第15話 ケイシー

「そろそろ話終わった?」


 突然後ろから声をかけられた。僕の後ろには壁しかなかったはずなのに。


「え、誰?」


 僕は驚いて変な声が出てしまった。すぐに立ち上がり、臨戦態勢になる。チルトは想像以上にヤバいところだと身をもって分かったため、警戒しすぎってことはない。


「やっほー! 僕はケイシーっていうんだ」


 ケイシーと名乗る人が、片手を上げながら僕の前まで進んできた。元気ハツラツといったような声である。


 綺麗な水色の髪と瞳が目を引いた。髪は頭の上で二つのお団子にして結んでいた。


 声が高かったから、もしかしてって思ったけど、この世界にボクっ子がいるなんて。それにめっちゃ可愛いし。


 短パンにTシャツで元気そうな感じだ。ボクっ子の美少女という時点で特別認定してしまいたいが、それ以外は普通に元気な子供という感じだが、なんでこんなところにいるのだろうか。


 凜にジト目を向けられた。


 あんなに落ち込んでいたのに、一人の少女でこれだけ興奮できるのは自分でも恥ずかしいと思ったが、これだけはコントロールできない。だからといって、何の対策もうたないという愚策は犯さない。


「うっふん、というかいつから居たんだ」


 凜の注意を逸らすために、話題を変えた。


「君たちより先にここにいたんだけど。そっちの凜ちゃん? は気づいてたよね。というか名前で呼んでもいい?」


「いいでありんすよ。それに同じ空間にいる人くらい、普通の人なら気づいて当然でありんしょう。なら」


「ちょっと今の僕にその言葉はキツいんだけど」


 凜がいつも通りで安心している自分もいた。


「凜ちゃんとお兄さんの話聞いちゃったんだけど問題とかない?」


「お兄さんじゃなくて、お兄ちゃんって呼んでくれない。いや、元気娘には兄貴の方がいいか? 悩ましい。イッタァァ」


 凜に脛を蹴られた。


「このロリコンの言うことは気にしなくていいでありんすから。それと別に聞かれてマズイことはないでありんすよ」


「なら、良かった」


 ケイシーは脛を押さえている僕の元に寄ってきてしゃがみ、顎の下で手を組み、上目遣いで僕を見つめた。


「お兄ちゃんの弱ってる恥ずかしい姿、僕全部見ちゃった。テヘ! こんな感じでいいのかなあ?」


 今頃気づいたけど、僕、自分よりも小さな凜の前で号泣したり、拗ねたりしてたの。ケイシーにもしっかり見られてたっぽいし。


 死なないって決めたけど、やっぱり死にたくなってきた。


 でも、お兄ちゃん呼びされたからプラマイゼロみたいなもんだろと思い、立ち上がった。


 すると、ケイシーは僕の横に来て、背伸びしながら肩を組んできた。顔がめっちゃ近い。可愛い!


「それとも、兄貴の可愛いところ見ちゃった! の方がいい?」


 フレンドリー妹、最高! もう完全にプラス域に突入したわ。


 ケイシーは元の位置に戻った。


 僕は余韻に浸っていたが、凜の蹴りで夢から覚まされた。


「そういえば、僕たちはこれからどうなるの?」


「中二病はガンマさんの話を聞いていなかったでありんすね。妾達はゲルマに負けて所持金がゼロになったでありんす。妾達には二つの選択肢がありんした。一つは人権を手放し、誰かの奴隷として生きていくこと。もう一つはデスゲームに参加すること」


 一度死のうと決心したからなのか、デスゲームと聞いてもそこまで驚かなかった。僕には爪を剥ぐことですら現実味がなかったため、デスゲームの危険性がピンと来ていなかっただけかもしれない。


「僕たちはデスゲームに参加することを選んだんだよね」


 凜が誰かの下につくことはまったく想像できない。


「そうでありんす。それでここは、そのデスゲームが始まるまでの待機場ということでありんす」


「完全に牢獄だけどね」


「妾は中二病は足手まといだからいらないと言ったんでありんすが、断られたでありんす」


「確かにあの時は意気消沈していたから文句言えないけど。わざわざ言う必要あった?」


「何を言っているのでありんすか。もちろん今でも役立たずでありんすよ。妾も嫌がらせで言ったわけではないでありんすよ。ただ事実を述べただけでありんすから」


「いや、それが嫌がらせなんだが」


「冗談でありんす。嫌がらせで言っただけでありんすから」


「うん?」


 嫌がらせで言ったわけではない、というのが冗談ってこと?


「あっははは! 二人はやっぱり面白いね。凜ちゃんが言いたいのはチームのことでしょ」


「チーム?」


「そうでありんす。ここチルトではチームを組むことが可能のようでありんす。妾と中二病はここに一緒に来たから、チームと見なされたようでありんす。妾と中二病を同じ立場でカウントしているのは甚だ疑問でありんすが。まあ、ここのシステム上はそう判断されているようでありんす。ここではチーム自体が個人と判断されるんでありんす」


「チームが個人?」


「各々チップを所持していると考えるのではなく、チームで所持している。個人の勝敗は、チームの勝敗となるんでありんす」


「つまり、僕とお嬢は運命共同体、二心同体ということ?」


「そうやって妾と体を一つにしようとするのキモいでありんすよ」


「誤解だから、さすがにそんなこと想像してないから。イッタァァ!」


「アホだな、お兄ちゃんは。でも、二人とも災難だったね。まあ、災難っても言えないんだけど」


「どういうこと?」


「ゲルマさんだよ。ここ一階層では新人は潰されるのが決まりみたいなもんなんだよ。新人が一人の時はテリオスさん、三人の時はペシスさんが」


「なんでそんなことを?」


「まあここはカジノの訳だから、ギャンブルする理由はチップを得るためだね」


「それは本当の目的ではないんでありんしょう?」


「うん。二人がギャンブルするとき観客がいたでしょ。その観客達は見た?」


 僕はあのときのことを思い出す。


 ペリッ。


 爪を剥ぐ音までも思い出してしまい、呼吸が乱れ、頭がズキズキと痛む。僕は心臓をわしづかみするように抑え、過呼吸ぎみになった呼吸を整える。


「ごめん、お兄ちゃん。思い出させちゃって」


「いや、大丈夫だから。たしか、観客の中には車椅子に乗っている人や、眼帯をつけている人とか、体に不自由を抱えている人が多かったような気がする」


「そうなんだ。ここにいる人はほとんど全員が新人潰しで生き残った人たちなんだ。でも、新人潰しをなんの損失もなく凌いだ人はほんの一握りなんだ。だからほとんどの人が体のどこかしらを失っている」


「それが、新人潰しの目的にどう関係するの?」


 ケイシーはまだ説明が必要なの、というような顔をした。


「自分がやられたのに、他人がやられないのは納得できないでしょ」


「は? そんな理由で」


 意味が分からなかった。そんなくだらない理由で他者の命を弄べるのが。


「それだけではないでありんしょう。きっと娯楽でありんしょう」


 娯楽? 確かに観客は爪を剥ぐシーンを楽しんでいた。僕には理解できない。


「他人の不幸は密の味ってこと?」


「まあそれもありんしょうけど、中二病は他者が苦しむのを見て楽しいでありんすか?」


「いや、まったく」


「そうでありんしょう。ここに来た人たちもほとんどは中二病と同じ考えでありんしょう。でもここにいる間に考えが変わった」


「なぜ?」


 凜はポケットからスマホのような端末を取り出した。凜はスマホは持っていなかったはずだが。そして、僕に画面を見せてきた。


 画面に書いてあることを要約すると、1階層を抜けない限りは地上に戻ることができないらしい。


 ここから出られないの、と驚いている僕を無視して凜は話を進める。


「つまりここに居る人たちには娯楽がほとんどない。さらに、こんな環境から抜け出せないとなると、思考が変わるのも頷けるでありんす」


「まあ、全員がクズって訳じゃないけどね。ああいう人たちは基本的に2階層に上がることを諦めている。余生を楽しむ老人みたいなもんだよ」


「余生?」


 ケイシーは僕が見ている端末を指しながら言った。


「そこらへんの下に書いてあるでしょう。夜はホテルに戻れるって。基本的にここに来た前日のホテルに瞬間移動させられるんだよ。原理は不明だけどね。もちろんその部屋から出られない。ホテル代は自分たちの所持金から引かれていく。所持金がなくなれば、奴隷になるか僕たちのようにデスゲームに参加するしかない。ほとんど死ぬことを意味している。だから、2階層に行くことを諦めた人は所持金が寿命というわけだよ」


 なんだか複雑な気持ちになった。ゲルマたちが非道であることは間違いない。しかし、僕たちのようにここから逃げる権利がなかったことを考えると……。


 少しの静寂が訪れたが、凜は話題を変えるように淡々と言った。


「ところでケイシーさん、いつになったらあなたのことを教えてくれるんでありんすか? その服の中身とか」


 凜の雰囲気が少し変わった。


「お兄ちゃん、何想像してるの!」


 ケイシーは即座にツッコんで、服の裾をつかみ体を隠そうとするポーズを取った。


 何がとは言わないが、まったくない凜と比べると少しだけケイシーにはあった。

「ナニモミテナイヨ。イッタァァァ!」


 一瞬、凜に視線を向けたタイミングで脛を蹴られた。まるで心の内を読まれているようだ。


 凜は僕を蹴るときもケイシーから視線を一切外さない。そういえば、凜はケイシーと話し始めてからずっとケイシーを見ていた気がする。


 携帯を見せるときもわざわざ僕に読ませていたし。それは面倒だっただけの可能性もあるけど。


「凜ちゃん、一つだけ聞きたいんだけど、なんでそんなことを聞くの?」


 今まで元気いっぱいだったケイシーの声は少しだけ暗くなった。


「妾がここに入ったときに、たまたまそれが見えてしまったんでありんす。幸運だったでありんすねえ」


 凜はケイシーのお腹あたりに指を差した。


「それにケイシーさん自身が言ったでありんしょう。新人潰しをなんの損失もなく凌いだ人はほんの一握りなんだ、と。半袖短パンで見えない部分に何か傷を負っている可能性は無くはないでありんすけど」


 なんでこんな普通の少女がここにいるんだろうと思っていたが、凜の話を聞いて、僕にもケイシーさんが普通ではないように見えてきた。


「折角、妹ポジションを演じてきたのに。でも、やっぱり面白い。僕の目は間違っていなかった」


 明らかに声のトーンが下がった。ケイシーはTシャツの中に手を入れ、黒い物体を取り出した。


 ケイシーが軽く手を振ると刃が出てきた。折りたたみ式の小型ナイフだ。


「僕は殺し屋だよ。まあ元だけどね」


 僕が身構えようとしたときには、ケイシーは僕の横を抜け、凜の首に刃を押し当てていた。


「お嬢!」


 凜は顔色一つ変えずに立っていた。首筋から血が一滴垂れる。


 凜の背後に立っているケイシーに睨まれると金縛りにあったかのように動けなくなった。お兄ちゃんと呼んでいた楽しそうな目ではなく、敵を討ち滅ぼそうとする果たし眼、いや捕食者の目がそこにはあった。自分たちはただ食われるためだけに存在していると思わされた。


「ふふ。やっぱり本物は違うでありんすね。妾も少しは戦闘訓練をしてみんしたが、まったく反応できないでありんす」


 凜はお手上げといったように言うが、表情には余裕があった。


「はは。少しだけ予想が外れたね」


 ケイシーが笑った途端、重苦しい空気は霧散した。


 ケイシーはナイフを凜の首から離し、服の中にしまった。そして、僕たちの前に戻った時には、初めの元気なケイシーに戻っていた。


「僕とチームにならない?」


「チームの変更はデスゲームが終わるまでできないでありんすよ」


「そういうチームじゃなくて。同盟みたいな感じ。デスゲーム中に協力しない?」


「協力できるものなんでありんすか?」


「できるよ。僕は2回目の参加だからね」


「ケイシー様。デスゲーム会場にお連れいたします」


 鉄格子の前にガンマさんがいた。


「はいはい! ちょっとだけ待ってね。それで答えは?」


「いいでありんしょう」


 答えに満足したのか、ケイシーは笑顔でガンマさんの元に走って行った。僕は急展開すぎて話について行けず、ただその場に立っていた。

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