慢性的不具合

小狸

短編

 体調の良い日というのが無い。


 どこかが痛いということでも、どこかが苦しいということでもないが、何となく調子が悪い日がずっと続いている。


 毎朝起きる時の身体の鈍重さと言ったらない。


 しんどい、きつい、苦しい――と。

 

 そう声高に主張するほどではないけれど、じんわりと兵糧攻めにでも合っているような、少しずつ身体が端の方から崩れて来るような心地である。


 それでも、会社の健康診断や人間ドックに行ってみると、異常値を示すものはないのである。


 四十路である。

 

 若い頃は――などと言うと、今の若者に何かを強要してしまうようで気が引けることを飲みこんだ上で言うのだが、若い頃は、色々と無茶をしたものだった。


 無理としたと思う。

 

 無茶をしたと思う。


 それは認めよう。


 それは時代性ということもあるだろうが、有能でなければ、生き残ることができなかったのである。


 そして一度無能という判定をされれば、それは永続する。


 人材、などという言葉は、私は大嫌いである。


 人は材料ではない。尊重するべき個人である。当たり前である。


 しかし仕事をしていると、ふとした拍子にその「当たり前」の例外が出ることがある。


 同僚との後輩や新入社員の話で、出てくるのである。

 

 あいつは有能。


 あいつは無能。


 ただその二字熟語だけで、人間が定義されてしまうのが、まあどうしようもないことなのだが――どうにも耐えがたいのである。

  

 まあ、耐えたけれど。


 入社当時、私は確かに頑張ったし、努力もした。しかし、自分のことを有能だとは思えない。


 そこまで自信はない。

 

 偶然、その時の環境が良かったのだろうと、思うようにしている。


 勿論それが嫌で、私は人事課を希望はしなかった。

 

 人の評価を決め、進退を決める。


 極論どの課に配属されようとも責任は一緒だが、そこまで直接的に人の一進一退に関わる部署というのも、人事課くらいだろう。


 まあ、そんなことがあって、若い頃の無茶が祟ったものだろうと思っている。


 幸いなことに、私には、養うべき家族はいない。

 

 たとい私が死んだところで、生活が困窮する者たちはいない。


 それが一番の安泰、というか安心だろう。


 世の中の、家庭を持つ方々は、本当にすごいと思う。

 

 家族を持つ、父親になる――ということは、それだけ責任を負うということなのだから。


 子どもの、責任。


 たとえば自分の子が他の子にいじめをして、その子を不登校にしてしまった場合。


 その責任の矛先は、親に向かう。


 家ではどういう教育をしているのだ、とか。


 そういうことを追及されるのだろうと思うと、子どもを持つなど恐ろしくて恐ろしくてたまらない。


 会社で既に責任を負う立場にあるのに、これ以上責任を押し付けられるのは御免である。


 と、そんな理由から、私には交際相手もいなければ、勿論子どももいない。


 いや、まあ。


 こんなものは所詮詭弁であり、若い頃に勢いで結婚して子を作って、それから父母親子試行錯誤して子を育てる生き方だって、きっと「あり」なのだろうし、少子高齢化社会を鑑みれば、そちらの方がきっと「正しい」あり方なのだろうと思う。生物学的には、人間が生きている理由は、子孫繁栄のためであるのだから。

 

 ただ。


 そこに迎合するだけの胆力は、私には無かった。


 だったら私は、「間違って」いて良いと思ってしまったのだ。


 そんなわけで、そんな理由で。


 そろそろガタが来てもおかしくない身体を、半ば無理矢理引きずりながら。


 今日も私は、仕事に赴く。




(「慢性的不具合」――継続)

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