最終話:恋焦がれたあの頃の君に
後日。彼女に連れられてやってきたのは婚約指輪の専門店だった。
「急で悪いが、二人の命日までには間に合わせたいんだ。じっくり選ぶ時間を与えてやれなくてすまない」
「命日に?」
その理由は分からなかったが、何か考えがあることは伝わった。しかし、悩む時間なんて必要なかった。俺は彼女からもらえるのなら例えおもちゃの指輪でも嬉しかったから。その店で一番安い指輪で即決だった。
「出来上がったら受け取っておく」
「……うん」
それから二週間ほど経ったある日。家に帰ると彼女が居た。左手を出してと言われ、言われるがままに左手を出すと、彼女はその手を取り、薬指に指輪をはめてキスを落とした。彼女の唇の感触に驚き、思わず手を引っ込める。彼女は「動揺しすぎだろ」と苦笑しながら俺にもう一つの指輪を渡し「ん」と自分の左手を差し出した。指輪を取り出す手が震えた。落とさないようにと深呼吸をして、彼女の細長い指に指輪を通す。一息つくと、彼女は言った。「誓いのキスは?」と。それを聞いてようやく先ほどのキスの意味に気づき、彼女が俺にしたように誓いを込めて左手薬指にキスをした。彼女の顔を見上げると、彼女は満足そうに笑った。その笑顔に思わずドキッとしてしまうと同時に、これは夢ではないかと不安になる。すると彼女は悪いことを企んでいるようにニヤリと笑って、俺の左手をもう一度持ち上げて、薬指に歯を立てた。
「いっ……!?」
突然走った痛みに顔を顰め、反射的に手を引っ込める。痛かったかと、彼女はどこか楽しそうに問う。急になんなんだと戸惑いながら頷くと、彼女は笑って言った。「じゃあ夢じゃないね」と。「なんだよそれ」と呆れたが、指についた歯形が、これが現実だという証だと思うと途端に愛おしく思えてしまった。
「婚姻届は帆波と月子に報告してからで良いか?」
「えっ、あ、う、うん……親には報告しないの?」
「事後報告で良い。絶対反対するから。逆に君のご両親は何も言わんだろうし」
淡々と進んでいく結婚への道は、とても現実のものとは思えなかった。満足げに笑った彼女の顔も。だけど、左手薬指に伝わる金属の冷たい感触が、現実だと証明してくれた。
それから数日後。二人の命日に休みを取り、墓参りに行った。二人は同じ墓に入っていた。二人が遺書に綴った想いを二人の家族が尊重してくれたらしい。死んでからようやく認められるなんて、皮肉な話だ。
墓地に着くと、二人の墓の前には人が居た。海はその後ろ姿を見て「美夜」と呟いた。その名前には聞き覚えがあった。確か、彼女の元カノの名前だ。そして、水元さんと天龍さんがメッセージを残した友人でもある。海の声に反応して、彼女は振り返らずに墓を見つめたまま言う。「何しに来たの」と。冷たい声だった。
「何って、墓参りだよ。二人に色々と報告しなきゃいけないことがあってね」
「報告……?」
振り返った彼女は、俺に気付くと気まずそうに会釈をした。もう一人人がいることには気付いていなかったようだ。
「海、美夜って確か……」
「うん。そう。元カノ。……美夜、紹介するよ。彼は麗音。僕の幼馴染で……これから夫になる人だ」
そう言いながら海は見せつけるように左手を出した。指輪に気づいた彼女は信じられないものを見るように俺たちを見た。
「は……? 夫……?」
動揺する美夜さんに、海は言う。「結婚するんだ。彼と」と。平然としているように見えたが、俺には少しその声が震えているような気がした。
「けっ……こん……? なん……で……?」
「彼が僕の人生に必要だと思ったから」
「……なにそれ……世間体のためってこと? でも、あなたは……誰になにを言われても自分は自分だって……」
「うん。だから籍を入れた。誰になにを言われても、僕は僕だから。過去も今も、全て本当の僕だと受け入れて生きていくために」
自分は何も変わっていない。逃げるためではなく、向き合うために籍を入れた。そう主張する海に、美夜さんは掴みかかる。慌てて止めようとする俺を海が止める。美夜さんは腕を振り上げたが、その腕は海に向かって振り下ろされることはなく、力無く下に下ろされる。感情を抑えるように唇を噛み締め、踵を返し、立ち去ろうとする彼女。海はそんな彼女の腕を掴んで引き止めた。彼女は腕を振り払って立ち去ろうとしたが「帆波と月子から預かっているものがある」と海が声をかけると足を止めた。
「……まだ、私に渡すものがあるの?」
「ああ。けど、今は渡せない。……いつか、結婚する日が来たら連絡くれないか」
「は? 結婚って……なに? 帆波と月子は、あなたが結婚することも知ってたの……?」
「いや、違う。二人はきっとこんな未来は想定してなかった。……僕も、想定外だった。二人が知ったらきっと絶望するだろうな」
「……」
「二人から預かっているのは、いつか法律が変わって、同性と結婚する君宛てのものだ。だから……その時が来たら連絡してくれ」
「……来ないわよ。そんな日なんて」
「まぁそうかもな。君は未だに、僕のことが好きだから」
海が鼻で笑って小馬鹿にするようにそう言うと、彼女は拳を握りしめて振り返った。そして今度は躊躇いなく海の顔に平手打ちをした。「あんたなんて大嫌いよ!」と吐き捨てて走り去って行く彼女を見送ると海は「彼女を止めないでくれてありがとう」と叩かれた頬を押さえながら俺にお礼を言った。
「……うん。大丈夫?」
「ああ」
「……美夜さんに渡すものって、例の箱?」
「ああ。君に預けたあの箱の中に入ってる。お祝いのビデオメッセージだよ」
「……海宛てのものは?」
「無い。断った」
改めて墓の方を向き直す。墓には美夜さんが置いたであろうキンセンカの花が供えてあった。花言葉は確か、別れの悲しみ。それと、失望。偶然だとは思うが皮肉だなと苦笑しながら、持ってきたシオンの花束を置く。
「……ごめんね。騒がしくして。……美夜にも話したけど、僕、結婚したの。麗音と」
墓に向かって淡々と話をする。この場に二人がいたら、何を言うのだろう。美夜さんのように、どうしてと心を乱すだろうか。天龍さんならまだ話を聞いてくれそうだが、水元さんは俺を憎むかもしれない。だけど海はきっと、それでも俺のそばに居てくれるのだろう。自分がそうすると決めたらもう、誰の指図も受けない人だから。
「……麗音は? 二人に何か言いたいことない?」
「……うん。君が全部言ってくれたから大丈夫」
「そう。じゃあ帰ろうか」
「うん」
「帆波、月子。また来るね」
二人にそう告げると、彼女は俺の手を引いて霊園を後にした。しかし、霊園を出たところで足を止めた。ぽたぽたと地面に滴が落ちる。
「……とりあえず車まで行こうか」
彼女の手を引いて駐車場へと向かう。助手席を開けて彼女を乗せてから、運転席に乗り込み、手を握って語る。
「……昔、空さんが言ってた。海の求める幸せはきっと、茨の道の先にしかないんだって。だから安全な道に誘導するのではなく、その茨の道を進み続けられるように支えてやりたいんだって」
それを聞いた海は「重」と苦笑した。
「俺も同じ気持ちだった。君と同じ道を歩めないならせめて少しでも進む手助けをしてやりたいって思ってた。……一緒について来てって言われるなんて、夢にも思わなかった」
「……そう」
「……君が望むなら着いていくからね。どこまでも」
そう言葉には出来ても、彼女の方は見れなかった。
「……そう言いながらも君はきっと、僕が望んで手を離したら掴み返せないんだろう」
彼女は言う。図星だった。頭ではもう分かっている。彼女がどれほどの覚悟で俺の想いに応えてくれたのか。分かってはいるが、心はまだ追いついて居なかった。全て夢だったのではないかと、眠るたびに不安になり、目が覚めて左手にはめられた指輪を見てホッとする。そんな不安を、彼女には正直に話せなかった。だけど彼女は最初から察していたのだろう。籍を入れたのも、指輪をくれたのも、それが理由の一つなのだろう。分かっている。分かっているのに、心は一向に追い付かない。
「っ……ごめん……」
「分かってる。心配するな。離したりしないよ」
「それを言うべきは、俺の方なのに。ごめんね」
「いいや。君にそう言えないようにしたのは僕の方だ。一生かけて責任を取る。だから、君は何も謝らなくて良い」
彼女はそう言ってくれる。だけど心には響かない。頭では、それが本心だと分かっているはずなのに。何度も謝る俺に、彼女はため息を漏らした。そして俺の顔を自分の方に向けさせると、唇にキスをした。彼女の真剣な顔が視界に入って、ようやく彼女の言葉が心に入ってきて心臓がざわめきだす。
「……事故りそうで怖いから、運転代わってもらっていいかな」
「……動揺しすぎだろ。キス如きで」
小馬鹿にするように鼻で笑いながら彼女は言う。夏芽と別れて以来、俺は恋人は作らなかった。恋愛経験なんてないに等しい。対する彼女はそれなりに経験してきているのだろう。想像するとムカつく。
「き、君にとっては如きでも俺にとっては違うんです!」
「いやでもさぁ、初めてでもないんだし……」
「キ、キス自体はそうだけど……不意打ちは……びっくりするでしょ……」
「……はぁー……なんだよそれ……中学生かよ……」
「わ、悪かったな中学生並みの恋愛偏差値で……」
拗ねると、彼女はおかしそうに笑った。そして言う。「君ってほんと、可愛いね」と。どこか馬鹿にするように、だけど、愛おしそうにそう言う顔は、ずっと横から見ていたあの頃の彼女の笑顔によく似ていた。
君だけが特別 三郎 @sabu_saburou
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