女ひとりフェリー旅
ゴオルド
第1話 心臓に電信柱が刺さったら、旅に出る
去年の夏のこと。
学生時代の同級生のお父さんが亡くなりました。
私たちは四十代で、親が亡くなるのも、来るべきときが来たという気持ちで受け止めなければならない年齢になりました。
若い頃、死とは暴力と絶望の象徴のように思えましたが、もうこの年齢になると、死とは日常の中にある悲しみの一つとして捉えなければならないのだなあ、そんなふうに思わされる年齢になったのです。
お父さんっ子だった同級生はひどく悲しみました。友人たちは心から彼女に同情し、私も彼女を慰める輪に加わりつつ、心の中では一歩ひいたところにいました。
心がモヤっとしたのです。
しかし、私は自分の気持ちにふたをしました。なんだか醜くて情けない感情がそこにある気がしたから。
このモヤっとしたものは、大変しつこい性質のものでして、日々の生活のなかで薄れることはありませんでした。まるで電線に引っかかったビニール袋のように目障りな異物として、ずっと私の心に居座っておりました。それどころか少しずつ大きく膨らんでいくような、やっかいな代物でした。
去年の夏の終わり、私の父が認知症の診断を受けました。
そのため、ことしの夏ぐらいから同居することになり、仕事をやめて引っ越しすることになり、モヤっとしたものはついに抱えきれないほど大きくなってしまいました。
胸の奥がずーんとしています。
昔、失恋したときの胸の苦しさを「心臓に電信柱が刺さったよう」と表現した人がいて、電信柱が!? と面白く思ったのですが、今の私も、心臓に電信柱が刺さっているような気がしました。
電柱ですから、だいぶ大きいですね。それはしんどいに決まっています。
電信柱が体に刺さっていても、毎日は続いていきます。私のことなどお構いないしに日は昇り、夜は来ます。
私は電信柱に気づかないふりをして、なんでもないっていうふりをして、仕事をしたり家事をしたり、趣味の創作活動に励んだり、そうして秋が来て、冬が来て、年が明けて、ああ、2025年は今の生活にさよならして、実家に帰るのか、そう思ったら、あっ、なんかもう無理かもしれないと思ったのでした。もう無理かも。
そんなときには旅に出るのがいいと思うんです。
もう若くないならなおさら。
加齢により心の体力が落ちているのですから、いったん、私を現実から切り離すことにしました。
旅先で、いつもと違う環境の中で、今の自分を見つめ直すのって、良いと思いませんか。心のメンテナンスは、中年こそ意識的にやっていくべきでしょう? いろんなところにガタが来ているし、手遅れになる前にお手入れするのです。
早目、早目に手を打つのが大事です。倒れてしまって、起き上がれなくなってからでは、回復に時間がかかりますからね。もう若くないんだから、回復できないことだってあるかもしれないんです。早目になんとかしましょう。
さて、どこに行きましょうか?
お花を見にいこうかな、と思いました。いまは2月。この時期ならスイセンが見頃です。なんて素敵なタイミングでしょう。私はスイセンが大好きなのです。花なら何でも好きですが、特にスイセンが好みです。
スイセンの名所は日本各地にあります。どこにしましょうか。私は福岡在住で、九州のスイセンの名所は結構まわっています。
今回は思い切って九州を出てみようと思いました。胸に電信柱が刺さっているというのはかなり重症ですから、そのケアもそれなりであって良いはずです。
というわけで、行き先は、兵庫県の淡路島、灘黒岩水仙郷に決めました。こちらは日本三大水仙群生地の一つだそうです。
さあ、女ひとり旅の始まりです!
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