二度目の正直

いおり

第1話


 目が合った瞬間、「気づかないで」と全力で祈った。



 誰にだって思い出したくない過去はある。

 その原因のほとんどは自分だ。

 

「聞いた? 営業企画の高原さん、独身だって」

 

 そう耳打ちしながら同期の舞香はニヤニヤと口角を吊り上げた。

 関西の支店で二年前に中途採用で入ったシゴデキのイケメン営業マンが、この四月から本社の企画部に異動になった──という噂はもう一ヶ月前から彼女に何度も聞かされている。今回はその続報らしい。

 

「今週から出勤しててさ、名刺渡すついでに顔見にいったら噂通りのイケメンなの! 背も高いしスタイルもいいし、あと超優しい! 同期のバカどもと違って気取ってないし、なんていうの、紳士系? 春奈、やばいよ。絶対あんたの好み。てか女はみんなああいう男が好きって感じ。ねぇ、覗いてきなよ」

「ばか、やめてよ。今はそういうのいいから」

「はぁ? なに、ほんとは彼氏欲しいってこの前うちで飲んだ時言ってたでしょ」

「あれはあれ、今回はいいの!」

「斜に構えなくていいってば」

「そうじゃなくて!」

 

 そうじゃない。そういうんじゃない。

 イケメンなのは知ってる。背が高いのも、スタイルがいいのも、優しいのも、誰よりも私が知ってる。

 だって高原くんは──。



 

「あ」

 

 社内食堂で彼と目が合った時、直線距離で十メートルは離れていた。でも昼休み真っ只中の雑踏の中、私を見て目を見開いた彼の「あ」がハッキリ聞こえた気がした。

 お願い気づかないで──そんな私の願いはコンマ一秒で霧散したわけで。

 

「舞香ごめん、忘れ物した、先食べてて!」

「え!? 今日のAランチあんたの好きなチキン南蛮だけど!?」

 

 早歩きで食堂を抜け、人並みに逆らって廊下を進み、人気のない用具室の前でようやく息をつく。

 部署が違うとはいえ、同じ会社にいる以上いつか顔を合わすことになるとは思ってた。でもまさかこんなに唐突だなんて。

 残念だけど、今日のAランチセットは諦めて、コンビニでおにぎりでも買って事務所で食べよう──


「春奈ちゃん……だよね?」

「ぎゃあッ」


 ──そう決めた瞬間、背後から聞こえた声に身体が飛び上がった。

 振り返ったそこに……いた。

 イケメンで背が高くてスタイルがいい、どうしても会いたくなかった彼が。

 

 高原くんが。


「ごめん、驚かせた?」

「あ、いや、大丈夫……」


 驚きと緊張のパラメーターが振り切れた私は、「どうしてここに……」としどろもどろに続ける。高原くんは困ったような照れたような顔をした。


「あー、春奈ちゃんの姿が見えてつい追いかけて来ちゃった。同じ会社にいるのは知ってたんだけど、まさかほんとに会えるなんて……えっと、十年ぶり?」

「……十一年かも」

「そっか、中学卒業して以来だもんな。元気にしてた?」

「……うん」

「急に連絡取れなくなってびっくりした。ずっと気になってたんだ、なんかあったんじゃないかって」

「……ごめん」

「あ、いや、責めたいわけじゃなくて。ただほら……自分の彼女が急に音信不通になったら焦るだろ? 『今までありがとう』なんてメッセージだけ残して遠くに引っ越しちゃうし」


 誰にだって思い出したくない過去はある。

 その原因のほとんどは自分だ。

 っていうか〝この件〟は全部──私のせいだ。


 高原くんは中学の時、みんなの憧れの存在だった。かっこよくて、勉強もスポーツもできて、みんなに優しい人気者。

 教室の隅で本ばかり読んでた地味な私と高原くんが話すようになったのは、人気のなかった図書委員を彼が引き受けてくれたことがきっかけで。

 

 同じ図書委員で仕事をするようになった私は例に漏れずに高原くんを好きになって。

 

 放課後の図書室で勢いあまって告白して。

 

 高原くんはなぜかオッケーしてくれて。


 夢みたいに幸せで。

 

 なのに、人と付き合った経験もなかった私は照れて恋人らしい振る舞いもできなくて。


 好きで好きでたまらなかったのに、人の目が気になって、高原くんを避けてばっかりで。

 

 卒業とともに『今までありがとう』とだけメールだけ送って──逃げた。


「俺、結構あの時のことがトラウマで」


 そう言いながら手で頭を掻く高原くんは、中学の時よりさらに一段と素敵な男性になっている。

 そんな彼にトラウマを植え付けてしまった私は──


「正直今でも引きずってる」


 ──最低の女。


「ごめんなさい……」

「うん、だから、責任取ってもらう」


 顔を見られず俯いた私は、すぐに「え?」と頭を上げる羽目になった。


「十年ぶりに顔見て〝ぐわっ〟ときた」

「えっと……」

「昔は俺もガキでなかなか踏み切れなかったけど、もう同じ轍は踏まない」

「高原くん……?」

「だって同じ相手に二回も一目惚れするなんて、つまりそういうことだろ?」

「……」

「春奈ちゃん、もう一度俺と付き合って」

「……」

「ねぇ、逃げないで。こっち見てよ」

 

 そう言って顔を近づけて来たのは、かっこよくて優しい、でも昔とは違うちょっと意地悪な顔をした──


「次は逃さないよ、春奈ちゃん」


 ──私の〝元カレ〟。

 

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二度目の正直 いおり @ioriiura

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