文芸部の後輩の距離感がだいぶおかしい。10cm→ 0cm→ △10cm→ ∞cm  ⌘ 詩魔

森野 曜衛門

第1話  10㎝

 まあ帰宅部でも良かったんだけど、ラノベや漫画だって読み放題、最高じゃんと思って入ったのが文芸部だった。

 一年間は特になにもなく、漫画とラノベを小一時間ほど読んで帰宅するという怠惰なコンテンツ消費生活が送れた。

 2年になると部員は3年に二人、2年は僕一人、1年生はいなくて、3年は受験で自習室で、部室に1人きりということも多かった。

 転校してきた1年生が、文芸部に入れてくれと扉を叩いたのは夏休み前だった。


「わたしを文芸部に入れてください。詩が趣味なんです」

 女子だった。それもわりと可愛い系の。 

「いいけど、3年の部長に聞いとく。でもうちの部、そんなガチの部じゃないけどな」


「わたしは矢追サクラです。サクラって呼んでください♡」

 にっこり笑って僕を見つめる。近づいて見つめる。近づく、近づく……

「近いっ! 近すぎるよっ」

 こいつ距離感が変だ。初対面なのに。


「目が悪いんです。これからお世話になる先輩ですもの。どんな人かよく観察しなきゃいけませんよね」

「そうなのか。じゃあ、あれを上から順に読んでみて」

 僕は壁の視力検査のポスターを指差した。読書で目が悪くならないように顧問が貼ったものだ。


「上、下、右、左、左」

「……2.0だな。って鷹の目じゃねえか!」


 こいつメンヘラ系か? だいたい文芸部に入ろうなんて女はどこかしらメンヘラ要素がある気がする。

(※注 主人公個人の感想です。たいへんに偏向したものであり、作者の体験・思想・信条を表現したものではございません)


「ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします。雨森先輩っ♡」

 ふつつかものって…… 嫁に来るんじゃないんだから。


「お名前は雨森敦史さん、1月生まれの水瓶座。好きな食べ物はカレーと焼肉」

 は?

「ん? てか、なんで僕の名前知ってんの?」


「ラノベと漫画はなんでも読むタイプだけど、最近は百合作品にご執心。合ってますか」

「こっ、こえええええぇよっ!」


「だってこれから所属する部活のことを下調べするのは当たり前じゃないですか。部室で2人っきりで過ごすこともあるんです。そこで恋が芽生えたり、あんなことやこんなことをするかもしれないんですよっ」


 じゅるるるっ。

「よっ、よだれ、おまえよだれ出てるぞ⁉︎」

「これは心の汗です!」

 涙みたいに言いやがった。


「とにかく拭け」

 僕はティッシュを渡した。


 拭いたあとサクラは僕に恥ずかしそうに手渡す。

「どうぞお持ち帰りいただきお好みの用途にご使用ください」


 お好みの用途ってなんだよ⁉︎ 頬を赤らめてなに想像してんだ。

「いらねえし、汚れものを渡すんじゃない」

「ぜんぜんっ汚くありません。美少女のよだれは"飲みもの"って言うじゃないですか」

 どこの変態の発言だよ⁉︎


 サクラは文芸部の唯一の1年生となった。後輩である。

 可愛い女子が入って嬉しいかというとそうでもなかった。顔は可愛いけど、メンヘラ要素大だ。それに真面目に創作する部員が入ったら、この怠けた楽園が失われてしまいそうで。


 その日、相変わらず僕はラノベとかを読んでいた。後輩のサクラはiPadで詩を書いている。


「先輩も詩を書きましょうよ」 

「えっ、僕はいいよ」


「3年前先輩は中学生でしたよね」

「ああ。てか、サクラも中学だろうよ。


「先輩の中学であった隕石雨、憶えてますか?」

 覚えている。いやいま思い出した。久しぶりに聞いたな。怪我人も出たんだ。僕だって放射能汚染で医療措置もされた。

「ところどころ記憶が怪しくなってるけど」


「先輩の初恋って中学ですか?」

「え?」

 なんでそんなことを聞くんだ。って言うか、まだそんなに親しくもなっていないのに先輩後輩でそんなことを聞くというのはどうなのだ。

 土足でズケズケと人の家に入ってくるような遠慮のなさだ。


「なんで分かるんだ?」

「えへへ。わたし先輩のことなんでもお見通しなんですよ。先輩の知らないことも」

 怖っ。気持ち悪いやつだ。


「初恋憶えていますか?」

「ぼんやりとはな。そう、詩が好きな女の子だった」

 奇しくもこいつと同じだった。


「うふ。先輩は詩が好きな子が好きなんですよ」

 そう言って自分のことを指さした。なんだその無駄な自信は。


「その娘の詩を憶えてますか?」

「え? いやさすがに」

「そうですか……オペレーションが効いてますね」

 不思議なことを言って残念顔をする。


 また別の日だった。

「ねぇ、せんぱ〜い♡ わたし詩を創ったんです」

 朗読するから聞いてくれという。

「いいけど」

 サクラは僕の隣に座った。部室には椅子はたくさんある。


「そっちも空いてるぞ」

「この椅子がいいです。座り心地とか」


 ぜんぜん同じ椅子じゃん。

「一緒だろ。そんなの」


「ふむう。じゃ座り心地のいいところに座ります♡」

 サクラは僕の膝に腰掛けようとする。

「こっ、こら!」

「だって先輩が座り心地のいいとこって」

 ぷうっと頬を膨らませて、また隣の椅子に腰掛ける。


 近い。僕は距離を取る。

 椅子を引きずりまた接近する。逃げる。近づく。動きを繰り返す。僕の椅子の背中が壁に当たった。

「ふふっ、先輩、もう後はないです。追い込まれましたね」

 それバトルものの佳境で敵が言うやつ⁉︎


「離れたら大声で朗読しなきゃいけないでしょ。恋の詩の情緒がなくなっちゃいます」

「いいから寄るんじゃない」


「先輩はコミュ障を治す必要があります。他者に対する距離感が大きいんです。物理的な距離を近づければ、心理的な距離も近づきます」

 急に小難しいことをサクラは言い出す。

「初対面の人は1.2メートル。友人やクラスメイトだと45センチから1.2メートル、家族や恋人なら45センチ以内です」


「いや、これ45センチ以内だろ」

 家族や恋人の距離だ。


「サクラは距離感おかしいよ」

「そうですか? 日本人のパーソナルスペースが大き過ぎるんですよ」

「ここは日本なんだから、そういうとこ間違えると変な男に好かれるぞ」

「心配してくれてるんですか。大丈夫です。この距離感は先輩だけですから」

 どういう意味だ。

「とにかくわたしで距離感に負荷をかければコミュ障が治りますよ」


 分かったような分からないような気分の僕をよそに、サクラは詩を詠み出す。


「エタニティ


 永遠は何処にもない

 なにもかもが 往き過ぎ 遷り 消える

 恒星や銀河でさえ永遠を望めない

 わたしたちはそう習う


 でも永遠という言葉はある


 愛もまた実在しない

 それも言葉でしかない」


 恋の詩を朗読しながらサクラは僕の目を覗き込む。


 サクラはなんかいい匂いがするんだ。どこかでかいだことのあるような匂い。

 僕はこの詩を知っている。中学のときに好きだった子の詩だった。思い出したんだ。

 僕の口から続きの詩が出ていく。


「永遠も愛も等しく実在しない言葉だとしたら

 愛だけは永遠になり得るのかな?


 君の愛が欲しいよ」


 記憶が蘇る。

 あれは隕石雨ではなくてテロだ。テロということを政府が隠蔽したのは社会不安を招かない配慮だった。そして僕たち中学生も教師も記憶を改変された。不都合な事件の真相は葬られた。


「思い出しましたね」

 サクラが嬉しそうに微笑んだ。


 2人の距離は10㎝。

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