【逃亡賢者外伝】逃亡(終了後)賢者のぶらり旅 ~安寧の地を飛び出してこの世界を楽しみます~

BPUG

1−1. 始まりは唐突に

【前書き】

皆さん、ご無沙汰しております。

2月10日本日の逃亡賢者2巻発売を記念し、温めたネタを投下したいと思います。更新は月、水、金を予定しています。


話の時期としては、ハルとイーズの結婚式からしばらく後になります。

季節は4月ごろ、ハル25歳、イーズ25歳です。



【本文】

 すっきりと晴れ渡った青空が、枝葉を大きく広げた木々の向こうに見える。

 こんな天気の空を火龍バドヴェレスの運ぶ籠に乗って飛んだら、さぞ清々しい気分になれるだろう。

 いや、水龍アズリュシェドの背に乗って大河をくだるのもいい。

 水飛沫が舞って、虹のように煌めく様を見て歓声を上げるのだ。

 きっと、いや、絶対、楽しいはず。フィーダとメラの二人の子供ハリスとルイーズも大喜びするに決まっている。

 アズなら調子に乗ってぐんぐんスピードを上げて水面からジャンプしたりして。


「おーい、イーズさんや。現実逃避からそろそろ戻ってきておくれませんかねー」


 ああ、なんと無粋な声よ。


「きょぅ」

「みぴょ」

「はい、すみません」


 イーズの腕の中にいるシュガーマンドラゴラのサト、ハルの服のフードに隠れたモンクフルーツマンドラゴラのアモがささやかな声をあげ、イーズはシャキッと背筋を伸ばした。


「おい! 何をコソコソと!」


 正面に立つ男が気色ばんで声を荒げる。


「あああ……平和な旅のはずが」

「夢のまた夢でしたねぇ」

「けきょん」

「みぴょ」


 ため息とともにハルは肩を落とし、イーズも半分感情の死んだ目を正面に向ける。

 そこにはハルたちをぐるりと囲み、鋭い槍の切っ先を向ける男たちの姿。


「どうしてこうなった……」

「至極同感です」


 ヘラリと笑って両手を上げるハルに、イーズは重々しく頷いて同意を示したのだった。




 ――家族になろう。ずっと一緒にいよう。


 その願いを誓いの形にしたのは数か月前。

 ひっそりと、あるいは厳かなという表現とはかけ離れた結婚式を挙げたハルとイーズ。

 そこに至るまでのてんやわんやに一進一退と紆余曲折、七転八倒、喧々諤々などすべてを語ろうと思うとフィーダの食レポ一冊分よりも長くなる。今すでに十冊を超えているというのに。

 でも記念すべき初夜に新妻を放って泥酔から爆睡したハルの黒歴史は、確実にロクフィムの男たちによって永遠に語り継がれるであろう。


 その後しばらくハルは「忘却の魔法を作り出せないか」などと暗黒に支配された日々を送り、結局最後には「10t」と描かれたハンマー状の氷を振り回して、物理的に記憶喪失を生み出そうとして新妻にド叱られることとなった。

 冒険者や町の人々に「勇者夫婦の力関係を見た」、とこれまた大笑いされていたのはまだ記憶に新しい。


「イーズ! 新婚旅行行こう、新婚旅行! あ、ただいま」

「なんですか、突然に。はい、おかえりなさい」


 庭でハリスと一緒に野菜の世話をしていたイーズに、町から戻ってきたハルが唐突に宣言した。

 四歳になったハリスは美味しいトマトを妹に食べさせるのだと、毎日の世話を欠かさない。

 まだ足元のおぼつかないルイーズはメラに手を引かれて、ゆっくりと畑の周りを散歩している。


「気分転換にいいと思うんだよね、新婚旅行! 結婚式でずっと忙しかったし!」


 両手を腰に当て、物凄い良いアイデアだろうと自慢げなハルを見てイーズは目を細める。

 ハルのような心理眼はもっていないが、なんか怪しいにおいがプンプンする。決して畑の近くにある堆肥のせいではない。


「おい、町の奴らに揶揄われすぎて、逃げ出したいだけだろうが」

「パパぁ! おかえり~」

「おう、ただいま」


 厩舎に馬を戻したフィーダがため息交じりのガラガラ声で告げる。

 早速駈け寄ったハリスを抱き上げたフィーダに、メラも柔らかな声で「おかえりなさい」と声をかけた。

 今日ハルとフィーダは、ロクフィムにあるターキュア商会に腐海の魔獣素材を売りさばきに行っていたはず。

 確かフィーダはそのまま商会長となったオレニスと仕事で、ハルは冒険者ギルドで腐海の魔獣の動きに異常がないか確認をする予定だった。つまり、ハルがこんな宣言をする原因は冒険者ギルドで起こったと。


「冒険者ギルドで何かあったんです?」

「何っにも!? 新婚旅行どこがいいかな!?」


 不必要にハキハキとした声で答えるハルに、イーズの目はさらに細くなった。すでに白目も黒目も見えないほど細い。

 常夏の空の下、イーズの冷えた視線を受けてハルの目がそろり、そろりと逃げ始める。


「ハル?」

「えっと」

「ハル、素直に、ゲロゲロゲーです」

「は、はい……」


 あっさりと負けを認めるハル。結婚式以降、どうにもイーズに勝てなくなったハルは素直に白旗を上げるしかない。

 二人の様子をニコニコと見守っていたメラは、両手を上げて元気に歩き回るルイーズの手を掴み、朗らかに告げた。


「さ、お話は中でしましょう」




 カラリと澄んだ音を立てて氷がグラスの中で転がる。すでにだいぶ溶けた氷のコロッとした丸いフォルムが可愛らしい。

 一番大きな塊を手にして「冷たーい」と言いながら氷で遊ぶハリスにデレデレな視線を送りつつ、イーズは呪詛の様にぐちぐちと続くハルの愚痴を右から左へと聞き流す。


「んでさ、次はギルド長が出てきてさ、言うわけだよ。『お、賢者様! あ、いや、もうちょっとで賢者を卒業の勇者様かな?』って。勇者の次に賢者になるんだから、順番逆じゃない? なんで賢者卒業で勇者になるわけ?」

「イーズを嫁にしたのなら、十分に勇者じゃねえか?」

「フィーダ、その言い方は私に喧嘩を売ってます?」

「すまん。それより、ハル、いい加減落ち着け」


 いつまでもロクフィムの住人への文句を垂れ流していたハルは、消えかけた氷ごとコップの中身を勢いよく呷る。

 それからカンッと勢いよくテーブルに戻し、肺がべろりと口から出そうなほど長々とため息をついた。

 ため息を吐きたいのはイーズも同じだ。ハルのせいで余計な被害を浴びたではないか。

 ギロリとフィーダへと鋭い眼差しを向けてから、イーズは膝の上でご機嫌に葉っぱを揺らすサトを撫でる。癒しだ。癒しが欲しい。


「まぁ、ハルがいちいちイイ反応をするから町の人たちも揶揄いがいがあるんでしょうけど、長引いてますねぇ」

「最近は腐海も落ち着いてきたし、領主様も王都に行かれているものね」


 メラの言う通り、領主ご一家は勇者二人の結婚式に参列した貴族と共に王都に行っている。

 ハルとイーズは名ばかりではあるが勇者なので、そこそこ上の貴族がこんな国の外れまで来たのだ。

 見たこともない貴族が二人の大事な家族よりも前に座ろうとして一悶着……どころか大悶着が起こったのは致し方ない話である。


 その話は今は置いておくとして、領主ご一家がいないのでなんともロクフィムには活気がない。

 嵐のようにひたすら町を駆け回る領主がいないと、ロクフィムは穏やかで静かでちょっと物足りない気がする。

 だからと言って勇者様をからかうのはどうかと思うが、それはそれ、これはこれってやつだ。

 凶暴な魔獣が住む腐海そばのロクフィムには、力自慢や開拓に力を注ぐ熱意のある猛者たちばかりで、黒髪勇者を敬ったり畏怖したりするような人など来ない。ほんのわずかしか。


「でもさー、実際、ちょっと南の島でゆったりバカンスもいいと思うんだけどー」


 べしょっとほっぺたをテーブルにつけ、水の跡をいじいじと指でたどるハル。

 アモに丸い葉っぱの先っぽでツンツクされて、地味に「痛っ、いててっ」と呟いている。アモ、いいぞ。もっとやってやれ。フィーダが許す。


「でも実際、結婚式やらなんやらでずっとロクフィムから出てませんねぇ」


 主役が動き回るのはどうかと言われ、他の町からの参加者も火龍、水龍、土龍、風龍と一緒にフィーダが東西南北駆け回ってくれた。

 いや、一ヶ所、黒の森にいる勇者カズト一家のお迎えは前村長のレアゼルドが水龍と行ったんだった。


「ハリスもルイーズも私たちで十分よ。今まで二人に頼りすぎていたくらい」

「ちびっ子たちの成長を見るのは俺たちの趣味でもあるから、そこはいいんだけど」


 ハルの意見にうんうんとイーズも頷いて同意を示す。成長記録をつけるのは趣味と癒しを兼ねているので問題はない。

 でも二人で過ごす時間はここ最近取れていなかったのは事実。

 新婚旅行というのはなんとも照れくさい。だけど、このタイミングじゃないと二人だけで出かける口実は持てない気もする。

 イーズはもにょもにょと口元を動かし、ちらりとフィーダとメラを順にみる。

 フィーダは口角を吊り上げてどこかの悪役染みた笑みを浮かべ、メラはルイーズの両手を持ってぎゅっとガッツポーズ風な合図を送ってきた。

 後押しされてしまっては仕方がない。ここはイーズも覚悟を決めよう。


「それじゃ、行きますか、新婚旅行」

「よっしゃ、行こう!」


 イーズの声に、ハルの顔が勢いよく上がる。直後――


「ビョミョ!?」

「ぶふぁ!」


 驚きに体を震わせたアモが、意図せず振り回した葉っぱがハルの頬にバシリと綺麗に決まった。

 頬を押さえて呆然とするハルの横で、さすがに今のはだめだぞとアモに向けて頭をフリフリするサトの姿があった。



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