誰彼刻

昼想夜夢

猫と奪い与える者の話 1

頬に触れる冷たい感触で、ボクは目覚めた。


雪が降っていた。

真っ白な雪がどんよりと重く黒みがかった空から、静かに舞い降りてくる。

仰向けのまま空を見上げているボクの体に、羽毛よりも軽い雪の結晶が降り積もっていた。


頬や額に触れる雪が煩わしく、ボクは手で雪を振り払う。

なんども、なんども。

しばらくそうしていると、くすくすと笑う声がした。


「おかしいの。どうして振り払うの?こんなに綺麗なものを」

ボクの隣に少女がいた。

雪が降っているというのに、真っ白なワンピースに麦わら帽子を被った少女が、口元を隠して笑っている。

「どうしてって?冷たいじゃないか。君こそ」

そこまでで、僕は口を閉ざした。

少女の姿が異様にみえたからだ。

雪はもう吹雪に近い。大粒の雪が横なぶりに吹き付ける中、少女は真っ白のワンピースに麦わら帽子という、まるで真夏のような格好だった。

真っ白な髪が風に揺られ暴れているのに、当の本人はまるで寒さを感じていない様子。


この少女は、人じゃない。

すぐにボクは飛び起きて、少女を警戒し本能からか威嚇の唸り声を上げていた。


「そんな怖い目で見ないでよ」

少女は悲しい目でボクを見ている。

「私は寒さを感じないわ。もちろん暑さも。それに呼吸も必要としない」

少女はわざとらしく息を吐き出すが、その呼気が白くなることはない。

「人じゃないからね、私は。でも別に君に危害を加えるつもりで声をかけたわけじゃないんだよ」

そう言って、少女は小さな手を差し出した。

先ほど寒さを感じない、と言った少女の手は、少し震えていた。


あぁ、そうか。

ボクはすぐに少女が震えている理由に気がついた。


少女は恐れているのだ。ボクが恐れてその手を拒絶することを。

拒絶されることの恐怖はボクにもわかる。ボクもずっとひとりだったから。


赤い目と青い目。

全身は黒毛なのに、尻尾の先から額まで一筋の銀糸の毛が生えている異色の体。

仲間と思っていた者たちに避けられて、人々から魔の使い魔だと追われ、どこの世界にも居場所がなかったから。


だから少女の手が震えているのが痛いほどわかる。

この手を差し出した勇気に、僕は気づいてしまった。


差し出された少女の手に、ボクの手を、前脚を乗せた。

少女はまるで花が咲いたように。

「猫君の手はあったかいね」

そう言って、笑った。


「さて、君はどうしてこんなところで寝ていたのかな?」

「どうしてだろう、わからない」

ボクの記憶は曖昧だ。

断片的に覚えているのは、街や山や海の景色。

いろいろな場所をひとりで旅していた記憶。


周囲を見渡してみると、街の明かりが灯った大きな街が眼下に広がっている。

でもボクのいる場所は、そんな華やかな街の明かりとは無縁の場所。

古びて崩れた塔の残骸で、ボクは眠っていたようだ。


「こんな場所、ボクは知らない。」

寝床として使っていた場所でもない。

初めてみる名前も場所もわからないところに、ボクはいたようだ。

「君がボクを見つけた時は、ボクはもう眠っていたの?」

「ええ。丸まって眠っていたわ。かわいい寝顔だから眺めてたら急に動き出すから面白くって」

また少女が笑い出すので、ボクは少しムッとした。

「笑わないでよ。でもなんだか記憶がぼんやりしてて、すっきりしないんだ。起きる前の記憶がどんどん消えていっちゃうような変な感覚」

「きっとひとりだったからだね」

「?」

「猫君のことを知ってるのは、猫君だけでしょ。誰からも教えてもらえないし、誰にも聞けないじゃない。それだと、どんどん猫君がいなくなってしまって、今みたいに夢から覚めたら昔の記憶がなくなっていっちゃうんだよ」

「そっか。でも、それでもいいかも」

ボクはまだうっすらと覚えている記憶の断片の映像をみて、そんなに残していたい記憶でもない気がして、むしろ好都合だと思った。


「そういう君はどうしてこんなところにいるの?」

「私?私は旅の途中だよ。そしたらたまたま君を見つけただけ」

「旅をしているの?」

「そう。いろんな国や街、山や森や海とか。いろんなところをウロウロしてる」

「ウロウロって、それで何をしてるの?」

「何をしてるかー。そうだなー。なんて言ったらいいかな」

明らかに悩み始めた少女は、頭を揺らして困ったな、っていう表情を浮かべている。

「もったいぶらないで教えてよ」

「だって何をしてるか、って明確に答えられることをしてるわけじゃないんだよ。生まれた時からずっと続けてるんだけど、みんな勝手に名前つけたりしててさー」

「じゃあ、そのみんなが勝手に名前つけてるのってなんなの?」


「神様よ、もしくは悪魔ってみんな呼んでる」


ヒュッと風が吹き抜けていくのを、やけにゆっくり感じた。

いつの間にか雪も止んでいて、少女とボクの間を遮るものはない。

ちょっとおどけたままの少女は、自分のことを神様と言った。

そんなモノはいない、と思っていたのに、今更目の前に現れるなんて。


「冗談?」

「いや、マジなのよ、これが。でもこれは人が勝手に言ってるだけで、私は生まれた時に与えられたお仕事の名前の方がしっくりきてるの」

「へー、それはどんなお仕事?」


が私の仕事らしい」

そう言って少女はボクのことを抱き起こした。

「今日から猫君は私と一緒に旅をしようね」

そう言って笑った少女のことを、ボクは拒絶することはできなかった。


これがボクと幼い神様との出会いだった。



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