第2話 スパイスカレーと最初のお誘い

 今夜は仕事帰りに色々買ってきた。夜のキッチンで玉ねぎを微塵切りにしながら、目が痛むのをこらえる。玉ねぎはこれがなー。だけど、こいつが美味いカレーになるんだよなぁ!


 玉ねぎを充分に細かく刻んで、生姜とニンニクもすり下ろす。青い匂いとでも言えば良いのか、鼻をツンと刺激するような匂いに鼻がひくひくする。さ、下準備はこんなところかな。


 フライパンに油をしく。クローブやシナモンなどのホールスパイスを炒めながら、油を絡める。これだけで良い香りが辺りに漂う。カレーというものは香りを楽しむ料理だ。鼻に届く香りはこの時点で、昨日作った野菜炒めを凌駕している。食欲がそそられるんだ。


 弱火でじっくり、フライパンの上でスパイスを炒める。はぁ~この香りを少しでも無駄にしたくないな。そして、先ほど微塵切りにした玉ねぎを加え、摘まむ程度の塩を入れる。フライパンの中の食材を混ぜながら、玉ねぎから水分が飛んでいく音を聞くのが楽しい。


 玉ねぎが美しい飴色に変わったなら、すり下ろした生姜とニンニクも加える。新鮮な青い匂いから、エスニックな香りへと変化していく。さっきから鼻でも料理を楽しめている。


 カットトマトの缶を開け、その中身をフライパンに加えた。ヨーグルトも加え、ねっとりとしたペーストになるまで熱を与えていく。すでに、美味そうだ! つまみ食いしたくなるが、我慢我慢!


 ここでパウダーのスパイスも加え、サッと馴染ませる。すでに暴力的なほどまでの香りがキッチンに充満しているぞ! まるで鼻っ柱を香りで殴られているみたいだ! それほどに、この匂いは刺激的で暴力的だ! そこへ再び少量の塩を加える。この塩がカレーの味を引き締めてくれる。


 一旦、火を止めてフライパンからペーストを取り出す。次は冷蔵庫から鶏肉を出して焼こう。と、考えていた時、玄関の方からドスンッ! と結構大きめな音がした!? な、なんだ!? ビックリしたなぁ。


 音の正体が気になる。そろりそろりと足音を忍ばせながら、玄関に向かう。どうやら、部屋の内部で異変があったわけではないみたい。だとしたら、音の出所は外か。


 ドアスコープを覗くと、そこには昨日出会った金髪碧眼の少女の姿があった。彼女のことはよく覚えている。お隣のエリザさんだ。エリザさんは目を閉じて、鼻をクンクンさせている。


 よく見ると、エリザさんの足元に大きな鞄が落ちている。さっきの音は、きっとあの重そうな鞄を落とした時の音なんだろうな。それにしても、料理の香りが外まで届いていたのか。えっと……この状況、どうしよう。とりあえず、声をかけてみるか? 扉越しでも聞こえるはずだ。


「……エリザさん?」

「ホワアアアッツ!?」


 いきなり声をかけられたからかエリザさんは相当驚いていた。彼女があまりに驚くから、なんだか悪いことをしてしまったような気持ちになるな。


 ドアスコープから見えるエリザさんは戸惑って、急いだ様子で足元の鞄を拾った。あ!? これ立ち去ろうとしてるのかも。待って待って! 今立ち去られたら気まずい感じになっちゃうから!


「そ、ソノ! 失礼シマシタ!」


 エリザさんは急いで場を立ち去ろうとしている。このままでは、きっと良くない! 直感的にそう思う。私は焦りながら勢いよく扉を開けた。


 エリザさんは彼女の部屋の前で固まっている。何か言え! 彼女を引き留めろ! 気まずい空気が生まれるのは嫌だろ! 音鳴花子!


「あの……! うちの料理が気になったんだよね?」


 エリザさんが扉の前で鼻を動かしていたのは、私が作っていた料理が気になっていたからだと思う。彼女は昨日、辛い料理が好きで、特にカレーは大好きだと言っていた。私の予想が当たっていると良いが。


「……ハイ。とても良い香りがしていたモノデ」


 エリザさんは恥ずかしそうに、うつむきながらも答えてくれた。そのことが嬉しくもあり、引き留めることができて良かった。さて、こっから先どうするかな。


「カレー好き?」


 分かっているけど、一応聞いた。エリザさんは恥ずかしそうに笑いながら「ハイ」と答えてくれた。そんな彼女にキュンとしてしまいそう。


「……じゃあ、折角だし、うちのカレーを食べていく? 良かったら、一緒に食べない?」

「エット、良いんデスカ?」

「良いよ良いよ。今日も冷えるから、さっさと部屋に上がっちゃいなよ」

「ハイ! オジャマシマス!」


 エリザさんが元気になってくれたようで良かった。一時はどうなることかと思ったよ。


「奥の部屋に入って入って。中で適当にくつろいでくれたら良いから」

「ワアッ! キッチンは外よりも香りが良いデスネー! うっとりするような香りデス」


 流石エリザさん。カレーの楽しみかたを分かってるね。楽しそうな彼女を見ているうちに、先程まで感じていた焦りが消え、安心してきた。

 

「カレーは香りを嗅ぐものですからね。完成まで奥で待っててくださいね」


 エリザさんを私の部屋へ招き入れ、奥へ促す。のだが、彼女は軽く首を振った。ん、キッチンが気になってる?


「ワタシ、音鳴サンが料理を作るところを見ていたいデス! ソレトモ……お邪魔デショウカ?」

「なるほど。大丈夫です。ただ、火元の近くは危ないので、離れていてくださいね」


 エリザさんはキッチンの隅に鞄を置いた。別に、ダイニングに置いてきても良いんだけどね。まあ、良いけどさ。しかし、結構重そうだけど何が入ってるんだろう?

 

「ありがとうゴザイマス。ソレト……」

「それと?」

「さっきみたいに、もっと砕けた感じで話してくれたら嬉しいデス」


 あれ? 私、さっきは砕けた感じに話してたかな? もしかしたら、焦っていて喋りから丁寧さが抜けていたかもしれない。ふぅむ。エリザさんが、砕けた話し方をしてほしいなら、そうするか。抵抗がある訳じゃないし。


「分かった。私はもう少し気楽に話すよ」

「ハイ!」


 さて、カレー作り再開だ。後半戦も頑張るぞ!


 あらかじめ、カットした鶏肉を冷蔵庫で冷やしておいた。こいつを使って美味いバターチキンカレーを作る。絶対に美味くしてやる!


「大きな冷蔵庫デスネ」

「うちは結構良いやつを使ってるからね」

「高かったんじゃナイデスカ?」

「ま、それなりに」


 フライパンで鶏肉を焼いていく。肉の焼ける音と、香ばしい匂い。といっても、スパイスの匂いが香るこの空間では肉の焼ける匂いすら印象弱くなる。恐るべきはスパイスの香りか。肉に焼き色が付いたら、ペーストをフライパンに戻すんだけど、この時点でかなり美味そうだ。でも、完成にはまだ早い。


「フライパンで作るんデスネ?」

「うん、鍋でも良いんだけどね」

「とっても美味しそうデス」

「だよね。けど、料理はもう少しだけ続くんだ」


 水を加える。これが煮立つまで強めの中火にかけるんだけど、なんだか一気にカレーらしくなってきた気がするよ。良いね良いね! 今夜の料理が完成に近づいているのを実感できちゃうぞ。


 カレーが煮立ったら、醤油を加えて、さらにベイリーフ。コクを出すために蜂蜜とバターも加える。そしてガラムマサラを少々……ウワー! 香りが、香りがキッチンを練り歩いている! エスニックな香りが、私の部屋中を練り歩いている! 香りが可視化できたなら、きっとターバンのおじさんたちが私の部屋で踊りながら行進しているはずだ!


 カレーは程良いとろみを得たように見える。香りを嗅ぎ、料理を見ているうちに、口の中にヨダレが出てくる。ゴクリと喉がなった。味見……してみよう。おたまでカレーのルーを小皿にとる。私と、エリザさんの二人分だ。


「エリザさんも、味見してみて」

「ありがとうゴザイマス。イタダキマス」


 二人で、小皿のルーを味見する。瞬間に、エリザさんの瞳が輝くのが分かった。ふふふ、どうやら、美味しかったようだね。流石は私だ。

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