虚実の逃避録
ちゃるる
第1話 見せかけの平穏
かつ、かつと乾いたヒールの音が、やたらと周囲に響く。直後彼女は一つ呼吸を置くと、生温く重たい繁華街の人混みをかき分け走り出した。
不自然なことに、先程まであんなに響いていたヒールの音は不思議と消え去っていて、明らかに異様な速度で走るその少女を、周りの人々は僅かに気に留めることすらない。いや、まだ不可解な点はある。そんな速度で横を駆け抜けたら、自然法則に則り突風が巻き起こるのが自然であろう。だが、少女は埃や塵すらたてることなくそのままの勢いで暗い路地へと飛び込んだ。
……その後ろを、3名ほどの男が追う。
服は黒の重装備、手には何か銃のようなものを持っており、誰かと通信を行っている。
「***を見つけた、至急応援を……」
と男が言いかけたその時、少女は男たちの目の前でピタリと立ち止まる。一瞬の驚愕が場を支配したが、男たちは好都合と何かを準備し始めた。
少女は徐に振り返ると、ため息混じりに告げる。
「しつこいなぁほんと。今帰るなら危害は加えないから、さっさと帰ってよ」
シッシ、と手で追い払うように男たちに合図する少女。男たちはその言葉がまるでなかったかのように、微塵も反応を見せない。
「やっぱり無理か、面倒だなぁ」
少女が疲れたようにそう呟いたかと思うと、次の瞬間時空が歪む。おかしいと思うだろうが、まるでそうとしか表現ができないのだ。ぐにゃりと少女の目の前が歪んだかと思うと、シャツにジーンズとゆるめの私服姿であった少女が、麗しいドレスの姿へと変化した。
不思議なのは、頭の上に浮かぶ円のような何かだろう。点と線とで円を象るそれは、まるで天使の輪のようでさえあった。……とはいえ、色は深い青。周囲の僅かな光さえ吸い込まんとするほどの深い青色であったのだ。
そしてもう1つ、彼女の体をぐるりと回るように浮く黄色の線、羽の輪郭を内に丸めたようにも、1種のハートのようにも見えるそれ。少なくとも明らかに異様な光景なことは、紛れもない事実であった。
男たちはそれに一瞬怯んだように後ずさったが、3人でコンタクトを取ると、少女に銃を構えた。そして、その銃のような装置から弾丸が発射される。
音速は超えているだろうか、弾丸は軌道そのまま少女に迫った……のだが、
振り向いた少女が気だるげに目を細めると、次の瞬間には弾丸は全て消失した。逸らした、防いだではない。なぜならば弾丸の痕跡はどこにも無く、少女どころか周囲にも当たっていないのだから。
それに気がついた男たちは通信機のようなものに「一時撤退」と告げるとその場を去ろうとした。
慌てた様子で冷や汗をかいていることから、少女の行動はまるで予測していなかったのだとわかる。少女から散開してそれぞれの方向に逃げていく男たち。
少女は、静かに微笑んだ。
と同時に、男たちは何かに吸い込まれるように跡形もなく虚空に消えさる。
静寂が辺りを支配し、無音の空間に繁華街の音だけが響く。……少しして、少女はため息をついた。
「……はぁ、今月多いなぁ。痕跡を残してるつもりなんてないけれど、そろそろ潮時か。」
そう呟くと、少女は元の姿に戻り、静かに路地を出た。
散々だ、本当に。
電車に揺られながら、私は今日の出来事を思い返していた。
会社では面倒なお局とやらに絡まれたし、バスを逃したから停留所にいたらアイツらに見つかって追いかけられるし、本当についてない。
……あぁ、自己紹介が遅れた。私は古上唯以。一応これは偽名なのだがまぁそれはおいおい話すとして、まずは乗り換えだ。
私は定期券を取りだし電車を乗り換える。最初はよく分からないシステムだったが、慣れてしまえば容易いものだ。カードの入った入れ物を改札に近づけると、ピッと軽快な音がして前の戸が開く。
少し歩けば、次の電車がやってきた。
さっきの騒動のせいですっかり遅くなってしまったせいか人はとても少ない。地方の路線というのもまぁあるとは思うが、なんかムカつくので男達のせいということにしておこう。
私はそう思いつつまたしばらく電車に揺られる。少しして、目的の駅に着く。
降りると私は周囲を確認しつつ、足早に家へと向かった。
キョロキョロと、不審に思われない程度に周囲を警戒しつつ、家の前に着いた。カン、カンと甲高い音が鳴るのを少しもどかしく思いつつ、古びたアパートの一室へとたどり着く。
ドアノブを掴んでドアを開けようとすると、ガチッとドアノブが独特な音を立てて弾んだ。うん、ちゃんと鍵は閉まっているね。これは私の癖になっている行動だ。これをしないと安心できない。
私はホッとすると鍵を使って扉を開け、さらに上からかけていた特殊な施錠を手早く解除し、そっと扉を開けた。
廊下は暗くなっているが、部屋の扉から僅かに光が漏れていた。電気をつけて靴を脱いでいると、タタタッと駆け寄ってくる音が聞こえる。そしてすぐに
「おかえり!むぅ!」
と元気な声が聞こえてきた。靴を脱いだ私は振り向きながら、その声の主と目を合わせる。
「うん、ただいま。」
16歳ほどの見た目の、ハーフアップの少女。不思議なのは、頭上に浮かぶ点と線で結ばれた円のような何か、そして上半身に浮かぶ半円形のような細長い何かだろうか、この子は古上唯雨(こがみゆう)……もちろん偽名だ。私はこの子をゆぅと呼んでいる。
ゆぅと私は腐れ縁のようなもので、基本的には一緒に行動している。のだが、とある事情からこの子は私と違って仕事には行けない。
「もうご飯は食べたの?」
コートを脱いでハンガーにかけながら、私はゆぅに問いかけた。ゆぅはフルフルと首を横に振りつつ答える。
「まだ、何食べよっかなって迷っちゃって……」
えへへ、と笑うゆぅ。ふむ、少なすぎても不満なようだが、たくさん品数を作ると今度は迷うわけか。全く、わがままなんだから。
「そっか、じゃあ一緒に選ぼう」
私はそう笑いかける。とはいえよく表情筋がないと言われる私は、これで笑えているのかよくわかっていない。
なのだが……
「あれ?むぅ……なんか嫌なことあったの?お顔暗い……」
ゆぅは心配そうにそう言ったのだ。……やっぱり敵わない、いつもと大して変わらないだろうになんで分かるのやら。
「……なんにも無いよ、ほら、早くご飯食べよう。」
私はそうはぐらかしつつ、ゆぅの手を取ってリビングへと向かった。
廊下はさっき暗かったが、リビングには元から電気がついている。
ゆぅを席につかせると、冷蔵庫から適当に3品ほど取り出して、ゆぅの目の前に置いた。
私は仕事でいられない日があるから、普段から何品か作り置きをしているのだ。ゆぅが楽しいようにと昨日は品数を増やしてみたのだが、かえって迷わせる結果になってしまった。だがまぁ、3品ほどなら選べるだろう。
「さて、どれにする?」
私が問いかけると、ゆぅは「うーん」と唸ってまじまじと料理を見る。そしてしばらくすると、ハッとしたように言った。
「えっと、これ!」
そう言って指さしたのはハンバーグ。ゆぅのお気に入りだ。
「そ、じゃああっためてくるね」
私はそう言って席を立つと、キッチンにある電子レンジにハンバーグを入れ、そのまま横にあるお米をよそう。
そしてゆぅの前に先にご飯を運ぶと、適当にお茶を2人分入れた。
「ねぇ、むぅ。」
「んー?」
突然ゆぅが問いかけてきた。やけに真剣な様子に少し動揺しつつ、私は擬音で問いかける。ゆぅはこちらを1度見ると、目を逸らして言った。
「やっぱり……私もお外出たい。」
「……。」
またか、というのが正直な感想だ。私は、この子を家の中に留めている。……まぁ、正直監禁と言っても差支えは無いかもしれない。もちろん本意では無いのだが、この子を外に出す訳には行かないのだ。
……とはいえ、いい加減誤魔化しとどめ続けるのにも限界を感じている。1度外に出て発散させてやらないと、どこかで爆発してしまっては困るのだ。
「……わかった、今週末、一緒に遊びに行こうか。」
「!、ほんと!?」
ゆぅはガタッと机から立ち上がると、やったやったと飛び跳ねる。
「もぅ、ゆぅったら……ご飯にぶつかったらどうするの」
私がそう言うと、ゆぅはハッとしたように顔を上げて、しょぼしょぼと椅子に座り直した。
落ち込んだ様子のゆぅ、ここは1つ話題をそらそう。
「……で、どこに行きたい?」
「あっ、うーんと、えっと……、」
ゆぅは顎に手を当てたり、頭に手を当てて必死に考える。……というか、外の場所なんてあまり知らないか。私はそう思い至り、いくつか選択肢を提案することにした。
「じゃあ、遊園地かショッピングモールか、海、その中ならどれがいい?」
そろそろ夏も終わりを迎えて秋にさしかかるころ、この三択ならまぁいいだろう。私がそう問うと、ゆぅはハッとしたように答えた。
「遊園地!」
まぁそういうだろうなという大方の予想は着いていたので、私は特に驚きはせず頷く。
「わかった、じゃあ今週末ね。」
そう告げると同時に、ピーピーと高い機械音が温め完了を告げた。
私は椅子を引いて席を立つと、温め終わったハンバーグを取りに行った。
嗚呼、それにしてもゆぅと遊園地か……なんだかダジャレみたいだけれど、少し楽しみではある。一緒にどこか行くことが最近ほとんどなかったし、久しぶりのお出かけだ。
少し温めの時間が長かったのか、グツグツと熱を吐き出すハンバーグをソッと持って、私はゆぅの席へと戻る。
「ほら、熱いから気をつけてね。」
私はそう言いながら、ゆぅの前にハンバーグを置いた。白米はもうよそっていたし、こちらを見てまだかまだかと無言ながらに問うてくるゆぅに「食べていいよ」と声をかける。別に聞かなくたっていいのになぁ、と思いつつ言うと、ゆぅはパクパクとご飯を食べ始めた。
……正直不思議な感覚だ。食事も要らない私にとっては、ゆぅの食事は見ているだけで新鮮で面白い。まぁもちろん、食べれない訳では無いので研究がてら外食はするのだが。
「美味し?」
と問いかけると、ゆぅはコクコクと頷いた。良かった……、と内心ほっとしたのは黙っておこう。ご飯はいつも私が作っている。この笑顔を見るだけで頑張れるというものだ。
そうやってボーッと眺めていると、ゆぅが食べ終わり箸をかちゃんと置いた。
「ごちそうさまでしたっ!」
満足!と言わんばかりにニッコニコのゆぅに「おそまつさま」と告げて、私はお皿を持って立ち上がる。
「えへへ、むぅありがと。」
「……!」
そう言われ、思わず固まる。この子は本当に、全くすぐそういう事する。
そう思いつつ、私は1度お皿を机に戻して手をあけ、ゆぅの頭を撫でた。ゆぅは嬉しそうに目を瞑るとまた、「えへへ」と声を漏らす。んぐ……。不意に可愛いと思いつつ、私はそれ以上惹き込まれないようにお皿を持って下げた。
机をシンクにおいてようやく、はぁ、とため息をつく。……最近ダメだ、なんだか疲れているみたい。そう思いつつゆぅの元に戻り、席に着く。
ふと時計を見ると、針は11時を告げていた。
ゆぅを見れば食べてお腹いっぱいになったのか、眠そうに目をこすっていた。
「……ゆぅ?そろそろ寝る?」
「……んー、うん」
ボーッとしているのか、返事すら曖昧なゆぅ。まったく仕方がない、
私はゆぅの肩を軽く叩くと、手を引いて寝室へと向かった。
寝室へつくと、ゆぅは突然立ち止まる。そして、こっちを見ながら言うのだ。
「んー、むぅとねたぃ……」
「……、ん、一緒になら寝るの?」
「うん……」
眠い時に出るゆぅのわがままだ。仕方ないな、と布団に入って手を広げると、わぁいと言いながら私の元に飛び込んでくるゆぅ。それを受け止めつつ、私はゆぅを寝かしつけるようにトントンとリズムを刻みつつ軽く手を当てる。
「ん……。」
小さく声を漏らすゆぅ、10分もすれば、ゆぅはすぐに眠りについた。
すぅ、すぅと寝息を立てるゆぅを見つつ、起こしても困るのでしばらく考え事をする。
……この生活は、ゆぅにとって幸せなのだろうか。私は家にいられないから1日一緒にいられない日も多いし、とはいえ今更あの場所に戻ってもどうせ拘束されるだけ。
私達にできることと言えばせいぜい逃げてこうやって生活を続けることだけだ。
あーーー、ダメだダメだ。夜になるとこんなことばかり考えてしまう。
ほんと、情けないなぁ私は……。
少し落ち込みつつ部屋を出て、私は仕事をしにリビングへと戻る。パソコンを開いて仕事を始めて。ファイルを開いて、カタカタと文字を打つ音が部屋に響く。……そうしてしばらくすれば、閉めていたカーテンから光が漏れだした。……朝か、と顔を上げてパソコンを閉じると、軽く伸びをした。
私は睡眠も必要ない。
……あぁ、説明していなかったか。そう、私は研究所から逃げた、――脱走者だ。
虚実の逃避録 ちゃるる @tyaruru_ketya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。虚実の逃避録の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます