考える葦である事を
- ★★★ Excellent!!!
とても興味深いエッセイである。
目に見えていないものに対しての我々の
関心の低さには或る意味、瞠目する。
それは放射性物質であったり化学物質で
あったりウイルスであったりと、負の
要素があればまだしも…。
発明は人類の歴史上、常に為されて来た
ものであり、今般、益々複雑化した恩恵を
齎すのだろう。
本エッセイは、AI技術を核兵器と比較し
二つの発明が其々に辿りついた 現在 を
興味深く記している。
取り分けAIは現代社会に於いて汎用性を
獲得している。半世紀にも満たないうちに
これ程までに裾野を拡げた背景を、寧ろ
技術的な壁のせいで三十年程足踏み状態が
あったと分析したのも興味深い。
かつて、推論エンジンと特殊言語を用いる
事により三歳児程度の知能(学習能力)を
持ったシステムを構築するも、実際ハードウエアに搭載するのにはニューロボードの
補助無くしては意味を成さなかった頃から
すると、今日の状況はまさに天と地。
まるで空気の様に生活に溶け込んでいる。
我々は、この一見すると穏やかに見える
AI技術の 本質 を見極める事が出来るの
だろうか。
人間は 考える葦 である。
目に見えないモノがΦとは限らないのだ。
我々は、考える事すらも放棄しては
いないだろうか。