向日葵
sunflower
第1話
帰りの車からのいつもの電話。
くだらない会話や意味の薄い報告がほとんどだが、帰る時間を知らせるには十分機能していた。
しかしその日の妻は返答が今までになく重い。重要な問題でもあったの?と、聞きたかったのだが、その台詞を一旦飲み込んだ。
自分の悪事でも発覚したのか、記憶の奥を探る。やらかした案件は一切ない。
そこでようやく口を開く。
「どしたの?」
「とりあえず話したいことがあるから」って、待て!
急ぎ記憶の再調査を行うが、knot finds大丈夫だ!
自分を信じろ!
脳内で声を再生してみると、妻の声はどことなく寂しそうに聞こえた。
「わかった」そう短く答えると電話を切り、考えられる事象を想像する。もし、過去の悪事がバレたのならもう少し怒りが混ざるはずだ!
その他…その他…。
おそらく…家族が……。
それしかない。そう言い聞かせながら帰路を急ぐ。
玄関の扉は、いつもより重く感じた。
更に、いつも扉を開けた時にリビングから聞こえてきていた「おかえり」の声も今日は聞こえてこない。
意を決してリビングに通じる扉を開けると、妻と息子が部屋の脇に置いてある小屋の前に座り込んでいるのが見えた。
「何があったか教えて」
「ポトフが…死んじゃった」
振り返った妻の目は真っ赤に充血していたが、発せられる声には取り乱している様子は無い。十分取り乱した後なのかもしれないのだが。
「ああ…」
ある程度覚悟はしていたものの、あまりにも早い死に何を言っていいか分からず、そのまま小屋の脇に自分も座り込む。
「ポトフが…」息子は目に涙をいっぱいに溜め、訴えかけるように告げた。
小さな息子の両手の平に、白く小さなハムスターが大切そうに載せられている。人の手に自分から近づき、そのまま載ってクルクル回っていたポトフはもう動かない。
「一生懸命生きたから、少し疲れたんだよ」
小学3年生に対して、少し大人びた言い回しかとも思ったのだが、「うん」と小さく呟く。その視線は、両手の中にうずくまっているポトフに向けたままだった。
会社のカバンをソファーに置き、リビングから出るとそのまま土間にあるスコップを掴む。
「とりあえず埋めてあげようよ」
息子に声では優しく語りかけるも、泣きはらした目を見続けることが出来ず、ただ玄関のドアだけを見ていたのだ。
自分にとって、死に対して泣くという行為は後悔から来ていると思っているからだ。こういう時、一緒に泣いてあげれば良いのかもしれないのだが、今まで飼っていた動物が亡くなった時に頭に浮かぶのは、一緒にいた楽しい時間ばかりだった。
ただ一度だけ、子猫が亡くなって号泣した事がある。
その子猫は箱に入れられて捨てられていたらしいのだが、他の大きな猫にたくさん噛まれており、連れて来られた時は真冬の深夜。息も絶え絶えだった。
夜が明ければ病院に連れて行こうとしていたのだが、回復することは無くその子猫はそのまま息を引き取ってしまう。その時、この子にしてあげた幸せは何もなく、空虚な後悔だけが覆いつくし涙が止まらなかったのを覚えている。
この時もまた、ポトフとの幸せな時間を思い返していたのは確かで、妻や息子に対してどのように接していいのかわからなかったのだ。
息子にはただのハムスターでは無かった。それを痛いほど感じるのだが、その心の痛みを自分に置き換える事が出来ないのだ。
そんな寄り添えない自分を不器用とは思うものの、恥たりする事は無い。
例え自分の子供であろうと、気の合う親友であろうと、長年連れ添った妻であろうと、物事の捉え方を司る心は奥底に潜んでいる。そこに他人の手が届くとは思ってはいなかった。ましてや、それを共有出来るとは思った事は一度も無い。器用であれば、共有している様にも見せられるのだろうが、それをするのが苦手だった。
ただ、共有した幸せな時間だけは同じだ。
今も鮮明に思い出す事の出来る時間。
ペットショップに並んでいたアクリルケース。両手を広げて息子に近寄る一匹のジャンガリアンハムスター。
その仕草に息子は第一声で、
「この子にする」と目を輝かせながら振り向いた。
確かに可愛いのだが、昔飼っていたハムスターは2年程で亡くなったのを思い出す。
「ハムスターはすぐに死んじゃうよ?」
つい口から出た言葉は、数年後に迎える悲しむ姿を想像してしまい、せめて長生きする種類を選んで欲しかったと言う心の貧しさからだ。この子が初めて自分で選んだ子。それを頭から否定するとは。
「けど、いっぱい大切にしたらお前が大きくなるまで生きていると思うよ」心にもない言葉を後に続ける。
自分としては、必ず迎える死に対して常に後悔のない程愛情を注ぐのが自身の常識なのだが、
「うん!ずっと一緒に暮らす!だって家族だもん」純粋な瞳がこの常識を黙らせた瞬間であり、本当に長生きするのではないのか。そう思い始めていた。
「名前は?」
「ポトフ!」
少し前に観たアニメでネズミの作った料理名だった。
ポトフ?一瞬考える。
ポトフ、ポトフかぁ〜ポトフ〜おやつ食べる?
脳内のポトフが愛らしく手を広げる!
確かにこの子に一番似合う名前だと思った。
「可愛らしい、いい名前じゃん!」
息子は少し照れ笑いをして再びケースに張り付く。
「じゃあ小屋も餌も買わないとね」後ろに居た妻の声のトーンは高く、乗り気だという事がわかり安堵の空気が流れる。
おそらく息子も気にしていたのであろう。
だからずっとケースから目を離せ無かったと思っている。
小さな白い小屋に、たくさんのチップと小さな餌袋とハムスター用のおやつを買い車に乗り込む。後部座席の息子の手には、小さな紙箱に入れられたポトフ。想像以上におとなしくしているので心配になったのか、時々紙箱の空気穴を覗き込んでいる。その様子を見ているだけで心が満たされていく。
ペットショップから帰ると、タイミング良く自分の母親から電話がかかってきた。
息子に代わると直ぐに、
「ばあちゃん、僕ね家族が出来たんだよ」電話口で自慢げに話す声は、今までにない程幸せそうに感じる。
何か話したかった様だったが、報告だけするとすぐに電話機を返し小屋の準備を始めた。
息子から代わると、
「二人目が出来たの?」と、聞いてきたのですぐに笑いながら否定しておいた。
小屋の準備は息子と妻がほとんど終わらしており、後はポトフが入るだけになっている。
「そういや、この子が落ち着くまで小屋をそっとしてあげるんだよ」
ペットショップの店員に言われた事を息子に再確認した。
「わかった。怖がらしたらいけないからね」
そう言うと、小屋の上部からそっとポトフを小屋の中に入れた。降ろされたポトフはペットショップで見せたように、息子に対して両手を広げる。
「触っちゃだめ?」この状況で言われて「ダメ」と言える訳がない。
「この子は特別なのかもね。良いよ」
「いきなり触って、ポトフが怖がる子になっても知らないよ?」間髪入れず、妻に注意されたのだが、
「ここで怖がる子なら、この先もずっと怖がるに決まってるさ」と、息子の後押しをする。
「良いの?」
もう一度確認をするように自分を見つめる息子に、最初から上手に飼える訳無いから、思うようにやりな…と、言いかけてグッと飲み込む。
そんな事を意識しながらポトフと暮らしても、絶対楽しめ無いと思ったからだ。
その怯えは伝染する。おそらくこの子も恐れ恐れ行動する様になってしまう…。
お互いが微妙になるくらいなら、思いっきり触れ合った方が幸せなのだ。
「ポトフ〜」
息子が手を差し伸べると、ポトフはそのまま息子の手に乗りくるくる回って見せた。
今まで飼ってきたハムスターで、こんなに慣れた子を見たことが無い。この時からポトフは、本当に特別なのではないのだろうかと考える様になった。
小屋から出してみても座っている人によじ登り、どこに居ても手から直接餌やおやつを貰う。こんな風にポトフと触れ合っているのが何より楽しく、ゲームどころかテレビまで付けなくなっていく。
それに応える様に、ポトフも人の気配を感じると寝床からイソイソ這い出してくる様になる。
ある時、部屋の中を散策させているとポリポリと音が聞こえてきた。キッチンの方からそれは聞こえており、床をよく見てみるとポトフは何処からか拾ってきていた茹でられる前のパスタを食べていでは無いか。
カビていたり、ゴミを一緒に食べるといけないのでサッとそれを取り上げる。すると、ポトフはポカンとした表情でこちらを見つめていた。それが可愛くも愛おしく、小屋に返した後短めに折った新しいパスタを渡してみる。
すると、両手でパスタを掴みコロンとひっくり返った状態で、無心にパスタを齧るではないか。
その愛らしい行動はパスタをあげる時だけ行うので、息子も同じようにパスタをあげるようになっていく。妻からは、「人間の食べ物をあげるのは良くないよ」とは言われて目立ってあげなくなったものの、どうしてもその仕草が見たくなり、こっそりおやつ代わりにあげていた。ただ、飽きたのか食いつきが少しづつ悪くなり、ペレットもそこまで食べなくなって行く。
そうなると、かぼちゃの種や、ひまわりの種、胡桃、カシューナッツ、乾燥したリンゴなど、ありとあらゆる食べ物を与え、もっと好きな物を探す様になる。
その中でも、最後まで喜んでいたのはひまわりの種だった。
他にもポトフに喜んで欲しくて、齧り木や回し車、砂風呂やトンネルなど与えてみる。
しかし、ほとんど興味を示さず、結局外に出て人によじ登るのを何より楽しんでいる様だった。
そんな人懐っこいポトフはピクリともしない。
大好きな息子の手の平で、ただ小さく丸くなっていた。
穴を堀りながら話に聞くと、あまりに小屋から出ないので屋根を外すと、中で小さく丸まって居たそうだ。
すっぽりと入るほどの穴を掘り終えると、その中にポトフをそっと入れる。
手を合わせ土をかぶせようとした瞬間、
「ちょっと待ってて!」
息子が玄関に向かって走り出す。数分して戻ってきた両手には、溢れるほどのひまわりの種が載せられていた。
「天国でお腹すいたらかわいそうだから」
そう言ってポトフの上に沢山のヒマワリの種を入れ、その上から優しく土をかける。
「また一緒に遊びたいね」
そう言った息子の目は、先ほどのような寂しさは無い。
数か月経ちすっかり気温が下がった頃、会社から帰宅し玄関を開けた。
「おかえり」
目の前に息子が満面の笑みで立っていたのだ。
「どうしたの?お出迎え…」
そう言い終わるのを待たずに、息子は
「ポトフが帰ってきた」
それだけ言うと外に走り出していく。
新しい子をお迎えしたのかと一瞬思ったが、どうも行き先がそれではないと告げている。
「どこ行ったの?」
夜も更けていたので小声で聞いてみると、息子がポトフのお墓の前で手招きをしているのが見えた。
「向日葵!向日葵が咲いた!向日葵になってポトフが戻ってきたんだよ」
指をさした方向に、40センチほどの小さな向日葵が1本だけ咲いていた。
「この寒くなっていく中…ありがとうな」
一枚だけ、真っ暗の中シャッターを切る。
季節外れに咲いた小さな向日葵。
ポトフは帰って来ました。
小さな向日葵になって。
向日葵 sunflower @potofu-is-sunflower
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