春やぶれたり紙風船

Meg

春やぶれたり紙風船

 色の抜けた紙風船を片手で弾いた。河川敷横の川の水面に、春の日差しが反射する。舞い散る桜の花びらと一緒に落ちる紙の球を、学ランの淳が、手のひらで掬い上げるように、上方向へ打った。


「遥香、なんで紙風船なの?」


 紙風船が私に向かって落ちてくる。真下へ行こうと足を動かすと、暖かい風が吹いた。制服のスカートの裾が、淳の後ろのソメイヨシノの大木と一緒に揺れた。


「家にあったから。タダだし」

 

 タダほどありがたいものはない。お金のない高校生にとって。いいや、来月からは大学生。

 

「淳は大学で新しい彼女作るんでしょ?」

 

 球体を手の甲で上へ飛ばしながら、冗談のつもりで言った。淳は口をへの字に曲げながら、紙風船を弾き返す。


「もうちょっと信用されたいんだけど」

「だって東京はキラキラしてるじゃん」


 淳は来月、東京の私大へ行く。私は地元の県立大学へ。いわゆる遠距離恋愛という関係になる。田舎者の大学生が、キラキラした都会で、オシャレな女の子の誘惑に負ける状況は、あまりにも容易に想像できた。

 私の親が違っていれば、私大に行くのを反対されなかったのかな。私がもっと勉強していれば、東大にでも入れたのかな。

 たらればの想像の底へ落ちないよう、紙風船を輪郭が崩れるくらい強く打った。淳は大きな手のひらで、ひしゃげた球を軽々と弾き返す。

 

「ここが一番キラキラしてる。この川が。この春が。今が一番」

 

 心臓が疼いた。指先の血管を、ほのかに甘い痺れが駆け巡る。

 なのに、無性に苦しかった。日が暮れたら、川に反射するまばゆい光も、紙風船を返してくれる淳も、桜の花びらのように私の両手からすり抜けていきそうだったから。


「じゃあ約束してよ。10年後の今日、3人で紙風船するの」


 たらればの想像が、ふと口から漏れ出た。この河川敷で紙風船を打つ私と、淳と、小さな子供と。


「3人? もうひとりは誰だよ」


 紙風船を打つみたいに、軽やかにそう返された。

 

「鈍いヤツ」

  

 熱くなった頬を見られないよう、青空を仰ぐ。生暖かい風に、淳の笑いが混じった。


「約束だからな。破るなよ」

 

 ああ、頬の内側を太陽のかけらで撫でられてるみたい。宙を下降する紙風船が、目の前に迫ってくる。両手で弾いたら、少し崩れた球は、桜の間を突っきって、高く飛んだ。高く高く。青空の向こうまで、あのまぶしい太陽まで、飛んでいきそうなほど高く。





 落下する紙風船を、落とさないように手で打ち上げないといけない。けれど事務服のタイトスカートは窮屈で、膝がうまく動かせなかった。薄っぺらい球体は、小皺が浮いた私の手をあっさりかすめた。河川敷の地面の、尖った大きな石と接触し、シャッと音を立てた。つまみ上げると、側面が破けている。


「あーあ」


 落胆のため息をついた。

 あの頃まばゆい光をたたえていた川は今、夕暮れの影をたゆたわせている。桜も温暖化のせいで、早くに咲いて早くに散った。そのくせ風は冷たい。

 長い時のなかで変わらないものなど何もないと、10年前に知っていればよかったのだろうか。

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