トリカブト
「ふぅ……」
教室前で一息をつき、呼吸を整えて1年2組の扉に手をかける。すると扉を開いた瞬間、教室内にいたクラスメイトのほとんどが愛の顔を凝視してきた。その様子を
別に、気にする必要はない。誰かから軽蔑の目を向けられるのにはもう慣れている。それに、梨深のことだ。自分たちが有利に立てるよう、私たちに不利なデマを流しているに決まっている。弁明したところで、信じてくれる人などいないだろう。
現状に開き直り、愛は堂々とした立ち振る舞いで自分の席に着いた。周囲のクラスメイトはあからさまに愛を避けるような態度を取り、集団になって陰口を言い合っている。
ふと、愛は窓際にある空席へと目を向けた。そこは、本来であれば今日、結葉が座っているはずの席であった。
結葉がいないのは、正直寂しい。いつも当たり前にいた人物がいないというのは、やはり心に来るものがある。今日一日、私は一人でここに居なければならない。前まではそれが普通だったのに、今はなんだか心許なく感じてしまう。
言いようのない不安感が愛へ押し寄せる。心境を変えるため、愛は早めに授業の準備を済ませることに決めた。
けれど、結葉に依存しすぎてはいけない。自分に窮地に立った時、必ず誰かが助けてくれるわけではない。最後は、独力で乗り越えなければならないのだから。
机上に目を向けないようにしながら1限目の準備をしていると、ガラガラという音を立てながらゆっくりと教室のドアが開いた。生徒たちが前へ向き直ると、そこには教壇の前で立ち尽くす古北の姿があった。
「皆さん、早く席に着きなさい。朝のショートホームルームを始めるわよ」
古北が一喝するとともに、生徒たちは速やかに自席へと戻っていった。
「それでは日直、号令」
一瞬静まり返った教室に、日朝の「起立」という掛け声が響き渡る。
「礼」
愛は瞳を閉じて、机の上に書かれた文字が目に入らないようにした。
「着席」
日直の声に続き、生徒たちが自席へと腰を下ろす。号令が終わり、古北はいつも通り連絡事項について話し始めた。愛はそれを聞きながら提出漏れの書類がないことを確認し、小さく安堵の息を漏らした。
学校側には、私がお婆ちゃんたちと養子縁組を結んでいることは伝えてある。そして当然、父が犯罪者であり、母が亡くなっていることも。こうして私が今学校に通えているのは、間違いなくお祖父ちゃんとお祖母ちゃんのおかげだ。二人が高校の学費を払ってくれているからこそ、私はこの日常を送れている。
だから、これ以上二人に迷惑をかけるわけにはいかない。提出物関係や保護者の承認が必要なものについては、なるべく早く済ませておかなければ。
「それと、花園さん」
古北から急に名前を呼ばれたことに驚き、愛は体をびくつかせた。
「は、はい」
「放課後、職員室に来なさい。相談したいことがあります」
「……分かりました」
厳格な古北の態度に愛は怖気づき、周囲の生徒たちはその様子を好奇な眼で見ていた。
おそらく、昨日のことについてだろう。話の発端が誰かはわからないが、先生も梨深の話をどこかで聞きつけたのだと思う。けれど別に、後悔はしていない。あのまま何もしていなかったら、ますます自分のことを嫌いになっていただろうから。
「起立、礼」
ショートホームルームの終わりとともに、張りつめていた教室内の空気がわずかに和らぐ。愛は静かに腰を下ろし、机の引き出しから数学の教科書と筆記用具を取り出した。古北は教壇の上で律儀に書類を整えた後、速やかに教室の外へと出ていった。
「ねえ」
聞きたくもない声が、愛の耳元に入り込む。
「無視しないでよ」
梨深のしつこさに嫌気がさし、愛は仕方なく顔をあげた。面白くなさそうな顔をした梨深が、鋭い目つきで愛を睨みつける。
「……何の用?」
「今日の昼休み、屋上に来て」
梨深が手に持っていた携帯の画面を愛へ見せつける。
「……それ、昨日撮ったの」
「そうだよ。意味、わかるよね」
梨深の携帯画面に映されたのは、下着姿の結葉が虐げられている姿だった。「これを拡散されたくなければ必ず来い」、きっとそういう意味だろう。
「ちゃんと来たら、消してあげるよ」
「……分かった、行くよ。その代わり、約束ちゃんと守ってね」
「……ちっ。その顔、ほんっとむかつく」
愛の態度が癪に障ったのか、梨深が小さく舌打ちをする。愛を一瞥した後、梨深とその取り巻きたちは目的を果たしたかのように廊下の奥へと消えていった。
鳳仙高校の屋上は、通常であれば立ち入り禁止の場所だ。普通の生徒なら、学生生活の中で訪れることの無い場所だろう。けれど、梨深は私に「屋上に来て」と伝えてきた。つまり「誰の邪魔の入らない場所に移動したい」、そう言っているのと同じことだ。
でも、なぜだろう。今の私はひどく冷静だ。これから悲惨な目にあわされるかもしれないというのに、それが自分でよかったと思っている。……好きなだけ私で憂さ晴らしをするといいさ。どうせ、結末は同じなのだから。
一輪の薔薇が、緑色へと変色していく。チャイムの音が授業のはじまりを急かす中、愛は一人静かに書き終えた原稿の内容を頭の中でたどっていた。
トリカブト 花言葉は「復讐」
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