第5話 今日の予定:誘拐される

 僕の奴隷生活は続いている。


 今日はパスポートを受理しにパスポートセンターに行っていた。パスポートが必要になった理由はぬいぐるみでパチ屋に行った日まで遡る。

 

――――――――

「アメリカへ行くでありんすよ」


 夕食を取っている時に、突然凜が言った。今回も提案ではなく、決定事項なのだろう。


「いきなりどうした?」


「中二病は特別になりたいんでありんしょう。毎日パチ屋に通っているようでは一生特別にはなれないでありんすよねえ。それならカジノの本場であるアメリカに行くしか選択肢はないでありんしょう」


 確かに凜の言うとおりだった。僕が特別だと思ったあの人もカジノのために何度も海外に行っていた。だから、僕もいずれは海外に行くつもりではあった。


「そりゃあ、行きたいのはやまやまだけど、まだ資金が足りなくて」


「ふふ。これだから平凡なんじゃありんせんか」


「はあっ! 分かったわ、それなら行ってやるわ」


 平凡と言われてむきになってしまった。

――――――


 そんなわけで、あっさりとアメリカ行きが決定した。


 僕にとってはこの決断が良かったことだと思っている。このまま資金が集まるまで日本で同じ生活を送っていたら、もう少し資金を集めてからと言い訳を立てて、一生海外に行くことができなかったかもしれない。


 明日の飛行機でアメリカへ行くため、今日はパチ屋には寄らずに、直接家に帰ってきた。玄関には凜の靴がなかった。


 凡は今朝の凜との会話を思い出した。


『明日にはアメリカ行くんだから、今日中に日本でやるべきこと済ませておけよ。いつ帰ってこれるか分からないんだから』


『確かにそうでありんすね。中二病が特別な存在になるには一生かかっても無理そうでありんすからね。あ、でも、資金が尽きたら帰って来るのだから一瞬で帰ってこれそうでありんすね。ふふ』


『資金がなくなったら帰ってもこれないけどな。僕はパスポート受け取ってくるから』


『妾を一週間も待たせたパスポートでありんすか。妾に迷惑をかけた罰としてビリビリにやぶってあげんしょうか』


 凜はパスポートを持っているらしく、僕だけが作成した。作成に1週間かかった。


『そしたらまた1週間はアメリカ行き延期だけどな。それじゃあ、パスポートだけ受け取ったらすぐに帰って来るから』


『報連相できるようになって偉いでありんすよ。褒美として一つだけ妾のことを教えてあげるでありんす。妾は今日、日本でやるべき最後のことをやってくるでありんす』


『出かけるってことだな。了解。じゃあ、いってきます』


 凜が来てから約2週間、家の中で一人になることはなかったから少しだけ新鮮だ。凜が帰ってくる前にグッズの見納めでもしていようかな。


 リビングに入った。


 リビングの真ん中に置いてあるテーブルの上には一枚の紙が置かれていた。


『殺人鬼に誘拐されるでありんす。来られたらお迎えよろしくでありんす。それと服を持ってくるでありんす』


「は?」


 素っ頓狂な声が出た。


 普通に考えればあり得ない。だが、普通ではない凜ならあり得る内容。そして、まるでできたきたらお願いという文章。これも凜が書いたということから絶対に成し遂げなければいけない命令ということになる。


 二週間、凜の奴隷をしていたことから瞬時に手紙の内容を理解できたが、問題はどこに迎えにいけばよいかということだ。紙には場所について何も書かれていない。


 手がかりはないのかと思い、部屋の中を少し探したが見える部分には何もなかった。唯一あるのは持ってくるようにと言われたゴスロリ衣装くらいだ。凜がこの衣装以外で外に出るのは初めてかもしれない。


 凜は携帯も持っていないため連絡もできない。そもそも誘拐されていたら電話なんてできないだろう。


 だからと言って無闇矢鱈と探すのは論外だ。近くにいるのかさえ分からないのだから。


 ヤバい、本当にどうしよう。


 あの凜なら誘拐犯を撃退できるだろうという希望もあったが、それならば手紙に迎えは命令しない気がする。僕が迎えに行かなければ誘拐犯に一切抗うことなく殺されることを受け入れる可能性も十分にある。凜にはそんな危うさがある。


 その危うさは一緒に生活しているときに、時々姿を現していた。


―――― 

 ある日、家に帰ったときは、凜は台所の包丁を握って戦闘訓練のようなものを行っていた。


「おい、危ないって」


 僕は咄嗟に包丁を取り戻そうと声を出した。凜は僕の声に驚いたのか包丁を落としてしまった。それが凜の右足に当たった。幸いにも怪我はしなかったが、その後の凜の行動が理解不能だった。


「いきなり声を出さないでくれるでありんすか。もしかしてこっそりと近づいて妾を襲おうとしていたんでありんすか」


 凜はいつも通りの淡々とした口調で言った。包丁を回転させるように上に投げ、キャッチするということを繰り返しながら。


 たった今、包丁を落として怪我をしそうになった人が絶対にやらないことを平然と実行していたのだ。


 僕はぞっとしたが、とりあえず包丁を凜から取り上げて、今後はやらないように注意した。もちろん、凜に命令した僕は凜を不快にさせたと言うことで脛蹴り、顔面蹴りの刑を受けることになった。

――――――――


 普通の人なら包丁が自分の足に刺さることを気にしない凜に恐怖を感じるかもしれないが、僕はそれ以上に魅力的だと思ってしまった。これが特別な存在なのだと。


 だが、今はその危うさがひたすらに怖い。僕の行動次第で凜の命運が決まるかもしれない。


 僕にとって自分の行動が他人に影響を与えるという経験は無いに等しい。関わったことがあるのがあの男だけであり、特別なあの男に僕自身が与えた影響などないだろうから。


 今回に限っては命まで関わってくる。こんな経験をしたことがあるのはほんの一部の人だけだろう。


 とにかく怖い。


 何もせず家にいることが耐えきれず、外に出た。凜に頼まれた服を持つことなく、ポケットに入っていた携帯だけを持って。服を準備するほどの余裕はなかった。


 手当たり次第に探すしかない。頭の中では落ち着けと警鐘がなっているが、それに構っていることはできない。


 今はとにかく凜を探さなければ。


 僕はとにかく走って、家の周りにある施設を片っ端から回った。


 疲労した僕の頭の中にはあの男との思い出が流れていた。



 僕の記憶は男が孤児院の院長に言った「あの少年をもらおうか」という言葉から始まる。あのころの僕は気づいていなかっただろうが、僕はその男を見た時から惹かれていたのだと思う。そうでなければ、それ以前のように何にも興味を示さず、記憶として残っているわけがないのだから。


 男は僕を院長から受け取ると、何も言わずに歩き出した。僕は男の横をついていった。


 僕にとって住む場所が変わるだけの出来事であり、どうでも良かった。何も変わらない。変わったとしてもどうでもいい。


 今住んでいる緑壁のマンションに着き、二階の角部屋に入った。


「今日からはここがお前の家だ。好きに使っていいからな」


 男はしゃがれた声でいった。


「……」


 僕は何も返さなかった。男は表情を変えずに葉巻に火をつけ吸い始めた。部屋中に煙が蔓延した。


「少年、名前は?」


「――――」


 もう昔の名前は覚えていないが、確かに男の質問に答えた記憶がある。


「そうか。じゃあ、今日からお前は平々凡だ」


 僕はこくりと頷いた。名前などなんでも変わらない。僕の名前を呼ぶ人などいないのだから。


「凡。この名前はな、お前が特別になるようにと思ってつけたんだ」


 名前の由来などどうでもいいが、どうやら、これからは僕の名前を呼ぶ人が一人だけいるようだ。


 それから10年近くが経ち、男は姿を消した。


 男がいなくなってから、僕には何もなくなった。感情という不必要なものだけを得た状態で、昔と同じ生きた屍に成り下がった。


 昔は寂しさなんて感じることもなかったのに、今は寂しさを感じる。明らかに劣化している。


 その寂しさを埋めようと他人に関わろうとするが、まったく関わりたいと思えなかった。それならば、物語でも読み、少しでも寂しさを消そうと考えた。そこで出会ったのがラノベだった。


 ラノベの中の主人公には興味をそそられた。世界を救う者、壊す者、時を操る者、魔法を使う者、全員が特別な存在だった。


 そんな特別な人の物語を読む日々を繰り返していた時に気づいた。


 僕には感情以外に平々凡という名前も与えられていたということに。男がいなくなって僕の名前を呼ぶ人がいなくなり忘れかけていた。


 そして、特別になるという目標を与えられていたも思い出した。


 このときに、僕は特別なあの人のようになろうと思った。


 それからギャンブラーと名乗るようになった。


 中二病もこの頃に発症した。これに関してはラノベが原因だと思う。


 そして、一年が経つ頃には生活に余裕が出てきた。その時に凜と出会った。


 あの男以外で初めて興味を持った人だった。


 願ったように勝ち負けをコントロールできる特別な才能。まるでラノベに出てくるような魔法使い、異能力者、世界の中心にいるような存在だった。


 一緒にいればいるほど、凜が普通ではなく特別なのだと理解させられた。


 恥ずかしさなど一切なく、自分を貫ける精神。他人には理解できない感性。


 僕が憧れる特別な存在。


 凜もあの男も僕に影響を与えることを躊躇うことはなかった。自分たちの行動が正しいと信じている。いや、正しいと分かっているかのように、自分を貫いていた。

 

「ここにもいないか」


 膝に手を置き、一瞬だけ息を整え、凡は再び走り始めた。


 日が落ち始めるころには、凡は膝を地面について座り込んでいた。もう限界だった。


「どこにいるんだよ、お嬢!」


 空に向かって叫んでも返事は返ってこない。周りから視線だけが向けられた。疲れすぎて恥ずかしさすら感じなかった。


 諦めようかなと頭の中に浮かんだ。特別な凜ならきっと一人でも大丈夫だろう。普通の僕が助けに行く必要などない。


 甘い囁きが頭の中に流れた。


 でも、すぐにその囁きは凜の姿によって上書きされた。


 凜を失うわけにはいかない。僕にとっての憧れで尊敬している人を見捨てられるわけがない。それに、こんなところで諦めるヤツが特別にはなれない。


「僕は普通じゃない。特別になる。その第一歩と決めた、オカルトを突き通すことで挫折するわけにはいかない。お嬢を見捨てるわけにはいかない!!」


 自分を奮い立たせるために叫んだ。


 ほんの少しだけ自分がラノベの主人公のようになれた気がした。


 もちろん、喜んでいる暇はない。早く見つけなければ凜が殺されてしまうかもしれない。だが、諦めようかと沈んでいた気持ちがどこかへ行ってしまったのは確かだった。


 どうすればいい。普通の僕ができることはなんだ。


 一つだけこの状況を打開できるかもしれない方法を思いついた。

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