ほらあなとやくそう

黒周ダイスケ

土と蜜が混ざったような。

 自由暦302年。S(仮称)と出会ったのはある冬の日のことだった。


「FIREだ、時代はFIREなんだよ」


 そう彼は言った。火魔法のことではない。若いうちに派手に稼いで引退し、早めの余生を悠々自適に送ろう……という意味で、最近の若者の流行りでもある。Sもまたそれを夢見ていた。そして、そんな夢を見させるだけの魅力がダンジョンにはあった。


 それは単なる宝探しや一攫千金のバクチではない。ダンジョンの中には無尽蔵に生成されるアーティファクトがあり、持ち帰れば持ち帰ったぶんの報酬がある。危険な重労働と引き換えに、働けば働くほどに稼げる。それがダンジョン冒険者である。


「30まで稼いで、あとは一生遊んで暮らすんだぜ」


 そう息巻いていたSだったが、彼は10代にして最初から既に飛ばしすぎの感があった。どう考えてもペース配分を間違っているようにしか思えない。もっとも彼だけが特別なわけではなく、そのような人間は他にも大勢いた。そして早くも人生設計に狂いが生じ、若くして命を落とす羽目になった者も多い。

 だが幸いにしてSは生き延びていた。剣の腕も探索の経験もメキメキと成長し、気付けば冒険者ギルドの若手有望株として一目置かれる存在になっていた。彼の言うFIREも、この調子なら数年早められるかもしれない。そう思わせるだけの実力があった。おそらくそれはSに宿った才能と努力の賜物だったのだろう。


―――


 それから一ヶ月後。


 Sは日に日に疲弊していた。やはり明らかに飛ばしすぎていたのだ。毎日のようにダンジョンにもぐり、高価なエナジーポーションをあおり、ブレーキが壊れた馬車のように働き続けていた。若者らしく体力は持続したものの、しかし先に壊れたのは精神だった。かつて夢に目を輝かせていた純朴な若者の姿はなく、Sの言動は粗暴になっていった。そのぎらついた瞳は過興奮状態のオークを思わせた。このままではどこかでミスをし、命を落としてしまうだろう。周囲の人間はSを心配し、声をかけた。だが彼は聞く耳を持たなかったし、冒険者ギルドもまたこの若者の求めるままに過剰な依頼を課していった。それがギルドというものだからだ。


 しかし、それから半月ほど経ってもSはまだ生き延びていた。それどころか、彼には大きな変化があった。まるで憑き物が落ちたように柔和になっていたのだ。過度な冒険は止めて落ち着いたのか、と聞くと、そうではないという。まだ彼は毎日のようにダンジョンへと潜っていた。だとすれば、何が彼をぎらついたオークから老エルフのような雰囲気へと変えたのか。


「“やくそう”ですよ」

 Sはゆっくりと丁寧な口調で言い、微笑んだ。


 古い時代、かつて冒険者達は傷薬として薬草を用いていた。それは医薬的根拠のない民間療法にすぎず、医薬学の発展とともに各種ポーションへと置き換えられていった。なぜ今さらそんなものを、と思ったが、どうも違うらしい。まだ利用する者の少ない、MPに作用する新種の薬草なのだと。

「それから」

 Sはさらに続ける。

「彼女が一緒にいるんです」

 Sより年上だろうか、聡明な身なりの女騎士が彼の隣にいた。ギルドで知り合った仲間らしい。Sがソロを貫いていた(危険は多いが報酬も総取りできるため)のを長く見ていたから、何よりその点においても大きな心境の変化があったのだと驚いた。

「はじめまして」

 彼女はKと名乗った。SとKは毎日パーティを組み、ダンジョンに潜っているのだという。

「彼とは目的が一緒なんです。危なっかしいところもあるから、支えていけたらいいなって」

 Kはそう言って笑った。どうもSは、思いがけず幸運の女神と出会ったようだった。


―――


 さらに一ヶ月後。


 かつて冒険者ギルドはSのように血気盛んな若者で溢れていた。いまでもその賑わいは変わらない。しかしこの一ヶ月で変わったことがあるとすれぱ、雰囲気が少しずつ穏やかになりはじめたことだ。声を荒げることもなく、酒に走ることもない、そんな冒険者が増えてきた。まるでSのように。

 Sも冒険を続けている。振る舞いは落ち着きに満ちていて、もはやベテランのような風格さえあった。しかし。

「わかりますか。ダンジョンに入ると、ピンクの光が見えるんですよ」

 彼の言動はどこか不穏だった。あれからもまだ”やくそう“を使っており、そして隣にいるKとは”やくそう仲間“でもあった。そもそもSに勧めてきたのもKらしい。SとKはダンジョンのみにとどまらず私生活においても深い仲となっていた。Sはまた、

「命がけでダンジョンに潜った日ほど”やくそう“の効きもいいんです。これがあると、夜も盛り上がるんですよ」

 とも言った。

「ぼくの剣はいつも七色に光っています。ぼくの剣は聖剣なんです。ジャーン。ハハハ」


―――


 独自に調査と聞き込みを続けたところ、ギルドにいた”血気盛んな“冒険者はこう証言した。


「やるわけねえだろ、あんなハッパ」


 “やくそう”の効果は確かに絶大らしかった。どんなに昂った精神や磨り減ったMPも即座に戻してしまう。不安と緊張を抱えながらダンジョンに潜る冒険者にとってはまさに特効薬だろう。

 しかしそれ以上に問題があった。一つはきわめて高価なこと。そして二つ目は、

「俺のダチも手を出したよ。確かに落ち着いたし、冒険も安定した。でも、やめられなくなっちまったんだ」

 高い依存性だ。“やくそう”の効果が切れると不安と焦燥感に襲われる。使用する前よりも強烈なそれを解消するには、やはり“やくそう”が必要になる。そのためにまた高価なカネを積まなければならない。悪循環である。


 さらに三つ目の問題があった。それはSの言動に現れていた。


「見てください!FIREが出せるようになったんです!ぼくの手からFIREが!」


 久しぶりに再会した彼の目は縮瞳していて、誰から見ても異常であった。吐息からは土と蜜の混ざったような甘く生臭い香りがあり、もちろん手から火など出ていない。そう、幻覚症状だ。


 斯くして“やくそう依存症”となったSは稼ぎの大半をその購入に注ぎ込んでいるという。

 隣にKの姿はなく、それから数日後にSもまた姿を消した。ダンジョンの奥で消えたか、あるいは別の形で消えたのか、それはもはや分からない。


―――


 時が経ち、現在、自由暦305年。夏の日。


「それじゃあ、いってきますね」


 年不相応の落ち着いた声色で、今日も一人の少女がギルドカウンターを離れる。すれ違いざま、彼女からは土と蜜の混じったような、あの甘く生臭い香りがした。


 冒険者ギルドはすっかり静寂に包まれていて、まるで修道院のような佇まいになっていた。そこにもう、かつての血気盛んな雰囲気はない。

 ギルドカウンターの受付嬢だけが、にこにこと笑いながら彼らの背中を見送っていた。



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