第22話 リチャード先生

 僕達は全員扉に入った。


 闘技場に出る。犯罪者と闘った場所と似た石畳が敷かれたステージに立っていた。


 闘技場というくらいだから、犯罪者との戦闘の時とは違い、闘うステージだけではなく観客席まで再現されている。


 ステージの四方には巨大な門が設置されていて、3カ所は開かれていた。


 空中には闘技場を覆うドーム型の巨大時計が浮かんでいる。ちょうど針は12を指していた。これが制限時間を表しているのだろう。


「それでは一時間スタートです」


 僕たちが入ってきた扉はすぐに消え、ガンマさんの声が響いた。それと同時に閉じていた門が大きな音を立てて開く。


 ぐうぅぅ! ごぉぉうんんん! 心臓が震え上がるような、低い唸り声が闘技場に響いた。


 5メートルほどある門を首を曲げなければ通れないような大きな生き物が出てきた。


 ライオンの顔、山羊の体、蛇の尻尾、鷲の翼、何の動物かはわからないが脚には鋭いかぎ爪がついている。キメラだ。


 まさに化け物。


 化け物から逃げ切れの意味を理解した。このキメラから1時間逃げ延びなければいけないのだ。


「「私たちが引き留める」」


 ブランカとシュバは前に出る。


 二人の強さを全員が理解しているため、誰からも文句は出ない。他の人達はすぐに反転し、反対側の門に向かって走り出す。


 ケイシーは僕のぴったり横をついてくる。トリカとベスも振り向くことなく、僕たちの前を走っている。


 だが、凜とリチャードはその場で止まったまま。


「何やってるんだよ!」


 僕は慌てて引き返す。


 ケイシーが僕を止めようと声をかけてきたが、見捨てるなんてことはできるはずがない。僕が諦めないと分かったのかケイシーも付いてきてくれた。


「ケイシーちゃんはお嬢を頼む」


「僕はお兄ちゃんを守らないと」


「僕は大丈夫だから。お嬢を頼む。ケイシーちゃんにしか頼めない。お嬢から離れないでいてくれ。今のお嬢はなにか変だから」


「で、でも……」


「頼む!」


「う、うん」


 ケイシーはしぶしぶといった様子で了承してくれた。


 ブランカたちとキメラの戦闘は始まっている。僕では目で追うことも出来ない戦い。


 凜とリチャードが立っているところまで戻ってきた。


「リチャードさん、行きますよ!」


 リチャードは何の反応も示さない。僕はリチャードの手を掴み走った。


 ケイシーも凜の腕を掴み、凜を無理矢理走らせている。


 門を通ると、観客席やトイレに繋がる通路に出た。外へ繋がりそうなところは見当たらない。きっと、この闘技場の中で生き残るのが試験なんだろう。


「なにしてるの、遅いわよ!」


 ベスは怒鳴った。


「どこかに隠れるわよ」


「はい」


 僕たちは隠れられそうなところを探そうとすると、足音が聞こえてきた。僕たちの足音ではない。


 通路は石造りで、ステージとは違い天井で覆われて密閉されているため、音が響く。


 息が止まった。何かが近づいてきている。


 ロッカールームに繋がる道から、ステージに出現したキメラの小型バージョンが現れた。


 小さいからといって僕たちで対処できるわけもないというのが、小型キメラと対峙した瞬間に理解させられた。それほど生物的に圧倒的差があった。


 全員が走り始めた。


 後ろを振り向いたら殺される。減速したら死ぬ。転んだら死ぬ。全力で走ったとしても死ぬ可能性の方が高い。


 死が後ろに迫ってくる感覚。とにかく前に前に僕は走る。


 ひとまず逃げ切ることが出来た。


 化け物から逃げている間にみんなとはバラバラになってしまった。腕を掴んでいたリチャードだけが僕の側にいる。


 この状況で化け物に見つかったらどうしようもないので、トイレの個室にひとまず逃げ込んだ。


 他の人は大丈夫だろうか。いや、ケイシーがついているはずだから、自分たちの心配をすべきか。


 膝に手をつき呼吸を整える。これからどうすることが最も生存できる? ケイシーたちを探すべきか。このまま静かにしているべきか。


 キメラはなにを元に僕たちを探している? それが分からなければ対処の方法も思いつかない。


「なぜ君は私のことを救おうとする?」


 突然、リチャードが質問してきた。リチャードの目はずっと死んだまま。


「なぜ?」


 僕はなぜリチャードさんを助けようとしているんだ?


 自分でも理由がまったく分からなかった。


 無意味に人が死ぬのは良くないことだから? このゲームをクリアするため?


 それともリチャードさんが僕の憧れる特別な存在の一人だから?


 凜の話ではリチャードさんは世界的スーパードクターらしいし。


 いや、結局は徳を積むためなのかもしれない。つまり自分のため?


 分からない。なぜ僕はリチャードさんを助けようとしている?


「リチャードさんはなぜ医者になったんですか? 人を救いたかったからなんですか?」


 なぜ自分が人を救おうとしているかの理由は考えても分からなかった。だから、質問をそのまま返す。


 リチャードは低いテンションのまま答えた。


「私の母は病気で亡くなった。そこまで難病というわけでもなく、ただ手術が失敗して亡くなった。手術を担当した医者を恨んだわけではないが、不治の病や寿命でもない、治せるはずの病気で亡くなる人がいることが、なんだか不憫だと思った。勿体ないと思った。一度きりの人生がそんなくだらないもので終わってしまうのが良くないと思った。だから医者になって、治るはずの病気で亡くなる人を減らしたいと思ったんだ」


「それならリチャードさんの夢は叶ったんですね。世界的なスーパードクターにまでなれたんですから」


「いや、そんなことはない。私も手術を失敗したことはある。そもそも私は世界最高峰のスーパードクターと言われているが、決してそんなことはないんだ。私がこんな大層な名称で呼ばれるようになったのはある女の子を救ったからなんだ。その少女は癌で絶対に治らない状態まで悪くなっていた。癌の発見が早ければ治せるはずだったが、こればかりはどうしようもない。診察に来てもらわなければ私たち医者は病気を発見できないから。つまり、少女が死ぬのはしょうがないことだった」


 リチャードは一息あけた。当時のことを思い出すように視線を上にあげる。


「手術しなくても亡くなる、手術しても亡くなる。それでも手術するように頼まれた。奇跡が起こるかもしれないからと言われて。患者の意志を尊重するために手術することになったが、私は死を受け入れて、最後の時を家族と過ごすべきだと思ったよ」


「奇跡を起こしたんですね」


「いや、起こしたのは私ではない。私が少女にメスを入れたときには、癌の腫瘍は異常なほど小さくなっていた。私はそれを取り除いただけ。簡単な手術だったよ。それなのに私は大量の富と名声を得てしまった。罪悪感を感じた。だが、それから数日後に、他の少女が病院を訪れた。少女は痛みを感じないと言ってきた。だが、どれだけ検査しても異常は見当たらなかった。それからさらに数日後、少女は気のせいでしたと言ってきた。あのときの笑顔は無理矢理作っていたものだったよ。私が得た富と名声はこの子を治すために使えということなのかと思った。それから私は脳の研究を始めた。多くの論文を書き、賞賛されたが、少女が痛みを感じない原因は突き止められなかった。そして、気分転換をしようと妻とカジノに行ったときに、ここに招待された。あなたが求めているものがここにあると言われてね」


 はは、とリチャードは自嘲するように笑った。


「私はね、なにも成し遂げられなかった。それどころか一人の少女を不幸にし、愛した妻を殺した。もう生きていてはいけないんだ」


 僕はリチャードの両肩につかみかかっていた。


「なにを言ってるんですか! あなたが誰を不幸にしたっていうんですか。少女を助けるために人生を捧げたんでしょ。名声も富も自分のために使おうとすれば使えた。それなのにあなたは少女のためだけに使った。そんなことは普通はできない。あなたがしてきたことは誇って良い。奥さんが死んだのはあなたじゃなくて、ここに招待した人が悪いに決まってるでしょ」


「だが、私は……」


 僕の口は勝手に動いていく。


「あなたでダメだったなら誰がやっても無理だった。それに、あなたはたくさんの人を救ってきたんでしょ。それも、お金や地位のためじゃなくて、ただ人が人生を全うできることを願って。なぜ、自分ができなかったことだけに目を向けるんですか」


「それは……」


「それにあなたの奥さんはあなたが死ぬことを願っているんですか? 少女はあなたを恨んでいると思いますか? 絶対にそんなことはない」


「だが、私のせいで」


「それなら奥さんの分も生きなくてはならない。少女の病気の原因を見つけなければいけない。死んでいい理由はありますか? あなたはこれからたくさんの人を救って人生を全うしなければいけない」


 リチャードは顔をうつむけて黙っている。


 僕は肩から手をはなした。大人相手に偉そうにしてしまったという後悔が押し寄せてくる。


「すみません。何も知らないような子供の僕が」


 言ってしまったことは取り消せない。だからとりあえず謝罪した。


「でも、今言ったことは僕の本音です」


「本当に私みたいな人間が生きていていいのだろうか」


「生きるべきです」


「そうか。そうだな。私にはまだやらなければいけないことがある。それをやらずに死んだら妻にも少女にも合わせる顔がないな」


 リチャードの顔には生気が戻った。


 僕はリチャードに説教じみたものをしている間に、勝手に動く口とは裏腹に、心の中では自分がなぜリチャードさんを助けようとしているのかの理由が明確化されていた。

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