鳥と池

鈿寺 皐平

とある噂話

「悪いのはそっちやろ! ふざけんなや!」


「は? 上級生の言うことくらい聞けんのか、四年のくせに」


「はあ!? 二年早く生まれただけで調子乗んなや! ここ先取ってたんは俺らや!」


 さっきまで賑やかな声に満たされてたグラウンドから、突如汚いせいが湧いて出てくる。


 その発生源は僕の目の前。友達のいけくんと六年生の厳つそうな人が殴り合いを始めた。


 周りもその異様さに気付くと、一斉に不安げな目をして二人の取っ組み合いを遠くから眺め始める。


 僕もみんなと一緒で、立ち尽くしたまま友人が殴られる光景を見ている事しかできそうにない。僕は池くんみたいに力もなければ、根性もないし、勇気もない。


 池くんがもし本当にやられてしまいそうなら間に入ろう。そんな言い訳がましいしょうで、僕は心臓をバクバクさせていた。


 けれど、しばらくして校舎の方からジャージ姿の先生達が走ってきてるのが見えた。


「こら、そこっ! なにやってるんだ!」


 点々としてる生徒達の間を縫って三人の先生はこちらに駆け寄ってくると、躊躇なく二人の間に入る。


 さすが体育の先生。小学生の力など意に介さず、池くんと六年生の人を難なく引き離した。


「なんで喧嘩してる! どっちが先に手を出した!」


「あっちだ! あっちが俺らの場所を無理やり取ろうとして殴ってきた! あっちが悪い! 先に居たのは俺らなのに、六年だからとか言って手ぇ出してきたんや!」


 声を荒げて訴える池くんに対し、六年生の人はただ静かに池くんのことを睨み続けてる。


 大勢の生徒で溢れていたグラウンドは、二人が連れていかれるまで不気味なくらい静かだった。


⦿


「ほんま腹立つ。マジでウザいわ六年!」


「池くん……ずっと怒ってない? 昼から、ずっと……」


「だって腹立つもん! それに先生もウザいし! ほんと腹立つ!」


 僕は差し障りない程度の愛想笑いであははと空笑いする。そうすることでしか、今の荒れ狂う池くんと話せる気がしなかった。


 下手なことを言えば飛び火してきそうで、弱気な僕は池くんの機嫌を損ねないようせめて愛想良くして見せていた。


「反省文書いてこいって、なんで俺もなん!? あっちが先に手ぇ出してきて、意味分からんこと言ってきて、挙句には殴ってきたのに……。見てたやろ? 鳥も」


「うん。六年生がいきなりドッジボールしてるとこに来て、どけって言ってきたもんね」


「だろ、そうだろ!? なのになんで、ほんま……先に手ぇ出したの、あっちやのに!」


 放課後の帰り道。池くんはアスファルトの上に転がっていた小さな石を舌打ちしながら前へ思いきり蹴り飛ばす。


 ガードレールに当たるや、カンッと甲高い音が僅かに空気を振動させた。


「ほんと……大人って、だいっ嫌い」


 喧嘩っ早いというより正義感が強い。口だけじゃなくちゃんと力もある池くんに少なからず僕が惹かれてることを池くんは知らない……と思う。


「池くんは何も悪くないよ。僕が見てたもん」


「……それでも、大人はガキだのキッズだのとバカにしてきて、俺らが言ってることに耳を傾けないし信じない。クソみたいな奴らしかいねぇのかよ……。さすがしょう高齢こうれい社会しゃかい。子供は不要だって遠回しに言ってるようなもんだよな……」


 怒りと悲しさが混じった語調には、たまらず僕の愛想笑いも崩れた。その隣で池くんは「なんであんな単語、覚えなあかんねん……」と呟きながら、また足元に転がってた小さな石を蹴り飛ばす。


 それでも僕は、どうにか池くんのしゃくさわらないようただ黙り込んだ。


「あー……よし! なぁとり、遊ぼうぜ! 今日のこと、もう忘れたいから!」


「あ……うん! いいよ!」


 やっぱり池くんは強い。そう思わせられるくらいに清々しい笑顔を向けられて、僕も晴れた気持ちを表情で返す。


「どこで遊ぶの?」


 特に変な訊き方をしたつもりはないのに、なぜか池くんはフフフッと不敵に笑い出す。


「鳥島で遊ぶ!」


「あ、池のとこの……」


 とりじま。それは小学校から一キロメートルほど離れた場所にある大きな池の真ん中に浮かんでいる。


 池は柵で囲まれているため、もちろん鳥島に立ち入ることはできない。池が手のひらだとすれば、その島は消しゴムくらいの大きさだ。


 ちなみに鳥島という名前は公式ではないけど、僕らが存在を知る以前からその名前で呼ばれてる。


 一見すればその名前の由来はシンプルで、その島にはいつもたくさんの鳥達が島に生えてる枯れ木に止まっていたり、翼を広げて島の上空を旋回してる様子がいつも見られる。


 おそらく鳥達の住処すみかになってるであろうその島を鳥達の島ということで鳥島と呼ばれている。


「あそこ、池とランニングコースぐらいしかないけど……池の周りを走るの?」


「いや違う。鳥島に入るんだよ」


「え……でも、柵を越えるのはダメじゃ……」


「大丈夫だ、鳥。実は俺、いい情報を手に入れてきてんだ」


 池くんは僕のことを鳥というあだ名で呼んでいる。僕の苗字はごうなんだけど、烏合の烏を鳥と思っていたらしい。


 漢字の違いについて説明してはみたんだけど、池くんに「横線が一本多いだけだし良いだろ」と悪気ない風に言われて、あまり強く言い返せなかった僕はいつの間にかクラスメイトからも鳥というあだ名で呼ばれるようになってしまった。


 もう今となっては良い思い出だけど。


「いい情報?」


 僕が小首を傾げるや、池くんは鼻先を空に向けて自慢げに話し出す。


「実は前島まえじまから聞いた情報なんだけど……柵を越えずに鳥島に入れる方法があるらしい」


「え……柵を越えず?」


 柵を越えずに鳥島に行く方法……想像もつかない。


 柵と鳥島の間には、お世辞にも綺麗とは言えない大きな池があるし、そもそも柵に囲まれた中に島があるのに越えずに行くなんて……海を越えずに外国へ行くと言ってるようなもんだ。


「おぅ! その方法を聞いた時はバカらしいって思ったけど、あいつが言うんだからやってみる価値はあると思うんだよ!」


「……まあ、前島くんの情報なら……」


 とは言ったものの半ば疑心は抱いてしまう。けれど、それでも僕は前島くんから聞き出した情報だと聞いて内心ワクワクしていた。


 前島くんの情報はいつも正確で、クラスメイトの男子はみんな、前島くんからいろんなゲームの裏情報を尋ねてるくらいだ。


 うちのクラスの情報屋と言ったら、真っ先に前島くんの名前が挙がる。


「おぅ、だろ! じゃあ俺らで鳥島入ってやろうぜ!」


「……うん!」

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