第13話 ペリッ!

 凡は自分の目的を再認識して、ポーカー台の前に出た。


「お嬢ちゃんじゃなくて、こいつが儂とギャンブルするのか。最初から勝負を捨てておるのか」


 ゲルマは凡のことは眼中にないように、後ろにいる凜の方を見た。


 凜が僕の前にいないだけで心細い。


「どうした? 声も出せないか」


 決心はした。だからといって、凜のように特別になれるわけではない。


 それでも僕は特別を目指す。


「僕……お前ごとき、お嬢が出るまでもないぜ。通常タイムはここで終わり、ここから先は俺様のAT(Ablution浄化 Time)。天使に汚臭を嗅がせ続けた汚物の清掃タイムだ」


 右手の親指から中指までを広げ、顔の前に置いた。いわゆる中二病ポーズを決めた。


 場は静かになった。


「ふふ」


 後ろにいる凜だけが笑っ、……嘲笑ってくれた。


「それではトランプの準備を始めさせてもらいます」


 何事もなかったようにガンマさんはトランプを取り出し、シャッフルし始めた。


「お前らニップじゃろお」


「ニップ?」


 すかさず凜が返答する。


「違うでありんす。スレイブ奴隷でありんすよ」


 ニップがどういう意味か分からないが、凜の言葉は分かった。おそらくニップも悪口なのだろうが、凜はもっとひどいことを言ったということだろう。


 凜の返答が予想外だったのかゲルマが追撃してくることはなかった。


「……特別に日本のポーカーのルールにしてやるよ」


「僕はそれで構わないよ」


 インディアンポーカーのルールも知っていたが、やったことはなかったのでゲルマの提案は良かった。普通のポーカーもあの男と少しやっただけなのだが。


「それでは始めさせていただきます」


 ガンマさんはお互いに5枚のトランプを配った。


 この5枚のトランプでできた役で勝負を決める。交換できる回数は1度だけ。


 配られたトランプを見た。0.0013パーセントのストレートフラッシュが出来上がっていた。これに勝てるのはロイヤルストレートフラッシュだけであり、普通に考えて負けるはずがない。


 そもそもこの勝負は負ける確率が極めて低い。手札を見て掛け金を変えたり、降りたりする場合は異なるが、毎試合勝敗を決めるルールでは完全に運の勝負になる。それも僕たちは10勝の半分の5勝だけをすればいい。


 さらにこっちには凜がついているのだ。万に一つも運の勝負で負けるはずがない。


「交換される方はカードを前に置いてください」


「僕はこのままで大丈夫です」


「儂もじゃ」


「それではカードをオープンしてください」


「フルハウスじゃ」


「ストレートフラッシュ」


「おお!」などと観客からは声が上がった。


「凡様の勝利です」


 僕は内心、ヒヤッとした。確かに勝った、だが、運の勝負なら絶対に勝てると思っていた。しかし、そう簡単にはいかないのだと思い知らされた。フルハウスも0.14パーセントでしかできない役だ。たまたま運が良かったとも考えられるが、ここにいる人たちは表の世界ではトップクラスのギャンブラーであり、剛運の持ち主なのだ。


「チッ。それじゃあカウントといこうか」


 ゲルマは負けたというのに余裕そうに言った。


「待ってました!」「これがなきゃ、ゲルマなんかに新人は譲んねえわ」「うんこが動いたぞ!」


 今までとは比にならないほどの盛り上がりだった。


「嫌、お願いします」


 突然、プリュは膝から崩れ落ちた。


 ゲルマはプリュの元に歩きながら、派手なコートの裏からペンチを取り出した。


「い、嫌! もう嫌だ。お願いしますお願いします。それだけは嫌。嫌です」


 プリュは泣き出した。観客は静かになり、プリュの声だけが響いた。まるでスポーツの大切な局面で観客が静かになるように。


「この瞬間だけはうるさくしても文句はいわんぞ、プリュ」


 プリュの右手の指には包帯が巻かれていた。その包帯はうっすらと赤い染みが付いていた。僕たちが5勝すれば良い理由が分かった。


「やめろおぉぉ!」


 僕はプリュのもとに駆けだした。


 ゲルマはプリュの左手を無理矢理引っ張り上げ、ペンチで人差し指の爪を剥がした。


「いや、いやいや。いやぁぁぁぁぁ!…………」


 ペリッ。


 とても軽い音が鳴った。だが、一生頭から離れないような吐き気のする最悪な音。


 観客は笑ったり、「これが見たかった」などと声を上げた。


 僕は耳を塞いでその場に座り込んだ。


 爪が剥がれた音を聞かなかったことにしたかった。それとは裏腹に、頭の中にはペリッという音が流れ続けた。


「――凡様、凡様!」


 顔を上げるとガンマさんが僕の肩を叩いて、名前を呼んでいた。


「そろそろ第二試合に参りますので、定位置に戻ってもらえますか」


 僕は何も考えたくなくて、指示に従おうと立ち上がった。ふらつく足取りで自分の席へと歩いてく。


 凜が僕のことをじっと見ていた。凜の目を僕はまっすぐ見返すことができなかった。


「それでは第二試合を始めさせていただきます」


 配られたカードをめくる。「6」が4枚と「5」が一枚のフォーカード。ストレートフラッシュより一つ下の役だが、普通に強い役だ。今回もこのままいけば勝てるだろう。


「カードを交換される方はどうぞ」


 僕はどうすればいい。勝ってしまえば、プリュの爪が再び剥がされる。だが、負ければ凜の爪が剥がれる。


 何をすればいいのかは分かっている。ゲルマに勝ってプリュを解放するのが一番なのだと。たとえ爪5枚、もしくはそれ以上の痛みを与えたとしても、ここで勝ち、解放することが最も効率的かつ効果的なのだろう。


 僕は気づけば「6」を2枚場に捨てていた。


 そしてガンマさんから送られてきたカードは「9」と「10」。僕の手はワンペアになった。


「それではカードをオープンしてください」


「ツーペアじゃ」


「……」


「それでは凡様、こちらをどうぞ。ペンチを持っておられませんよね」


 ガンマさんは機械のように淡々と僕にペンチを渡してきた。


「凡様、どうかなさいましたか」


 僕はペンチを受け取った。


「おい! さっさとやれよ。ご主人様にお前もこき使われてるんじゃろお。復讐できてちょうど良いじゃねえか。それに復讐したから『6』を捨てたんだろ」


「僕が爪を剥がします」


 僕にできることはこれだけだった。自分から負けにいったのだ、責任くらいは持たなければいけない。だが、そんな償いすら許してはもらえなかった。


「それはルール違反だぜ」


「先程説明しましたが、爪はポーカーをしている人ではない、もう一人の方のものではないといけません」


 僕が耳を塞いでいるときに言われたのだろう。


 僕には何もできない。僕はペンチを持ったまま、呆然とした。


 凜は僕に近づいてきて、ペンチを奪い取った。僕が気づいたときには凜の爪は剥がれていた。


「必ずしも相方が爪を剥がすというルールはなかったでありんしょう」


 凜はペンチを地面に投げ捨てながら言った。


 凜の左手の人差し指からは血がぽたぽたと垂れた。


 観客は凜が一切いたがる素振りを見せなかったことに動揺したのか、一瞬静まりかえったが、「今回の新人は面白いぞ」「男より少女の方が男っぽいぜ!」などと、すぐに盛り上がった。


「さっさと次の試合を始めるでありんす」


「それでは第三試合を始めさせていただきます」


 配られたカードをめくる。何の役もできていなかった。


「カードを交換される方はどうぞ」


 僕は全てのカードを場に出した。再び配られたものも何の役もできていないブタだった。


 普通に考えればこういうことも全然あり得る。だが、凜がいながらこんなことが2回連続も起きるだろうか。


 僕は振り返った。


 凜は変わらず、僕の方をただじっと見ていた。


 カードをオープンして負け、凜は再び自分で爪を剥いだ。


 第四試合から第六試合も同じことの繰り返しだった。途中、観客の方が騒がしかったが、僕にはどうでも良かった。


 凜の左手の爪は全てなくなり、血が流れていた。


「お前のせいであのクソガキは爪を剥がされてるのお。さぞ、痛いじゃろお。本当に可哀想じゃのお、無能な相方を持って。いや、狙ってお前は負けてるのか。主人が苦しむ姿を見たくてしょうがないのかあ。降参でもしたらどうだあ? ああ?」


 降参。


 降参すれば凜はこれ以上爪を剥がさなくて済む。僕も爪が剥がれる音を聞かなくて済む。


 凡の頭にはペリッという音がこびりついていた。


 凡にとって降参とはこの地獄から解放されることと同義だった。降参した後に待ち構えるさらなる地獄などに意識を向けることはできない状況だった。


「中二病。中二病。聞こえないんでありんすか」


「降参し……」


「凡!」


 僕の名前が叫ばれ、顔を向けた。


「何も考えずに、ガンマさんの指示に従うだけでいいでありんす」


 僕はそれから何も考えることなく、ポーカーをした。


 気づけばギャンブルは1勝10敗で終わっていた。


「ガンマさん、包帯だけもらっても良いでありんすか」


「かしこまりました」


 ガンマさんは凜に包帯を渡した。


「ありがとうでありんす。それでは、案内もよろしくでありんす」


「かしこまりました」


「さっさと行くでありんすよ、中二病」


 僕は凜の後ろをついていった。いつもと変わらない小さな背中。だが、いつもとは違い、手からは血が流れている。僕はその落ちる血を見ることしかできなかった。

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