19再生【だから、今日はリカが家に来てくれて嬉しい!他の誰でもないリカが来てくれたことが、本当に嬉しいんじゃ!】

 ――T都へ直通する私鉄電車に揺られ、九つ先の駅へ向かう。


 最寄り駅のSからk駅までは、約二十分の道のりだ。


 k駅はT都の下町で、どこか懐かしく、庶民的な空気が漂う街だ。

 昔ながらの趣を感じる商店街や飲食店が並び、にぎやかな通りには人々の活気があふれている。

 街角のあちこちには、地元に根付いた文化と温かな雰囲気が息づいている。


 k住駅を後にし、徒歩十分ほど歩くと、やがて閑静な住宅街に入る。

 駅前の賑わいが嘘のように、そこは人影もまばらで、穏やかな時間が静かに流れていた。


 そよ風に包まれながら、心安らぐ並木道をゆっくりと歩く。


(……まさか、また外に出る日が来るなんてなぁ)


 さわさわと穏やかな風に吹かれ、並木から楽しげに木の葉たちが舞い散った。

 喜ぶように、歓喜するように、無邪気に、はしゃぐように。


(この世に変わらないものなんてない。それって、良くも悪くも、ヒトも同じなんだなぁ)


 わたしは内心、複雑な笑みを浮かべる。

 それは、傍から見たら『何だ、こいつ?』と思われるような微かな苦笑だったかもしれない。


 並木道を歩き続けていると、やがて、一枚の木の葉がわたしの頭の上に静かに乗った。

 何となく、その葉が腰を落ち着けているような気がして、振り落とすのが惜しくなり、そのままにしておいた。


(……えっと、この路地に入ったらすぐか)


 少し奥まった路地に足を踏み入れると、温かみのある色合いの家々が並んでいた。

 近くに公園があるのだろうか、遠くから子供たちの笑い声が聞こえてくる。


 路地をしばらく歩き続けると、手入れの行き届いた美しい花々が咲く広い庭のある大きな家に辿り着いた。

 その家は木造の三階建てで、どこか周囲の家々とは違う、浮いているような印象を与える家だった。


(ここがんがちゃんのお家……)


 わたしは恐る恐る、んがちゃんの家と思われる家のインターホンを押す。

 その瞬間、『ピンポーン』という軽快な音が響いた。


 しばらくすると、家の中から私服姿のんがちゃんが現れた。


「リカ! いらっしゃいじゃけぇ!」


 んがちゃんは、ピンクを基調にしたうさ耳付きの可愛らしいルームウェアを着ていた。


「こんにちは。ていうか、んがちゃんって、やっぱり可愛いものが好きなんだねぇ。ふふっ」

「わ、わしが可愛いもんが好きで、なんか悪いんか!? 可愛いもんなら、誰だって好きじゃろう!」


 照れたように、怒ったように、んがちゃんは顔を真っ赤にした。


「あはははっ! ごめんごめん! そうだねぇ。わたしも結局、そういうのは好きだよぉ」

「それなら、よしじゃ! まぁ、家に入っときんさい」


 んがちゃんに促され、わたしは慌てて家の中へと足を踏み入れた。


 玄関から見える家の中は、外で見た時よりもずっと広く感じた。

 心の中で『なんでだろう?』と考えながら、その理由がすぐにわかった。


 んがちゃんの家には、生活感があまり感じられなかった。

 置いてあるものも、最低限のもので、玄関から見ただけでも、それが妙に、不自然に感じられた。


「わしの部屋は一番上、つまり三階じゃ。こんなとこおらんで、さっさと行こうや」


 わたしはんがちゃんに手を引かれ、急かされるように三階へと連れて行かれた。


 三階にはすぐに着き、そして、一番奥の部屋へと案内された。


「――ここがんがちゃんの部屋かぁ!」


 わたしは部屋を見渡し、感嘆の声を漏らした。


 んがちゃんの部屋は十二畳ほどの広さで、部屋のあちこちには大小さまざまな収納棚が並んでいた。

 その棚には映画のDVDやBDが隙間なく並べられていて、

 棚の隙間には、おそらく映画の登場キャラのフィギュアが所狭しと飾られていた。


 可愛いものからかっこいいもの、少し不気味なものやヘンテコなものまで、さまざまな種類が並んでいる。


 部屋の天井には映画のポスターが何枚も貼られており、その徹底ぶりには、思わず圧倒されてしまうほどだった。


「んがちゃんって、こんなに熱烈な映画ファンだったんだねぇ」


 わたしが『意外だったなぁ』と笑いながら言うと、んがちゃんは慌てた様子でおろおろしながら答えた。


「……ビックリしたじゃろ? 普通に気持ち悪いって言ってくれてもええよ。もう、慣れっこじゃから」

「そ、そんなことないよぉ! な、なんで映画が大好きで仕方ないからって、そんな風に思うのぉ!?」


 心の底から驚いてしまった。わたしがそんな反応を見せると、んがちゃんは小さく笑い、そして――

『ありがとう……』と、小さく呟いた。


「で、今日は何の映画を見せてくれるのかなぁ?」

「それは、直前までのお楽しみじゃ」

「にゅふふふ。じゃあ、楽しみにしてるねぇ。あ! それと、はい! 今日を共にする美味しいお菓子と飲み物たち。んがちゃんの好みが分からなかったから、全部わたしの好きなものにしちゃった。にゃはははは……」

「ええよ、ええよ。リカはそのくらいでちょうどええんじゃ」


 けらけらと笑いながら、んがちゃんはわたしが買ってきたお菓子と飲み物を優しく受け取った。


 わたしは『今日はよろしくね』と、改めて頭を下げる。

 んがちゃんは『な、何をそんなにかしこまっているんじゃ!』と大慌てになったが、わたしは気にせず、礼はちゃんと尽くす。


「ホントにリカは真面目じゃのう」


 ポリポリと頬を掻きながら、んがちゃんが困ったように笑った。

 しかし、その後、んがちゃんは頬を染めながら小さく言った。


「まぁそんなリカじゃけぇ、わしは好きになったんじゃが」


 わたしはそれを聞こえなかったふりをして、ずっと気になっていた『ある一つ』のことを尋ねてみた。


「――そういえばさ、んがちゃんのご両親って、今どこにいるの?」


 言った瞬間、後悔が押し寄せた。それが失言だったことに気づいたからだ。

 んがちゃんの表情が一瞬で暗くなり、その変化はすぐにわかった。


「……わしの両親は、仕事で出張が多くて、ほとんど家にいないんじゃ」

「そ、そうなんだ……。ご両親って、どんな仕事をしてるんだろう?」

「パパはパイロットで、ママはCAキャビンアテンダントじゃ」

「えっ! すごい!!」

「……ふふっ。まぁ、そんな風にも見えるかのう」


 眉をひそめ、どこか辛そうに、そして少し含み笑いを浮かべるんがちゃん。


 おそらく、んがちゃんの中には何か複雑な事情があるのだろうけど、他人の家庭のことにとやかく言うわけにもいかず、わたしは黙ってその場に立ち尽くす。


 やがて、その沈黙を破るように、


「だから――」


 んがちゃんが突然口を開き、今にも泣きそうな顔で言葉を濁す。

 そして、少しの間を置いて、ついにその言葉を口にした。


「ずっと独りじゃった……」


 うつむきがちに、ポツリとつぶやいたんがちゃんだったが、数秒の間をおいて、すぐに顔をパッと上げ、その勢いのまま笑顔でわたしの肩を掴んで、明るい口調でこう言った。


「今日はリカが家に来てくれて嬉しい! 他の誰でもないリカが来てくれたことが、本当に嬉しいんじゃ!」

「…………」


 わたしは何も言わない。

 というより、何も言えない。


「す、すまないのう……。ちょっと張り切りすぎたかもしれん……。今の言葉、忘れてくれんか?」

「……うん」

「さて、そろそろ映画を観るかのう」


 んがちゃんが苦笑いを浮かべながら、五十型のテレビの電源を入れる。

 すると、画面に様々な映画のサブスクリプションが表示された。

 んがちゃんに促されるまま、わたしは映画の世界に引き込まれていき、気づけば、次第に頭の中が空っぽになっていった。

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