様子のレーレライにそう言われた。

「学生は本当に良いよな。君が派手に要塞を吹っ飛ばしたせいで、こっちはもう考えたくもないほどの量の書類仕事に忙殺されているというのに。課題だけこなしてりゃ何も言われない自分に戻りたいよ」

 彼女の大きな目の下に大きなクマができている。2日ほどは寝ていないというような様子だ。机の上だけでなく周辺の床にまで、彼女がサインをするべき書類が山積みになっている。

「申し訳ありません」

「いや、良いんだ。それと、お前の今後の処遇についてだが…」

 レーレライはまるでエベレストのような紙の山から数分かけていくつかの書類を探し出し、僕に渡した。昇進に関する通知書だった。

「今回の貴官らの功績が認められて、この作戦での臨時小隊が『スコーピオン小隊』として正式に認可されることになった。今後はマルクス・サヴォイア三等魔術士官を指揮官として任務にあたってもらう。君は護衛の任務があるから指揮官の地位に縛られるわけには行かない。小隊の指導者メンターとしてこれからも職務に励んでくれ、レラティビティ

「…今、三等将校と聞こえたような」

「聞き間違いじゃない。「アスラーン・サイエンティスト」ではなく「イスラフェル・フォン・レラティビティ」として悪魔を倒したから、その功績を認めて表向きにも正式に三等将校として軍に迎えることになった。いま王都でトレンドのイズを中途半端な将校補にするわけにもいかない。実質的には2階級特進だな」

「嘘ですよね?私はまだ15歳ですよ」

「まあ、皇太子殿下が学院におられる限りはイズも学生だよ。流石に任務を放りだして無理やり魔術学院を中退させるわけにもいかないだろう。しばらくは肩書だけだ」

 本当に、人間のすることは先が読めない。


 * * *


「至急王城まで出向け」

 一晩明け、寮にこんな通知が届いていた。あらかた侯爵杖授与式についてだろう。呼び出す目的を何も書かれていないのが少し気がかりではあるが、大したことはないはずだ。

 クローゼットから正装を取り出して身につけ、STVSを身につける。

「お前も大分くたびれてきたなあ」

 表面に傷がたくさん付いたSTVSを見て、僕はそう呟いた。魔力鉱といえど無敵ではない。壊れるときは壊れる。はじめは使いやすかろうと思って両刃にしたが、いざ刀に慣れてくると案外使いづらいものだ。片刃のほうが使いやすいと感じることが多い。やはり、日本刀のシルエットはその長い歴史の中で洗練されたものなのだ。

 そんなことを思いながら寮を出て乗合馬車を捕まえ、王城の近くで降りた。レラティビティ家は貴族としてはまだまだ小規模で貧乏だ。専用の馬車を用意するほどの力はない。

 王城の正門から入り、忙しなく働く官僚たちの横を通り過ぎて正面巨大な玄関にたどり着く。左右に3人ずつの門番を置いた、豪華なものだ。

「イスラフェル・フォン・レラティビティ子爵です」

「わかりました。少々お待ちください」

 来客用の受付で自分の名前を伝え、受付係のメイドが名前を訪問予定者の帳簿と照合するのを待つ。

「レラティビティさま、ただいま案内人がやってきます。もう少しだけお待ちを」

 しばらくして王国軍の制服に身を包んだ、見覚えのある男がやってきた。

「ホマレ二等士官…だったか?」

「はい。お久しぶりです。ご活躍は聞いております」

「そこまで大層なことはしていないよ」

「では、ご案内いたします」

「ああ、よろしく」

 王城の派手な階段を登っていく。やがて人通りが少なくなり、王族の付き人たちだけが通りすがるようになった。それでも尚階段を上がり、たどり着いた先は…。

「…国王執務室」

 思わずそう漏らしてしまうような場所だった。

「レイヴンの軍服に着替えていただけますか?」

「ああ」

 まあ、流石に国王ならレイヴンも知っているか。懐からカラスのバッジを取り出し、左胸につけて礼服を制服に変える。

「イスラフェル・フォン・レラティビティ一等魔術士官がいらっしゃいました」

「入れ」

 まさしく「強い男」というような太い声だ。

「失礼いたします」

 部屋に一歩入り、間髪を入れず最敬礼をする。息子と同じ金色の髪を後ろで結んだアスターテ国王ヴァサーゴ・フォン・アスターテが、本棚に囲まれたデスクに座っている。

「5月以来だな、レラティビティ一等士官」

「ええ、再びお会いできて光栄です」

「私は堅苦しいのは苦手なんだが、まあいい。チェスはできるか?」

「少し学んだ程度です」

「それでいい」

 ヴァサーゴは立ち上がり、ガラス張りの戸を開けてベランダに出た。椅子が2脚と、コマが並べてあるチェス盤が載っている机が置かれていた。

「私が後攻をやろう。手加減はいらんぞ。座ってくれ」

 ヴァサーゴは黒い駒が並べられている側に座った。

「失礼します」

 前世でもチェスはたまにやった程度だ。多少定石がわかるくらいだな。少し考えてE2のポーンを手に取り、E4に動かす。ヴァサーゴもそれに倣うかのように自らのポーンをE5に動かした。

「息子が世話になってるな」

 ヴァサーゴが話しだした。

「いえいえ、アスターテ王国の民として当たり前のことをしたまでです」

 その間にも駒を進める手は止めない。

「この一年の間に爵位を3つも進めているな。もちろん内心では快く思っていないものも居るだろうが、貴族たちも概ねお前を祝福している」

「ええ、とてもありがたいことです」

 11手目、自分のナイトをクイーンの前に展開する。

「最初に15歳の若造がレイヴンに入ったと聞いて本当に大丈夫かと思ったよ。だが、実力は折り紙付きだった。君になら安心してアズラエルの護衛を任せられそうだ。しかしこんな子どもを軍人になんて、アスターテはこれから先どうなるかわからんなあ。お前はどうするべきだと思う?」

 25手目、ヴァサーゴはクイーンを前に押し出した。

「悪魔を召喚したのは、誰がどう見ても大規模な組織でしょう。将来、確実に軍を動かすほど大きな戦闘が起きる。そのためには今は国力を強化し、兵を鍛えるしか無いですね」

「そうか…」

 また少し考え込み、ヴァサーゴは駒を進めた。

「魔物の眼の前で、腰を抜かして動けなくなっている若い男が二人いるとしよう。片方は平民、片方は貴族だ」

 まるで面接のような雰囲気だ。いや、実際そうなのだろう。

「お前はその魔物を倒せるが、一度に二人を守りながら戦うことはできない。お前は貴族と平民、どちらを助ける?」

 そんなの決まっている。

 僕は36手目、A4のポーンをB5に進め、黒のポーンをひとつ壊した。本来ならクイーンを動かす局面、一見すると全く意味のない手だ。

「二人を助けて、とりあえず逃げますね」

「ふむ…。?」

「ええ。魔物なら後で倒すことができるかもしれませんが、人命はその瞬間しか助けられません。案外、打開策というのは後ろに一歩下がったところに転がっていたりするものです」

 順調に対局を進める。

「いやはや、これはまいったなあ」

 ヴァサーゴが感嘆の息を漏らす。

「確かに36手目の時点ならクイーンで切り込むのが最良の選択かもしれません。しかしそこから9手先の時点でどうしても戦術的優位を失ってしまい、最終的には私の負けになってしまいます。35の時点で8手先まで読めば、45手目の時点で絶対的な優位を確立できるPポーンaxB5という手に気づけます」

 盤上には懐深く切り込まれ、もはや修復不能なほどに崩されたヴァサーゴの陣があった。

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