11 はじめての夜

 水、五十四リットル。


 ロビーに並べたダンボールを見て、景虎は満足げに頷いた。運ぶのにかなり苦労したけれど、こうして物資が一つの場所に集積しているのを見ると、たまらない満足感がある。


 ツナ缶。コーン缶。トマト缶。鯖水煮缶。鯖味噌煮缶。牛肉の大和煮缶。カレー缶。コンビーフ。アスパラ缶。マッシュルーム缶。カニ缶。合わせると五十缶近く、水の横に並び、色とりどりに光っている。


 ああ……!


 どうしてこう缶詰というものは……!


 見ているだけでまるで、ゲームのアイテム図鑑が埋まっているような、そんな感覚を与えてくれるのだろう? ……いや逆か……? ゲームのアイテム図鑑が缶詰の満足感を模しているのだろうか?




 そして。


「うっほほ~~……すっご~~~……」


 テーブルの上にはディナー。


「ま、初日だしな」




 ツナ缶とコーン缶を贅沢に使った、和洋折衷な醤油味のパスタ。コンソメの下味をつけたパスタに、ツナの旨味と油が絡み、そこにしゃきしゃきぷちぷち、甘いコーンが混ざって食感にアクセントを加える。ドカ食いするには持ってこいのパスタだ。景虎はよくこれにバターを落とし、一度に二人前を夜食としていた。もっとも今はそれが二人分だったけれど……これだけではない。


「え、これ、なに? ちょ、え、かりんとう……?」


 パスタの横に盛り付けられた、てらてら光る、黒褐色をした氷砂糖のようなものを指さし、エリスが不思議そうな顔をする。


「乾パンの黒糖蜜がけ」

「なにそれ絶対うまいじゃん」


 食べると喉が渇く、堅くて子どもや老人には不向き、栄養バランスが偏っている、と、昨今ではあまり非常食として評価されていない乾パン。だがだからこそか、料理の材料として活用するレシピは多くある。中でもこれは景虎のお気に入りだ。黒糖を暖めて溶かし蜜にして、乾パンにかけて固まるまで放っておくだけ、と作るのも簡単極まりない。


「ほへー……こんな綺麗になるんだぁ……」


 指で一つ摘まみ、LEDランタンの明かりに照らすエリス。固まった黒糖蜜は宝石のような輝きを放ち、エリスの顔に複雑な影を落とす。


 そして乾パン越し、風呂上がりの彼女がそうやっている様に、景虎の心臓がとくんっ、と軽く跳ねた。


 エリスの黒い濡れ髪が、黒糖蜜より深く艶めいている。


 湯上がりの髪はまだ少し濡れていて、ぱらぱら、つやつや、彼女の動きに合わせ、ゆらゆら揺れている。ハンディファンで乾かしたのはあまりよくはなかっただろうが……どうせだから、と、一番高いシャンプーにリンスにヘアなんたらかんたら……と景虎が聞いたこともないようなモノで手入れしたらしい髪は、まるで湧き水のように輝いている。そしていかにも触り心地が良さそうな、ふっくらとした頬が微かに、赤く色づいている。寝間着の青いTシャツから覗く腕はほっそりとして、Tシャツと腕の隙間から中が覗けてしまいそうで、それなのに……。


「……ま、食事のあとでな」


 んんっ、と軽く咳払い一つすると、景虎は気を取り直して箸を持つ。


「これは……え、お箸?」


 エリスも割り箸を手に取る。パスタにぃ? という顔をしていたけれど、笑顔だった。元デブ同士、話は既に通じているようだ。


「ちまちま食うと旨さが半減するんだよコレは、ズビズバ食えズビズバ」

「あはは、なにその擬音」

「ジョジョであったやつ」

「あー、なるほど……じゃあ、うん……いただきま~すっ!」

「はい、いただきます」


 味見はしたけれど彼女の反応が気になってしまって、唇の中に麺が吸い込まれていく様を眺めてしまう。薄桃色の滑らかな唇が、遠慮無くちゅるちゅる、麺を吸い込んでいく様は小気味よくて頬が緩んだ。


「……んっ! んまっ!」


 エリスの顔中に笑顔が弾けると、景虎は少し安堵の息を漏らし、自分も麺にとりかかる。


「んっ……すごっ……アンタ、ほんと、すごいね……なんでもできるじゃん……っ……んーっ……」

「ああ……バターがありゃなぁ……」

「んーん! うまいよ! 和風と洋風が、うまく合わさってる感じ? ツナ缶のツナってさ、永久に歯に挟まるくせにそんなに味ないから私あんまり好きじゃなかったんだけど、これ、めちゃくちゃ美味しっ……このツナとコーン、ご飯乗せたら丼いけるよ!」

「ああ、そういうのは大抵、パスタに混ぜてもイケんだ。お茶漬けの素とかも、パスタにかけてオリーブオイルで混ぜるとイケるぜ、ごま油でも和風でうまい」

「えぇ~~? ほんとぉ~?」

「ホントだよ、今度やってみっか」

「うん、食べてみたいっ! ……にしても、ほんと、おいしい、これ、パスタ自体、味、ついてる?」

「ああ、ワンパン……フライパンだけで作るヤツだから、コンソメで煮てるようなもんなんだ。水も五百グラムぐらいしか結局使わない」

「あー! だからこんなにコーンと合うん、んっぐっ……」


 喉にパスタが詰まったらしく、慌てて野菜ジュースの缶を開けるエリスに、景虎はまた笑った。


「んっぐっ、こういうパスタのさ、このさ、喉に詰まる感じってさ……」


 少し不安そうにエリスが見つめてきたから、景虎はそっぽを向いて答えた。


「……おれはすき」

「…………わたしも」


 顔を見合わせ、少し笑った。


 あっという間にデザートの乾パンまで片付け終えると、二人はソファに沈み込んだ。だがエリスは空になった皿を見るとはっ、と何かに気付いたような顔をして立ち上がる。


「あ、ごめん、片付け、私やるね」


 てきぱき、ゴミ袋に皿や箸をまとめていく。


「……ん、ああ、あんがと」

「これ……さ、釣り合い、とれてるかな?」

「釣り合いって?」

「だから……その……アンタばっかに、なんか、働いてもらってる、みたいな……」


 仕事を済ませるとソファに戻ったエリスは、少々気まずそうだ。 


「別になんでもねえよ、こんぐらい……一人分作るのも二人分作るのも変わんねえし……それに、アレだ、車関係はマジで、期待してるからなオマエに」

「ん、任せて!」


 そう言うと大げさに胸を叩き、それで、震えた膨らみになんとか目を向けないように、景虎は立ちあがり、風呂場に向かう。


「さて、歯、磨くぞ」

「……え~、ちょっとだらだらしてよ~よ~」


 そう言うとへにゃり、ぐにゃり、ソファに横たわり、タコのように手をぐにゃぐにゃと振ってみせるエリス。


「……ちょっと、って、オマエ……そのまま寝そうじゃねえか……こういう状況で虫歯になるのはオマエ、酷いぞ」

「大丈夫大丈夫、寝ない寝ない、それにほら、あんただって今日、疲れたでしょ、ちょっとだらだらしたって、バチは当たんないよ~」


 くすくす笑うと、エリスはソファの横に立った景虎の手を取った。


「オ……オマエが、だらだらしたいだけだろうが……」


 予想外の感触に、一瞬、虚を突かれる。これまでだって、こうやって、ふざけたエリスが体に触れてくることは、ないわけではなかったけれど……。


「んふふ、だって、ねえ、想像してみてよ、これさ……ちょっと、極楽じゃ~ん……! 学校もない、警察もない、だぁ~れもいない! だから誰にも怒られない!」


 湯上がりの、さらさらとした肌でくすぐるように触られると、体の奥底にまでその感触が浸透していって、ぱちぱち、背骨の辺りで電気が花火のようにはじけたような、今まで一度も味わったことがない感覚がする。


 景虎のそんな内心などには欠片も気付いた様子を見せないエリスは、くすくす笑いながら、ぺちぺち、景虎の手を人差しと中指で叩く。




 暖かく、柔らかく、滑らかで……女の子って風呂場で何してるんだ……? 肌にサンドペーパーでもかけてんのか……? と、景虎の脳裏に疑問が生まれ、すぐにそれを叩き潰す。位置的に、まずい。自分の股間が彼女の頭の真横にある。




「っ……ったく……ぐうたらしやがって。だから太ってたんだぜ、俺たち」


 そう言って手を振りほどき、向かいのソファに座り直した。良かった、なんとか、脚を組むのが間に合った。


「あはは、だね~」

「にしても……オマエ、いいのか?」

「なにが?」

「その……俺は別に、家がどうなろうが、両親がどうなってようがまあ、知ったこっちゃねえけど……オマエん家は……その……」


 こんな話でもしなければ、すぐにでもまた、昨日の夜のようなことになってしまいそうだった。聞いたところでどうにもならないし、なんにもできないから、彼女から話し出すのでなければ絶対に、聞いたりしないようにしよう、なんて思っていたのに……重苦しい話題でもして気を紛らわせないと、永久に脚をほどけそうにない。


「……あ、そっか、私も話したことなかったっけ?」

「まあ、俺たち……割と、そういう話を避けてたところ、あったからなぁ」

「あはは、なんで他人事みたいに話すのアンタ」

「物事を客観的に見れる冷静な男だゼ、俺は」

「あーはいはい」


 くすくす笑いながら頭を動かし、肘掛けに頭を置き、景虎を見つめるエリス。


「ウチは……私、両親いないの」

「……養子とかか?」


 予想外の重い言葉に、なるべく軽く答える。が、そうすると返ってきたのは、もっと重い言葉だった。


「うーうん。私、ちっちゃい頃虐待されてて、それが通報されて……結局お爺ちゃんとこ預けられて……で、お爺ちゃん死んでからは、おばさんトコで暮らしてる。けどまあ、私になんの興味もないみたいだから、あのおばさん」

「……ふーむ……じゃあ……なんだ、家に帰る予定は……?」

「ないねー、むしろいなくなっててくれ、って感じ」

「なるほど」


 明日の予定は特に入ってない、程度の話題だと思いこみながら、景虎は天井を見上げ……缶の野菜ジュースを啜った。中にはほとんど残っていなかったけれど……なんと答えたらいいのか、わからなかった。


「……あはは、どう反応したらいいか困ってる~」


 そんな心情を見透かし、エリスが笑う。


「そ…………んな……くそっ、ったく、そりゃ、オマエ、そうなるだろ、普通、なんかそういう反応を返すようなことだ、って、俺にだってわかるぜ」


 けれど、そんな景虎を少し、意外そうな顔で見つめるエリス。


「自分はあんなだったクセに……景虎は、なんていうか……」


 手をくねくねと動かし、なにか、言葉を探している。言われそうなことはわかっていたから、自分から言う。


「…………全部、勉強なんだよ、俺のは」

「……勉強?」

「だから、その……家族とか、そういうのは、よくわかんねえから……だから、勉強したんだ。なんだ……普通、大切なんだろ、なんか」


 父親や母親のことが好きだったことなんてない。特に嫌いでもない。選挙で突飛な政策を打ち出す泡沫候補、程度の感情しか、あの二人には抱いていない…………と、思う。自分を育てているから、が、なんだと言うのだろう? そんなのは憲法や法律に書いてあることで、守っているのをいちいち誇るのはただのアホだ。


「あはははっ、景虎っぽい~」

「なんだってんだくそ……こっちはオマエに気を使おうとだなぁ……」

「ふふ、なんかさ、あんた今日ずっと、私にそうしてない? 私の気のせい? それとも……あはは、美少女巨乳JKになったから?」

「あっ、あのなぁ、この状況で最悪なのは、俺とオマエが険悪になることだろ。最低限仲良くやってくようにするさ、そりゃ」

「そうだけど、さ。ふふっ、でもありがと……うん、大丈夫だよ、私だってそう思うもん。でもさ……ホントに家族のこと……わかんないの……? そのー、なんて言うんだろ……」

「俺が思ってるのは……」


 今度は景虎が手をぱたぱたと動かし、言葉を探す。


「なんでみんな、自分で選んでないヤツになんかの感情を持てるんだ? ってぐらいだよ。親子の情だのなんだの……んなの、ワクチン打つと5Gでマインドコントロールされるってのと、全然同じじゃねえか?」

「あは、マジで景虎だぁ~……じゃあさじゃあさ、謝罪がわからないって、なんでなの?」

「いやだから、頭を下げると死んだ人が生き返ったり、壊れたモノが直ったりすんのかよ?」

「悪いと思っています、ってことを知れて納得はできるじゃん」

「んなの、店員にいちゃもんつけてスッキリしたいだけのクレーマーと同じじゃねえか。まだ、切腹しろ、小指を折れ、って言われた方が納得できる」

「違うでしょ! ふふっ、ったく、ホントに景虎だね~……」

「他の誰だってんだよ」

「私さ、今朝から……あ、だから、痩せてから、ね。アンタが景虎なのか、ちょっと、半分ぐらい疑ってたんだけど……うん、景虎でしかないや、あはは」

「ふん、痩せたぐらいで精神構造が変わるなら誰も苦労はしねえんだ。にしても……じゃあ……お互い、家には帰らない、ってことでいいんだな」

「ん。だね。ふふっ、あははっ」

「何がおかしいんだよ」

「いや、だってさ、私たち、この状況に順応しすぎ、って思って」

「三日ぐらいやっとくか? こんなはずない! これは夢だ! 的なやつ」

「三日は長くない? 三秒ぐらいでいいよ」

「じゃあ……これは夢だ!」

「こんなのウソよ!」

「……はい、というわけで」

「というわけでね」

「こうしてなんか、誰もいない世界になってしまったわけですが」

「はい、もうびっくりですね、気がついたら痩せてるんですから」

「なんだこれ?」

「ポストアポカリプス漫才?」

「ポストアポカリプスあるある~」

「わ~ぱちぱちぱち~」

「モヒカンにしてバギーに乗ったら、意外とみんな助け合ってて、気まずい」

「あはははは、見切り発車しちゃった」

「……にしても……」


 学校の昼休み、図書室の隅でしていたような会話を繰り返す。一息ついた景虎は脚をほどき、自分もソファに横になる。


「マジで、これ、なんだと思う? 俺は……なんにせよ、超常絡みだと思うんだが……」

「超常、って……?」

「言ってたアレ絡みのアレだよ、魔法か、SF科学か、異世界転生絡みのなんか」

「あはは、その三つって同列に並ぶことあるんだ」

「……確実にわかってることだけ、あげてみると……まず……」

「ええと……とりあえず、この近辺の人口がゼロっぽいこと?」

「だな。ってかまあ、この様子じゃあ、東京、日本、世界中ゼロでも驚きゃしないが……」

「それで……そのゼロになる過程で、争った形跡がないことも、重要じゃないかな? ってか……死体も何もなかったよね?」

「見た範囲ではな。人ん家に入ったら、案外、政府から配られた自殺薬で死んでる人たちがいるのかもよ」

「なにそれ、そんな薬配る政府ある?」

「たとえば……あと半年後に確実に人類全員が苦しみまくる形で死にます、回避する手段はゼロです、ってなったら、配るんじゃないか? そんな小説もあったし」

「う~ん……そういうことも、あるか。じゃあここはちょっと、確認だね、明日。人を見つける、に加えて、人の形跡を見つける」

「人類全員神隠しにあったにしても、解せねえよな、道ばたに荷物一つ落ちてねえ。まるきり、みんな整列して行儀良く行進してどっか行った、みたいな……」

「あはは、寝過ごしてる間に、月とか火星とかに移住したとか?」

「ここまで街が荒れてないと、マジでそれがありそうだからなあ……」

「ってか、一番わかんないの車だよね。緊急車両通るために道を空けましたー、ってぐらい、なんかみんな、路肩に車寄せて止めてあるし」

「数もだなぁ。どうなってんだありゃ、駐車してある車じゃなくて……まるきし、通行してた車がみんな、そのまま路肩に移動して車を止めた、みたいな……」

「なんか……怪獣でも見たのかもね……」

「だったら車で逃げて、あちこちで事故ってるだろうに」

「わっかんないよねー、ホント地球の外に移住したのかも? 車じゃ行けない場所に、みんな」

「仮に日本の全員が移住してたとしても……一億二千万人全員がよその星に行くなんてのは……どんぐらいバカSFロケットがありゃいいのか、検討もつかねえな」

「あれかもよ、ほら、なんだっけ、エスカレーターのやつ」

「…………あ、軌道エレベーターか。にしたって、一回千人乗れるエレベーターを日本だけで十二万往復。一日に三百往復以上しねえと一年じゃムリだ。月と地球の距離が三十八万キロだから……ええと、三百往復するには時速……」

「…………時速……?」

「………………まあ音速とかでもムリなんじゃねえか?」

「あはっ、あきらめんなよ」

「ふかふかのソファでくつろいでる時にゼロの一杯ある計算なんてしたくねえよ~……」

「じゃあ、ざっくりやってみよーよ、そのエレベーターに十万人乗れるんだったら?」

「……原子力空母とかでたしか……乗員が五千人とかだっけな……? 十万人乗れる軌道エレベーター、作れるもんかね?」

「アイディアだしの時にダメだし禁止~」

「計算したくね~よ~……そもそも、そんなエレベーター、作るのに何十年、下手すりゃ百年って話だろ、一年で……ん……一年、なあ、マジで一年かな?」

「あの駅前の時計が、狂ってる可能性? もしくは……私たちに、一年後だと思わせたい、誰かが……?」

「……誰かが、の方は陰謀論っぽくなるからアレだけど……なきにしもあらずんばじゃねえかな」

「その言葉使い方あってる?」

「ニュアンス伝わるからいいだろ」

「うん、でも……ないわけじゃなさそうだから、なんとも言えないね」

「……いやスマンないわそれは。ペットボトルの水の減り方は、マジで一年ぐらいだった。少なくとも……年単位の誤差はなさそうだった」

「アンタそんなのもわかるの?」

「ウチのオヤジ、そもそもは単に地震に備えてる人だったんだよ。だから俺が生まれた年の缶詰とか、ペットボトルとかも家にあったんだ。それで色々見たよ」

「へー……それが、その……いつの間にか、陰謀論の人に……?」

「まあ……不思議な話だよな。地震に備えて非常持ち出し袋を持ってたらちゃんとしてる人なのに、世界滅亡に備えて五年分の食料を備蓄してたら頭のおかしいヤツってのは」

「まあ……なんだって度外れちゃったら頭おかしいってことになるでしょ。にしても……ダメだね、今の段階じゃ情報が少なすぎるから、なんでも考えられちゃうし、なんでもダメってなっちゃう。それに……あはは、どんなに論理的に考えたって……体、こんなになっちゃったもんね……」

「…………オマエなあ……だから、そういうの……」

「……あはは、ねえねえ、やっぱりさ、私みたいなデブのブスのオタクでも、こんなに巨乳美少女JKになったらオンナとして意識しちゃう? どきどきする?」

「…………そ……っちこそ、地球最後の一人でもこいつはナシ、って思ってたブッサイクキモデブ陰キャくんが、こんなに細マッチョイケメンになって、オトコとして意識してんじゃねえのか?」

「だからイケメンではないって」

「そっちこそ美少女でもねえっての」

「でも、でもさ……あのー、ヘンなこと、言っていい?」

「…………内容による」

「なんていうか……外見で人を差別するのって、マジで最悪の行為だと思ってたんだけど……いや、ちょっと、違うな……なんだろ……」

「……よし、俺がまとめてやる」

「え、できんの?」

「相手が痩せた途端にそういう対象として見るようになるのは、暗に、痩せていないとそういう対象には見れない、と言うのに等しい、つまるところ、デブは恋愛する権利をもたない劣等人種だと言っているのと同じなので、大きな声で言いづらい。自分もその人権レスなデブだったのに」

「あのさぁ景虎、露悪的になればなるほどホントウのことを言っていることになる……真実なのだ……とか思ってない?」

「…………そのフシは、ある」

「……じゃあ、やめろよ」

「じゃあどう言うんだよこんなこと」

「痩せたから気になるようになったけどそれまでの関係を思うと気まずい、程度でいいじゃんか、もう」

「それを、詳しく言うと俺が言ったみたいなことになるわけだろ」

「九割アンタの被害妄想でしょ……も~……マジで景虎だな……」

「そうだゼ、痩せようがどうなろうが、俺は黒丸景虎だゼ、キモデブ陰キャくんだゼ」

「私だってキモデブ陰キャちゃんの白鷺エリスだよ、ばーか。これは単に……見てくれがいい方が人から好かれやすい、ってだけの話でしょ」

「外見で人を差別するのはマジで最悪の行為なのでは?」

「じゃーアンタ、体にうんち塗ってそれを服としなさい」

「衛生は別の話だろぉ」

「見てくれがいい、って結局そういうことでしょ。清潔な服を着られる、ヘンに思われない服装ができる、健康的な体型をしている、ってことはそうしようと思ってそうできてる人だってことで、そうじゃない人より好かれるのは普通のことじゃん」

「それと、外見で人を差別するな、って矛盾するよな」

「なんだよねー……もー、よくわかんなくなっちゃった。ばっかみたい、また明日にはまた太ってるかもしれないのに」

「怖いこと言うなよ……」

「あはは、だって、寝て起きたら痩せてたんだもん、逆だってあり得るでしょ。ねえねえ、景虎はさ、痩せたいって思ってた?」

「宝くじが当たったら何を買おうかなあ、程度には。オマエは?」

「あはは、私もそうかも。でもさ、太ってる方が、ちょっと……気持ち的には、ラクだったかも」

「…………なあ……その……安心、していいよ、別に、その……」

「へ? なにが?」

「だから……オマエにいきなり、こ……こくったり、しないよ。い、今、オマエに気を使ってるのも、だから、二人きりになっちまったから、仲良くやってこうと思ってるだけで、別に、だから、その、オマエとそういう仲になりたいとか……襲ったりとかなんか、その、こんなこと言っても、信用はしてもらえないだろうけど、その、絶対しない、オマエには指一本触れないから、だから……そうだ! なんならオマエだけでっけえ鉈とかナイフとか持ってさ!」

「へ……あ……ち……違う違う違う! 違うって! 別に、アンタに、そういうことされるかも、って不安になってたわけじゃなくて! えと、だから、あの、違うってば! だいじょぶだから!」

「へ? じゃ、じゃあ、なんで……」

「だ、だから、違うから! その……なんか、その、だから、単純に……その、アンタの見てくれが、良くなって、ちょっと、どきどきしてる自分が、なんか、その、納得がいかないっていうか、だから、それだけ、だから、その、そういうことじゃ、そういうことでは、ない、ないです!」

「ああ、そうか……じゃあ、その……お……俺と、同じか……」

「……っ! で、でしょ、アンタもでしょ。うん、これは、だから、それだけの話! 以上! おしまい!」

「……長い話だったな……そもそもなんの話してたんだっけ?」

「……原子力空母は五千人乗れるって話?」

「ああ、そうか……ん~……まあ……当面は、情報集め、だな」

「あはは、だね。じゃあ明日……人ん家、入ってみない?」

「なんでまた……あ、スマホ、だったか」

「そうそう、何かが起こって、みんないなくなりました、っていうのなら……何かしら、スマホに残ってるよね、きっと~……」

「……だよな……ブラウザの履歴にキャッシュをあさればなんとかなるかな……? よし、人ん家、解禁だな」

「あはは、なに、今まで禁じ手だったの?」

「そりゃあオマエ、そうだろ、商店の棚から商品パクってくのと……人ん家に侵入するのじゃ、なんつうか……意味合い? が、違うだろ」

「まあね~……でもまあ、だって、見てみなよ、外。真っ暗じゃん。こんな状況でもう、そんなこと、言ってられないよ。それに……さ……」

「…………ドア、開いてるもんなあ」

「ねえ、なんでだと思う……? 今朝からずっと、カギ閉まってて開けられないドアって、あのラブホのだけだったじゃん。マンションのドアとか、ほとんど開けっぱなしになってるし……自動ドアも全部、開きっぱなしだし……なんでだろーね……」

「そりゃあ……よっぽど慌てて出かけたんだろーな……」

「あはは……どこにさ」

「だから……月とか火星とかじゃねーか……?」

「ふふっ……かもね……月にも東京ができてるのかな~……」

「…………明日、起きたら絶対、歯、みがくぞ」

「……も~……アンタはお母さんかよ……は~い……」

「そういうワードを……ああ、いいや……」

「……ちょっとギョっとするでしょ……」

「ばーか……」




 徐々に、徐々に。




 染み込んでいた慣れない重労働の疲れは二人を覆っていく。そして柄にもなく恋愛のことを考えた精神はそれ以上に疲れ果て、口調は緩くなり、やがて言葉数も減り、そしてどちらからともなく、バッテリーが切れたかのように眠りに落ちていった。


















※今日から使える防災知識※


意外に忘れがち、けど、絶対に欠かせない、健康を形作る要因の一つが歯です。避難生活で歯磨きができず、虫歯になり、食事を控えがちになり、体が弱り、病になり……なんてイヤなピタゴラスイッチを避けるため、歯ブラシは非常持ち出し袋に入れておきましょう。大してスペースも取りませんし、入れ得です。歯磨きの際に使う水がもったいなく思えるかもしれませんが、健康を維持するための必要経費と考えましょう。

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