無数に存在する冴えないやり方

スロ男

🍎

 午休ひるやすみに屋上でぼんやりしているのは孤高を気取ってるのでも世を儚んででもない。欄干にもたれて煙草でも吹かせば少しはさまになるのだろうが建物内は禁煙でルールを破る気概すらない。

 十年も前であれば少しは何かが違ったのだろうか。どうだろう。よく覚えていない。

 すっかり老朽化した自社ビルの欄干はまだ真新しくピカピカと輝いている。付け替えられたのがいつだったか忘れた。

 だが大きな事故があってそれで替わったのだった。

 もたれかかった若手社員の重みを受け損ねてへし折れた欄干。落ちていく若い男。自由落下。そして地球との接吻。最悪の逢瀬ランデヴーだ。

 少し風が強い。

 

 そういえばあの時から屋上への扉に鍵がかけられるようになったのだ。

 蛇の道は蛇というやつで俺は鍵を持っている。鍵は持っているが昼飯はない。

 腹が減った。

 何にでも攻めるべき時機というものがあって引き際がある。それを見誤れば空かした腹を撫でながら下界を見下ろすことしかできないのだ。

(初当たりは早かったんだけどなあ。そこそこ連もしたし。引き際が下手くそ過ぎたわあ)

 まったくもって生活とは世知辛い。

 などと自分の腹を宥めすかしているときに隣に若い男がいることに気づいた。

 後輩の——名前は覚えていない。名前を知らない後輩が俺と並ぶようにして欄干にもたれている。

「えっと……煙草でも吸いにきたのかな。吸殻はちゃんと持ち帰ってね。管理責任問われちまう」

「……うす」

 視界を下界に向けたまま名も知らぬ後輩はおそらく返事であろう言葉を返した。煙草を吸い出す気配はない。まあ変わった奴は世の中には掃いて捨てるほどいる。

 とはいえ幾らでも寄る辺はあるのにわざわざすぐ近くまで来て関心を寄越さないというのは一体これはなんなのだ。新手のいじめか。教育熱心ではないが嫌われるようなこともしてきたつもりはないのだが。

 腹が鳴った。

 後輩の視線が向けられる。

「食べます?」

 そういうと彼は手に提げていたレジ袋から少しくすんだ色の林檎を取って差し出した。


 午休みになると度々彼と出会でくわすようになった。部署が違う(つまり階が違う)せいで普段目にすることは少なかった。無口だった彼も少しは話すようになった。ずっと鍵のかかっていた屋上に何の気無しに向かったところ錠が外れていたので入ったのが最初だったという。彼は非喫煙者だった。

「また負けたんですか?」

 彼は少し笑いながら林檎を差し出す。無言で受け取って一口齧る。酸っぱい。彼は俺がオケラで昼飯を食う金がないときだけ屋上を開けていると勘違いしている。

「林檎が食いたくなっただけさ」

「酸っぱいでしょ。味は強いけどで食うには向かないんですよ。いらないといってるのに送ってくるんだから」

「乙なもんだぜ。慣れるとこの酸味が林檎なんだなあって気になってくる」

「そんなの先輩だけでしょ」

「寒くなってきたな。急に」

「そうですね」

 林檎の収穫時期はとっくに過ぎた。彼がここに来る理由もなくなるような気がしてた。だが別に彼は新種のペットに餌付けをしたいと思ってここに来ているわけではないかもしれない。

「一口もらってもいいですか?」

「あ? ……おまえさんの林檎だ。一口といわず丸々食べたらいい」

「先輩のそれが美味しそうだから一口欲しいんです」

「……好きにしろよ」

 俺の手の中にある食べかけの林檎を手ごと掴むと彼は引き寄せ一口齧った。

「酸っぱい。やっぱり酸っぱすぎですよコレ」

 彼の屈託のない笑顔を初めて見た。


「宇宙ってなんにもないらしいですね」

 珍しく手ぶらで来た後輩が隣に来るなりそう云った。寒風吹きすさぶなか久々に彼と会話を交わした気がするが精々二週間ぶりといったところだろう。懐は暖かい。

「なんにもないってことはないだろ。太陽だって月だって……星だってある」

「密度の問題ですよ」

 彼は何故か誇らしげに云った。

「遠くから見たら幾らでもあるように見える。でも実際には遠い。俯瞰して見るより殊の外遠い。たとえば——」

 彼の手が俺の手に覆い被さる。

「男を好きな男とかテレビでもフィクションでもザラにあるのに現実で出逢うとなれば」

 俺は彼の手を振り払った。

 そして俺はここに来るようになって初めてルールを破った。

 つまり煙草を吸った。

 も煙草は吸わなかったが煙草の匂いは嫌いじゃないといった。俺は嫌われるなら禁煙すると言いだすようなタマではなかったがそれでもちょっとうれしかったのは覚えている。

「そもそも俺は男が好きだったわけじゃなくてあいつが好きだっただけだ。おまえさんが女なら喜んで乗っかったかもしれないが俺の性的嗜好は男へは向いていない」

「じゃあなんであの時——」

 それ以上彼は何も云わず立ち去った。

 まだ午休みの終わりには時間がある。

 俺は花を添え食べかけの林檎を供えた。

 人と人がいれば惹かれたり反発したりする。至極当然のことでマイノリティであると自覚するなら当然同じ嗜好を持つ者に惹かれるだろう。

 だがそんなのは手近なところにヤレそうな相手がいると思っただけのこと。それ以上でも以下でもない。

 それが不純だとは思わないが誰もが同じようなものだと。とりわけ俺がそうだと思われることには耐えられないだけ。

 単にそれだけの話だ。

『じゃあなんであの時』という後輩の言葉を思い出して申し訳ないことをしたなとは一瞬思った。

 酸っぱいとあまりに無邪気にいうものだから思わず——

 男とやりたい男ではないと素直に云っただけだ。あいつの代わりには決してならないだろうが俺はあの男を抱けただろう。

 俺は一言も「おまえのことは好きではない」とは云わなかった。

 だがそんなのもどうでもいいことだ。

 宇宙はあまりに寂しすぎるし地球はあまりに賑やかすぎる。

 大きすぎる引力に惹かれれば後は死への自由落下だ。

 林檎なんてなくても無学の俺でもそんなことは——現代人なら誰でも知っている。

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