第17話


魔王領は狭い。

しかし魔界の統治者が住まう魔界の中心ゆえに、城下は最先端の大都会だ。

その片隅にある小さなバーは本日貸し切りだった。

安酒で酔い潰れる作法を良しとする柔軟なマニアが営む店。

薄暗いカウンター席では男が1名安酒を愉しんでいる。

金属製と見紛う直線的仕立ての最高級スーツ、ダンディに整えられた髪、カウンター裏側の傷みまで映り込む輝く靴…。

さらに装着者の値札以外に何の意味も無い腕時計はオーダーメイドで、これら見栄に直結する部分だけ取り上げれば超一流の紳士と読める。

そこを見終えて次、さあどんな男伊達かと顔を覗けば、多くの水商売はなんだコスプレイヤーかと落胆するだろう。

または超一流のカモと見るか。

彼は覇気というものを微塵も感じさせなかった。

彼自身、覇気を纏う事を完全に諦めきっており、その心根が余計彼を手弱女に見せている。

超一流のもや紳士は、似合いの安酒をちびちび呑んだ。


「いらっしゃいませ」

マスターが貸し切りの店内に客を迎える。

客は大男だった。

老いてはいるが凄まじいエネルギーを秘めているのがわかる…というか漏れ出ているので、わからない者は不感症とさえ言える。

男なら危険や敗北感を、女なら危険や欲情を感じずにいられない、本能の実在を教えてくれる強者だ。

大男は『少しは偉そうにしろ』と周りから叱られて渋々着ていた老魔侯の貴族服でなく、ごく平凡なシャツとズボンで現れた。

「お久しぶりです、おじさん」

もや紳士が大男に挨拶。

大男は苦笑しながら近づき、隣の席に座った。

格も度数も全く見栄にならぬただ美味いだけの平凡な酒を注文し、紳士へ言う。

「本気でわしが死ぬまでおじさん呼びを続ける気らしいな」

「甘いですね。

あなたは死んでからもわたしのおじさんです」

やんわりした抗議に年齢も外見も十二分にオジサンな紳士が拘りで返す。

「やれやれ…まあ、命の恩魔が言う事だ。

もう受け入れざるを得ん」

「命の?」

「ホテルのシェルターだ。

ぬしの代に作ったんだろう?」

「ああ…アレですか。

あのホテル、秘密基地みたいで泊まるの愉しみだったんですけどね…まさか本当に役立つとは」

三代目一行の命を護ったシェルターはもともと紳士の道楽半分だった。

紳士に最長老と本気の敵対などできるはずもなかったのだから。

「あの子はどうですか?」

紳士が尋ねる。

「あのニヤニヤ笑いを見ていると気持ちが若返るよ。

おかげで後始末に踏ん切れた」

「ずいぶんとその…粗相を重ねているようですが」

「うははっ!!

魔王らしくて結構な事ではないか!!

とは言え…ぬしとどっちが良いかはまだ分からんがな」

「わたしにできなかった事をやろうと頑張ってくれているのでしょうが…」

「わしらにできなかった事、だろう」

「…やらずに避けてきた事、と言ったほうがよさそうですね。

案の定、民は毒針を逆立てて警戒している」

「あっさり食われてしまうよりはいい。

相手は悪魔だ。

懇切丁寧に近寄れば懐いてくれるなんて甘い生き物じゃあないのはお互い様よ。

誰が何をやるにせよ、嫌われ疎まれ刺され噛まれしながら引っ張っていかにゃならん。

まだまだこれからさ。

今のところ…ニヤニヤ笑ってるうちはな」

「そう願います」

「呑気にまあ。

まだまだなのは民の今後の話だ。

恐らくズヨカオに来年は無い。

ぬしは次がもう出番になるぞ。

身の振り方は決めてあるのか?」

「愛する女のために戦う。

いつもやってきた事です」

今の言葉は単なる惚気以上の意味を持つ。

大男の金棒にでも立ち向かうという決死の意味を。

それを聞いた大男は、酔えもしない味だけの酒に思いきり頼った。

「ぷふぅ…。

ふん…変わり者め。

悪魔らしくあんな女捨ててみせろ」

「ふふふ…おじさんこそ、悪魔らしく先手をとってくださいよ。

わたしは丸腰ですよ?」

「むむむぅ…今は酒だ!!

酒がうまい!!

うまいなぁ!!」

「はい」

間違いなく処刑されるであろう女の夫。

処刑に参加するであろう大男。

2名はくだらない世間話を肴にいつまでも呑み続けた。

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