第3話 優しさを持ち合わせてた?
二人は再び電車に乗り、凡の家の最寄りの駅で降りて歩いていた。
もちろん奴隷なので彼女のバッグは当たり前のように凡が持っている。日傘も差してあげている。いや、させていただいていると言わなければ彼女に文句を言われてしまうだろう。
「本当に今更なんだけど、お嬢の名前って何?」
「お嬢様でありんす」
このやり取りは電車の中でも何度かやったが、僕の呼び名を中二病から変えない限りは呼び方を変えるつもりはない。年下相手に少し情けない気もしなくはない。
「妾のことを知りたいんでありんすか? やっぱりロリコンなんでありんすか?」
「違うわ。これから一緒に住むんだからお嬢のことを少しは知っておいたほうがいいだろう」
というか未成年と一緒に住むって犯罪にならないのだろうか?
未成年が未成年を家に泊めるなら何の問題もないのか? 友達を泊めるみたいなものだよな。うん、そうだよね。そういうことにしておこう。
凡は深く考えるのをやめた。
「妾は
「そうか。それでお嬢は――。イタッ」
凜は思いっきり僕の脛を蹴ってきた。
「妾の命令は絶対でありんす。ところであとどのくらいで妾の家に着くんでありんすか?」
「僕の家な。もう着くよ。あそこのマンジョンだから」
僕は少し先に見える、緑色の二階建てのマンジョンを指さした。緑の壁は所々剥がれたり、カビなどが生えていて老朽化している。
「小さくて汚いでありんすね」
「お嬢の家よりはマシだと思うけどね。というか僕の家を自分の家呼びしていたから、あれがお嬢の家と言うことになるんだけど」
「そうでありんしたね。まあ、住めば都、妾が住めば豪邸でありんすから何の問題もないでありんす」
つまり、駅のコインロッカーは凜にとって豪邸らしい。そして、今日から僕の家も豪邸になるようだ。
「外見は汚いけど、中はそこまで汚れてないから、あ……」
「どうしたんでありんすか?」
「やっぱり、今日だけはどこかのホテルとかに泊まらない?」
「そういうことを想像して妾を連れてきたんでありんすか? やっぱりロリコンなんでありんすね」
「違うから。そういう意味じゃなくて。それにロリコンでも……なくて」
「なんか歯切れが悪いでありんすけど。さっきまでロリコンじゃないときっぱり否定していたでありんすけど。
凜の無表情の顔は、いいおもちゃを見つけたというようなにやりとした顔になった。
「なんでもないけど」
マズイ。中二病だけでなくあのこともバレたら僕の立場がさらに酷くなる。なぜもっとはやく気づかなかった。
でも、後悔している暇はない。
すでにマンションの前に着いていた。僕の部屋は二階の角部屋だ。
外に取り付けられた錆び付いた階段を上っていく。
凜は僕から離れることなくきっちり後ろを着いてくる。こういう時だけ従順だ。
ドアの前に着いた。
「しょうがないでありんすね。中二病にもプライベートはありんしょうから、妾はここで少し待っていてあげんすよ。エロ本でもなんでも隠してくるといいでありんしょう」
僕を奴隷のように扱う凜がこんな提案をしてくれることに驚き、声が出せなかった。
「どうしたんでありんすか。妾にも少しくらいは奴隷を想う気持ちはありんすよ」
「ありがとう。でもエロ本はないから」
自分の家を貸す側で自分の方が偉いはずなのに、心のそこから感謝の気持ちが湧き上がる。自分には奴隷属性でもあるのかと疑いたくなるほど、凜のことを自分よりも上の立場であると認めてしまっていた。
ドアを少し開け、壁とドアに挟まるようにしながら部屋の中に入り、ドアを閉めた。凜には絶対に中を見られるわけにはいかない。
鍵を閉めるべきか悩んだ。本来なら閉めるべきだろうけど、凜の優しさ(?)で猶予をもらえているのに、相手のことを信用しないのは違うか。
そう考え、僕は鍵を閉めることなく、靴を脱ぎ、廊下を進む。僕が住んでいる部屋は2LDKで、一人暮らしにとっては広い。廊下の右手側に一部屋、左手側にトイレと浴室、そして突き当たりにリビング。
僕は急いでリビングに入った。外はまだ明るいというのに部屋の中は真っ暗だった。窓がなかった。正確には窓は段ボールで封印されている。
凜は待ってくれると言ったが、時間をかけすぎては凜の気分が変わってしまうかもれない。そのため急がなくてはいけないのだが、どこから片づければよいか分からなかった。部屋が汚れているわけではない。むしろ埃などは一切ないと断言できるほど清潔さに気を配っている。窓が封印されているのも紫外線を防ぐためにだ。
そう、全てはグッズを汚さないために。
リビングの右側の僕の寝室に繋がる扉を含め、全ての壁に美少女タペストリーが飾られている。それ以外にも本棚にはぎっちりとラノベが並べられ、アクスタも綺麗に置かれている。
すでに中二病と言われているのだから、それにオタクが加わっても問題ないだろう。たぶん。
しかし、問題は飾られているタペストリーとアクスタのほとんどがロリキャラということだ。ロリコンと思われるわけにはいかない。凜に揶揄われるだけならまだしも、凜に対しても可愛いなどの感情を向けているとバレるのが良くない。具体的に何が良くないかは分からないが、きっと良くないだろう。普通に考えて良くない。うん、絶対に良くない。
グッズを死ぬほど大切にしている凡にはグッズを押し入れに詰め込むようなことはできない。しかし、凜を待たせているから――。
ガチャ。
心臓が飛び出そうなほど体が震えた。
僕が部屋に入ってから1分もまだ経っていない。
気のせいだ。ドアが開く音なんて聞こえなかった。だってまだほとんど時間経ってないし。待ってくれるって言ったし。だってだって、まだ僕まったく片づけられてないし。凜は奴隷のことを想うとっても優しいご主人様のはずなんだ!
僕は自分を安心させようとするが、僕の耳は足音を捉えていた。足音はだんだんと大きくなる。リビングと廊下を繋ぐ扉の取っ手に触れる音が聞こえた。
扉はあっけなく開かれた。もちろん、そこには凜の姿があった。
「そろそろ片づけも終わったでありんすよね」
口の端が上がった凜の顔は、明らかに確信犯のそれだった。
しかし、そんな勝利に浸っている凜の顔は、部屋の中を見て徐々に引きつったものになっていった。
「違うから。本当にこれは違うんだ」
「……何を慌てているのでありんすか。妾は何も言っていないでありんすよ」
凜が無理矢理真顔を取り繕ったのが分かった。
「それなら、一歩後ずさった足を戻してくれる」
「問題ないでありんすよ」
凜は一歩どころか三歩進み、僕の前にいつもの堂々とした様子で仁王立ちした。
「それとひとつ言っておきたいんだけど僕はロリコンじゃないからね。たまたま好きになったキャラが小さい子に偏っているだけで決してロリコンじゃないから。それに僕は三次元にまったくといっていいほど興味がないから。それとロリコンじゃないから」
僕は凜の肩に手を置いて目で訴えるように彼女を見つめた。
「信じてくれるよね」
「とりあえず妾の肩からその汚れた手を離してくれるでありんすか?」
僕はうなずき、手を離した。
「イタッ。え。なんで? 離したよね。命令聞いたよね」
手を離した瞬間に容赦なく脛を蹴られた。
「妾の服を、いや妾を穢した罪でありんすよ。もちろんこれだけで終わると思っていないでありんすよね」
今までに見たことがない貼り付けたような冷たい笑顔をしていた。
そこからしばらく凜に蹴られ続けた。僕はなぜかそれを受け入れた。決して自分が悪いことをしていないはずだけど、これから一緒に生活していく上で受け入れなければいけないと感じた。
一通りの制裁が終わった。
これから生活していく上で、凜に不快感を与えるわけにはいかないためグッズを片づけると凜に申し出たところ、「妾がこの程度で不快になると思っているのでありんすか」と片づけなくて良いと言われた。「あれだけ蹴っておいてよく言うわ」とツッコミそうになったが我慢した。
とりあえず、片付けはゆっくり進めていくことにした。
「お嬢は、僕の寝室を使ってくれる?」
「良いでありんすけど、ロリコンはどこで寝るんでありんすか?」
「僕はリビングで寝るから。それとロリコンはやめてください」
「そうでありんすか。自分の立場を分かっているようで妾も嬉しいでありんす。でも、もう一部屋ありんしょう。そこの部屋を使えば良いんじゃありんせんか?」
「ああ、あそこの部屋を見たの?」
「トイレと間違えて開けてしまったんでありんす。ベッドくらいしかなかったでありんすけど。そういえば、ここには中二病一人で暮らしているんでありんすよね?」
「なんで一人だと決めつける?」
「リビングにこんなものを堂々と飾っている時点で一人暮らしでありんしょう」
「まあそうだけど」
「それであの部屋は誰の部屋なのでありんすか?」
「あの部屋は僕のたった一人の家族の部屋なんだ」
凡の声のトーンは一段階下がった。視線を空中で留め、過去を愁うように語り始めた。
僕は自分の親の顔を覚えていない。生まれてすぐに捨てられたらしい。そして、孤児院に引き取られた。僕にはその頃の記憶がほとんどない。いや、記憶として保存されるような感情が動く出来事がなかった。僕には全てのことがどうでも良かった。自分の命にすら興味がなかった。
今考えると、感情が動かないことは生きていないことと同義であると思う。だから僕は生まれながらにして死んでいたということだ。
10歳のときに見知らぬ男が僕を引き取りに来た。僕の人生が始まったのはこのときだろう。男のことはほとんど何も分からない。名前すらも教えてもらっていない。だが、与えてはもらった。平々凡とかいう呪いのような名前を。それ以前の名前は覚えていない。
男について唯一知っていることはギャンブラーだったということだけだ。男はカジノのためによく海外にも行っていた。だから1ヶ月近く家に帰らないこともあった。しかし、僕が15歳の頃に男が家を出て行って以来、帰ってきていない。
「だからこの家は本当は僕の家じゃなくて僕を育ててくれた男の家で。そして、あのベッドしかない部屋はその男の寝室なんだ。ねえ、聞いてた? 結構、重い話してたんだけど?」
凜は自分の爪を眺めていた。
「ああ、終わったんでありんすか。奴隷の過去なんて気にする主人がいると思いんすか?」
「それはいないかもだけど。でも、少しくらい興味をもってくれても良くない」
「良くないでありんす。妾の脳の容量に中二病のくだらない出生が入る余地はないでありんす」
「もうそれでいいよ。お嬢はどうなんだよ? 家族が遠くへ行ってしまったと言ってたけど」
凜の過去を聞くべきか分からなかった。僕は育ての男以外との人間関係がほとんどない。小、中、高校と同年代と関わる事はほとんどなかった。そのため、どれくらい人の内側に踏み込んでいいか分からなかった。
問いかけている最中に、競馬場で見た凜の悲しそうな顔がフラッシュバックした。やっぱり聞くべきではなかったという後悔が押し寄せたが、開いた口は言葉を止めるには遅すぎた。僕には、ただ凜の答えを待つことしかできない状態になっていた。
凜の顔はやはり悲しそうなものになったが、これまた同じく、すぐに真顔に戻った。凜自身も自分の表情が変わったことに気づいていないのかもしれない。
「一緒に暮らすからといって、妾の過去まで知る必要はないでありんしょう。これだからロリコンは」
「イッ!」凜はいつも通り、いつも通りというのも変な感じだが、脛を蹴ってきた。
僕は凜の答えに安心していた。理由は分からない。凜の悲しむ顔を見たくなかったのかもしれない。
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