第23話 セカンドステージ突破

 凡と離ればなれになった凜たちも、凡たちとは違うトイレに逃げ込んでいた。個室に4人は入れなかったためベスとトリカの二人と、凜とケイシーの二人に別れて個室に入っている。


 妾、いや私はどうすればいいかわからなくなっていた。


 右手はケイシーさんに掴まれている。絶対にはなさないという意志が伝わってくる。


 私が凡たちの前で見せている女王様のような態度は素ではなく、キャラとしてやっている。


 初めからチルトへ来るために凡を利用してきた。だから、巻き込んだ責任として凡を守らなければいけない。


 私は生まれたときから特異体質であり、幸運にすることができた。だが、自由自在に使えるわけではない。代償が存在する。それは自分に不幸が降り注ぐこと。


 ちょっとした幸運を他人に与えた場合は、不運の程度も小さい。


 しかし、大量の幸運を他人に与えたときは不運の程度も大きくなる。一定以上の幸運を与えてしまうと、不運を消化しなければそれ以上幸運を付与できなくなる。


 これらの情報はたぶん合っているが、私自身も詳しく自分の能力についてわかっているわけではない。


 そのためゲルマに負け、デスゲームに参加することが決まった瞬間から凡に最大限幸運を分け与えている。そのおかげでケイシーさんに出会えて、協力関係を築くことができた。この時点でかなりの不幸をため込んだ。それほどまでにケイシーさんとの出会いは、このデスゲームで生き残るうえで幸運だった。


 途中でケイシーさんに裏切られそうになった時は焦ったが、普通に考えれば焦る必要はなかった。私の付与できる幸運が残っている間は凡が死ぬことはないのだから。


 死ぬとしたら私である。すでに大量の不運が溜まっているから。この不運がいつ爆発するかは私にもわからない。


 第一ステージは問題なく突破することができた。


 第二ステージも凡が生き残るための最適なメンバーが幸運によって集まった。


 しかし、第二ステージの二つ目のゲームで異変が生じ始めた。運の勝負のポーカーでガンマに負けた。自分の能力の限界が近づいているのはなんとなくわかっていた。凡に幸運を与えすぎてしまったのだ。


 問題はそれだけではなく、第二ステージで一緒になったリチャードさんだ。リチャードさんは、私のせいでここに来た可能性があった。私は過去、リチャードさんに診察してもらったことがある。それだけで私が原因だとは断定できないが、きっと私が原因だと直感した。


 そのため凡だけではなく、リチャードさんも守らなければならない。私がこんなデスゲームに巻き込んでしまったのだから。


 やらなければいけないことは明確なのだ。凡とリチャードさんを死んでも守る。


 だが、ポーカーで負けて、どうすればいいかわからなくなった。


 能力が使えない私に何ができる? 自分のためだけに他人を巻き込むような人でなしに何ができる? なぜあのとき私は諦めなかった?


 私は無力だ。


 また私は誰も救えない。身の丈に合わないことを成し遂げようとしてまた失敗する。あのときに諦めていれば凡を巻き込むことがなかった。なんで私は自分ばかりを優先する。


 私はなにもできない。


 思考はどんどん闇の中へと引っ張られていく。


 気づけば3つ目のゲームが始まっていた。そして今に至る。


 私は…………


「正直言って、僕にとって凜ちゃんはどうでもいい。お兄ちゃんが守れって言ったから守るだけ。僕はお兄ちゃんさえいれば良い。凜ちゃんもお兄ちゃんを守りたいなら、僕に迷惑をかけないで。僕がお兄ちゃんを守るから、足だけは引っ張らないで!」


 ケイシーは最後の方、語気を強めて言った。


 ケイシーさんには私が凡を守ろうとしているのがバレていたようだ。だが、そんなことはどうでもいい。


 私は俯いたまま、素の話し方で答えた。


「私のことはいいから、凡のところに行ってください」


 ケイシーさんの言うとおり、私ができるのは迷惑をかけないことだけ。私が何かしようとするといつも失敗する。関わらないほうが良いんだ。


「お兄ちゃんはそんなこと望んでない。凜ちゃんはどんだけ自分勝手なの!」


 パチン!


 ケイシーは私の頬を力強く叩いた。


 凜はこの⑤ゲームが始まって初めて顔を上げて、ケイシーの顔を見た。


 ケイシーさんは泣いていた。目元がとても赤くなっている。


「僕にとってお兄ちゃんは特別なの。僕のことを可愛いと言ってくれた。誰も認めてくれなかった素の僕を受け入れてくれた。お兄ちゃんを失ったら僕は……」


 目の前で泣いているケイシーさんは殺しが大好きの異常者ではなかった。ただの小さな女の子。


 ケイシーさんにとって凡は、私にとっての家族みたいな存在なのだとわかった。


 私は何をしている。何人の人を悲しませれば気が済むんだ。


 牢屋にいる時に決心したじゃないか。死んでも凡を守ると。弱みは見せない。


 強い私、妾を演じきる!


 パチン! 私は自分の頬を強く叩いた。


「申し訳ないでありんす、ケイシーさん。そろそろ隠れてるのも飽きたでありんしょう。こちらから狩りにいきんしょうか」


 いつも以上に胸を張って堂々とした、いや不遜な態度でトイレから出た。

 



 ぽたぽたと水が落ちる音。


 僕とリチャードさんは顔を見合わせた。


 ここが普通のトイレなら当たり前の現象であるが、ここは普通のトイレではない。誰もいないはずのトイレである。


 つまり今聞こえる音は水の音ではない。


 小型キメラのよだれが垂れる音だ。


「生きるためにも、今はこのゲームを生き残ろう、凡くん」


「はい。ですがどうしますか?」


 小声で話し合う。


「ライオンの狩りは3割程度しか成功しないそうだ。だからそれに賭けるしかないだろう。凡くんも私も身体能力は平凡くらいだからね」


 医者でありながら、作戦は運試しのようだ。


 だが、今のリチャードさんは決して諦めているわけではない。絶対に生き残るという気迫を感じる。


 それに運試しならギャンブラーとして失敗するわけにはいかない。作戦としては悪くない。


「扉の前まで来たら、一気に行くよ」


「はい」


 僕たちは耳を済ませた。足音は確実に近づいてくる。キメラに僕らの位置はバレているのだろう。


 互いに心臓の音が聞こえてきそうなほど僕たちの心拍数は上がっていた。


「いまだ!」


 僕とリチャードさんはドアを勢いよく開け、トイレの出口を目指す。キメラが見えなかったことから、僕たちが入っていたトイレより少し奥まで進んでいたようだ。第一関門は突破したといっていい。


 トイレから出ようとすると、後ろからは扉が破壊される音がした。


 気配で追いかけてきていることがわかる。


 トイレから出てすぐに追いつかれて、殺されると理解した。きっとリチャードさんも同じことを思っただろう。


 だが、僕たちは後ろを振り返ることなく、前だけを見て横並びで走る。二人とも生き残ることだけを考えて。


 トイレから出ると同時に僕はリチャードさんの後ろについた。トイレの出口が狭かったからではない。闘技場のトイレのため二人くらいなら並んで出られる。


 僕はリチャードさんの犠牲になろうとした。二人が生き残ることは不可能だ。初めから、運が良くても一人しか逃げ切れない賭けだった。


 リチャードさんの顔は「何をしてるんだ!」という驚きと少しの怒りを含んでいる。リチャードさんも自分が犠牲になろうとしていたのだろう。


 僕はできる限りの笑顔を作った。僕が死ぬのはリチャードさんのせいだと思わせたくなかった。


 お腹に牙が食い込み、僕はその場で倒れた。


 このまま上半身と下半身が真っ二つにされるのだろう。


 なぜか僕はこれから起こることを頭の中で考えられていた。死ぬ瞬間にスローモーションになるあの状態なのだろう。これで3度目の死に際のゾーンだ。


 でも、ケイシーの胸を揉んだときの超感覚のような凄さは感じない。あのときは死すら超越する危機的、いや超至福状況だったのか!?


「待って。僕の最後の思考、胸を揉んだときの思い出ってどうなのよ!」


 なんかこのくだり以前もやった気がする。


「何を言っているんでありんすか? 語尾も変でありんすよ。おっぱい星のロリコン」


「イテッ!」


 顔面に痛みが走る。


「あれ? 死んでない?」


「妾の蹴りの痛みで生存確認するのキモいでありんすよ。おっぱいドMロリコン」


 顔を上げると凜がいた。


「うげっ!」


 次は背中に痛みが走る。


 首をひねり後ろを見るとケイシーが乗りかかってきたのがわかる。それとわかりたくない事実もわかった。


 一度状況を整理する。


 僕の後ろには首を失ったキメラが倒れていた。ケイシーが倒してくれたのだろう。


 ケイシーはキメラが僕にかじりついた瞬間に首チョンパした。つまり僕の体にはキメラの顔が噛み付いた状態だった。その状態の僕にケイシーは上から飛び乗ったことになる。


 つまりグロテスク映像のできあがりである。小型キメラの脳みそとか目とかが散らばり、ケイシーの顔は血で汚れていた。僕の体にもねちゃあとした液体がこべりついている。


 助けてくれたことに対しては感謝してもしきれないのだが、せっかくならキメラの頭をどかしてから抱きついて欲しかった。


「お兄ちゃん。お兄ちゃん! 大好き!」


「おふ!」


 キメラの目が僕の手のひらで潰れていることも、血管らしきものが鼻に入ったことも、首が血浸しになったこともどうでもいいと思えるくらい、ケイシーの笑顔が可愛かった。


「ありがとう、ケイシーちゃん。本当に可愛い!」


 自然と言葉に出てしまう。


 ケイシーはとても嬉しそうにしながらも、顔を背けた。血のせいかもしれないが、頬と耳が真っ赤になっている。


「イチャイチャするのやめるでありんす。本当に気持ち悪いロリコンでありんすね」


 ケイシーにどいてもらい、立ち上がった。


「お嬢」


 凜と向き合う。


「なんでありんすか?」


 脛を蹴られた。


「イタッ! もう元に戻ったんだね」


「脛を蹴られて確認するのキモいでありんすよ。でも、不甲斐ないところを見せたのは悪かったでありんすね」


「本当よ。このガキのせいで大変だったんだから」


「あ。ベスさんもいたんですね」


 凜の後ろにはベスとトリカもいた。


「はあ! 私のことは眼中に入っていなかったとでも」


 ベスはどたどたと大きな音を立てて近づいてきた。胸があたっている。


「違いますよ。ベスさんたちも無事で良かったと思いまして。決して見えていなかったわけではないですよ。むしろバッチリ視界に入っていて逆に見えなかったみたいなあ……」


「あんなに太っていたら嫌でも目に入るもんね!」


「一人だけおばさんのせいで異彩を放っていんすもんね」


「はあ、そいうこと言うんだ!」


 ベスはさらに僕へと近づく。僕は後ずさりするがすぐに背中が壁に付く。


 というか悪口言ってるの僕じゃないんだけど。


「はあん」


 力が抜けるような声が出た。ベスの手が僕のあそこを鷲づかみしていた。


「え? 本当に私のことなんとも思ってないの」


 ベスの首はガクンと折れた。思春期真っ盛りの男子がまったく興味を示さなかった事実が相当ショックだったのだろう。これに関しては僕は悪くないけど、心の中で謝っておいた。


 ごめんなさい、ベスさん。これは完全に好みの問題ですから。


 リチャードさんは固まっていた。僕はベスから逃げるようにベスと壁の間から体をスライドして、リチャードさんの元へ移動した。


「どうかしましたか? リチャードさん」


「いや、えっと」


 リチャードさんは凜の方を見て、何度も瞬きしている。


「中二病の馬鹿さに驚いて固まっただけでありんしょう。ねえ、リチャードさん」


 凜は笑顔になった。凜の笑顔を見たのは初めてかも知れない。おもちゃを見つけたというような邪悪な笑みは見たことがあったが。


「ああ。すまない。昔会った人に似ていてね。疲れているようだ」


「そういえば残り時間は?」


「あと10分くらいでありんす。それと小型のキメラはあらかたケイシーさんが倒したでありんす」


「頑張ったからお兄ちゃん褒めて!」


 なでなで。


「えへへ。お兄ちゃん、好き!」


「というかこんなに簡単に倒せるなら初めから倒してれば良かったね」


「お兄ちゃんが凜ちゃんを守れって言ったの」


「ああ、ごめんごめん。でも本当にありがとうね、ケイシーちゃん」


「「全員集まってる」」


 ブランカとシュバが合流した。心配してなかったわけではないが、僕自身よりは無事だろうと思っていた。


「大きい化け物は?」


「たぶん追いかけてきてる」


「いきなり強化された」


 ブランカとシュバが簡潔に説明した。耳を澄ませば壁が崩れる音が遠くから聞こえてくる。


「僕、倒したい!」


 それだけ言うと、ケイシーは走り出した。


 僕たちがケイシーに追いついたときには大きなキメラとの戦闘は始まっていた。ブランカたちによるとケイシーが優勢らしいので安心だ。


 これで第二ステージも突破できると安心したからか、ずっと感じていた違和感の正体に気づいた。


 凜の行動が第二ステージに入ってからおかしいのだ。


 まず、武闘派の犯罪者相手に圧倒した凜がなぜ誘拐犯なんかに捕まっていたのか。


 2つ目は、犯罪者とは自分で闘ったのにも関わらず、なぜギャンブルは僕に任せたのか。今までのギャンブルを振り返ると、パチ屋やカジノは年齢制限で凜はできなかった。ゲルマとのギャンブルは僕が助けたいと言ったから、僕に任せた。だが、ガンマさんとのギャンブルだけは僕がやる必要は見当たらない。


 そして、なにより凜がいながら負けたのがおかしい。相手が不正をしていたのなら、理解できるが、ブランカとベスが勝っている以上、それはほとんどあり得ない。それにディーラーが不正をし出したらギャンブルは成立しない。こんな大きなカジノであるチルトのディーラーが不正をするとは考えにくい。


 だからといって、凜が負けようとしたとも考えられない。


 僕が思索に耽っている間にケイシーはキメラを倒すことに成功した。


 そして、僕たちの完全勝利で終了した。


 待機室に戻ると、扉がある。ルール通り10ポイント手に入れたため、脱出扉が出現したようだ。


 扉には『4チーム以上でないと通れない』と書かれていた。


「やっぱり⑦でも良かったじゃない」


 ベスは扉に駆け寄った。嫌みを言っているが、足取りはとても軽そうだ。


「待つでありんす!」


 ベスが扉を開ける瞬間、凜はベスの元へ走り出した。凜はそのままの勢いで扉を開けるベスを押し倒した。


 僕も何か嫌な予感がしていた。ここまで順調すぎたという点と、メニュー表に隠されたメッセージが無意味なものだったとは思えない。4チームが生き残れば良いのなら①と⑦を選んでも良かったことになる。


 凜の慌てた様子からその予感が確信に変わった。


 まだ第二ステージは終わってない。


 そして何か起こる場合、個人で対処できないのは僕とベス、トリカ、リチャードの4人。僕と最も近くにいたのはトリカだった。


 僕はとにかくトリカの肩を強く押した。手加減しないで押したため、トリカは少し飛んで倒れた。


 その瞬間、すごい衝撃が僕を襲い、僕は仰向けに倒れた。


「凡、さん……」


 トリカの声が聞こえた。どうやらトリカには何の被害もなかったようだ。


「凡くん! 大丈夫か!」


 リチャードさんはとても慌てていた。リチャードさんも無事な様だ。ベスもきっと凜が助けているだろう。これで全員無事にクリアだ。


 僕の視界は狭まっている。左側が真っ暗だ。


 左目のあたりを触ると何かが刺さっているのがわかった。僕の左目には槍が刺さっていたらしい。


 急に痛みが襲ってくる。


 僕は子供のように泣きわめいた。声を出していなければ痛みで精神が壊れてしまいそうだった。


 リチャードさんが応急処置をしてくれたおかげで出血は抑えられた。


 痛みは徐々に弱まっていったが、それでもとても痛んだ。


「ありがとうございます、リチャードさん」


「それは私の台詞だよ。これは私に生きる意味を思い出させてくれた凡くんに対する恩返しだと思ってくれ」


「いや、僕こそ。ここに医者であるリチャードさんがいなければ出血で死んでいてもおかしくありませんでしたから」


 トリカはうつむき、自分がしてしまったことへの罪悪感で押しつぶされそうになっていた。


「凡さん。本当にありがとうございます。本当に本当にすみません!」


 掠れた声で、申し訳なさそうにトリカは言う。


「大丈夫ですよ、トリカさん。気にしないでください」


 可能な限り明るい声を出そうとしたが、無理だった。それに、あれほど叫んでおいて、気にしないでくださいと言われてもトリカの罪悪感は減らないだろう。


 その場に止まるのも気分が悪かったので待機室に帰ろうとした。


 そういえば凜はどうなったんだと思い、見回すと凜は僕の方を見て、呆然としていた。


「お嬢!」


 凜の元に走り出していた。目の痛みなどどうでもよい。


 凜のドレスの下の方の一部が破けていて、右足がなくなっていた。凜の隣には太ももからしたの右足が転がっていた。


「お嬢! 大丈夫か! お嬢!」


「義足だって」


 隣にいたベスが説明する。


「義足?」


 転がっている脚をよく見た。見た目は生身の脚と変わらないが、触ってみると金属で出来ているのがわかった。とりあえず凜の無事が確認できて落ちついた。


 義足には凜がいつも使っている日傘がくっついていた。


「でも、あなたを見てからずっと……」


 ベスは凜の方を見ながら言いにくそうに言った。


「妾にとって中二病は奴隷、道具でしかない。大切なものじゃない。妾にとって中二病は奴隷、道具でしかない。大切なものじゃない。妾にとって――」


 凜はぶつぶつと同じ言葉を繰り返していた。


「お嬢?」


 呼びかけてもまったく反応しない。目の前で手を振っても焦点が合っていないでいる。


「クリアおめでとうございます。速やかに待機室へ戻ってください」


 ガンマさんの声が部屋の中に響いた。


 凜はまったく動こうとしないので、義足と日傘を回収して、凜を抱っこして待機室に運んだ。

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