第11話:傷つけたくない

「じゃあ海、俺は帰るね。おやすみ。ゆっくり休んでね」


 彼女を家まで送り届けて帰ろうとすると、彼女は俺を引き止めた。「行かないで」と。泣きそうな声でそう言われてしまったらもう足はその場から動かなくなってしまう。開きかけた玄関のドアを閉めて振り返って彼女と向き合う。すると彼女は俺の方に倒れ込んできた。抱きつくように背中に腕を回されて、咄嗟に両腕を上げる。彼女はその腕を掴み、自分の背中に回させた。このまま力を入れたらその華奢な身体を抱き潰してしまいそうで怖くて、呼吸が震える。突き放そうとするが、彼女は離れるどころか近づいて耳元で誘うように囁いた。「抱きたいなら抱いても良いよ」と。


「っ!」


 その瞬間、俺は咄嗟に彼女を突き飛ばしていた。壁に背中をぶつけた彼女を見てハッとして謝る。彼女は何も言わずに懲りずにまた距離を詰めようとする。押し返すと、彼女は言った。「したいくせに」と。


「そ、それは……否定は出来ない。けど、抱きたいから優しくしてるわけじゃない。君は俺にとって大切な……大切な、友達だから」


 それは決して、自分に言い聞かせてるわけではなかった。本心だった。


「……友達なら、慰めてよ」


 彼女は俺の方を見ずに言う。友人ならそういう慰め方はしないだろうと俺が主張すると、彼女はならせめて抱きしめてくれと震える声で言う。


「……それくらい、出来るでしょ。友達なら」


「……」


 ここで出来ないと答えたら彼女と二度と会えなくなる気がした。その方が良いのかもしれないとも思った。だけど、突き放せなかった。二度と会えなくなったら困る。預かっているものがあるから。そう言い訳をして彼女を抱きしめる。壊してしまわないように、そっと。彼女は甘えるように俺の胸に顔を埋めた。ドッドッドッドッと、心臓の音が重く響く。


「……なんで、うちの前にいたの」


「……実家から電話があって、気付いたら家を飛び出してたんだ。君が心配で、考えるより先に足が動いた」


「……そう」


「うん」


「……僕は知ってたよ。二人が死ぬこと。11月22日に死ぬって、帆波から聞かされてたから」


「……そっか」


「……なんで責めないの」


 責められるわけなんてなかった。自分も同じだから。


「二人が思い詰めてると気付いていた。気づいていながら、踏み込まなかった。……踏み込めなかった。だから——」


 馬鹿じゃないの!? と彼女は俺の言葉を遮るように叫んで俺を突き飛ばした。


「優しくしたって僕は君に振り向かない! いい加減諦めろよ!」


 彼女の悲痛な叫びに共鳴するように胸が痛む。


「諦めてるよ。とっくに」


 嘘だ。彼女もそれはわかりきっている。だけど、そう言うしかなかった。


「なら……なんで優しくするんだ……」


「さっきから言ってるだろ。友達だからだよ。大切な、友達だから」


「君のそれは……友達に向ける感情じゃないだろう……」


「……うん。でも……それでも俺を友達だと言ってくれたのは君の方だよ」


 ずるいと分かっていながらも、彼女に責任を転嫁する。彼女は唇を噛み締め、俯いて声を震わせながら溢した。「一緒に寝て」と。

断るが彼女は「抱いてよ」と譲らない。


「出来ない。君の自傷行為に付き合わされるのはごめんだ」


 本当はしたいくせにともう一人の自分が囁く。それは否定出来ない。だけど、その一線だけはどうしても超えるわけにはいかないと自分に、そして彼女に言い聞かせる。すると彼女は俺の腕を掴み、歩き出した。向かった先は寝室。彼女はベッドに向かって俺を投げ飛ばすと、上に跨った。何も出来ないと信じて抵抗せずにいると「抱きたいんじゃなくて、抱かれたいんだ?」と彼女は俺を煽る。気付いたら身体を起こし、彼女を押し倒していた。そのまま抱け、弱っている今ならイケると煽るもう一人の自分と葛藤していると、彼女はそのもう一人の俺の方を手助けするように、手を伸ばす。咄嗟にその手を払いのけ、押さえつける。頼むからもうこれ以上煽らないでほしい。彼女に、そして自分の中の自分に訴える。「ごめん」と溢れたか細い声でハッとして、慌てて彼女の上から降りて、ベッドの前に膝を抱えて座る。


「……眠りにつくまでは、ここに居るから。だから……もう大人しく寝てくれ」


「……隣来てよ」


「断る」


「……もう煽らないから。お願い」


「……」


 思わずため息が漏れた。優しくしたって振り向かないと突き放したかと思えば隣に居てくれと甘えたり、めちゃくちゃだ。しかし、友人二人を一気に無くして恋人と別れたばかりだということを考えると責められない。そうじゃないとしてもこんなにも弱っている彼女を突き放すなんて無理だ。


「……ちょっとだけ待ってて」


 部屋を出て、真っ直ぐトイレへ向かう。先ほどからずっと弱みに付け込んで犯してしまえと囁き続けているもう一人の自分を一旦黙らせて、穢れた欲望で汚れた手を念入りに洗って戻る。ベッドから覗く彼女と目が合うと、再びもう一人の自分が騒ぎ出そうとする。それをなんとか抑え込みながら、ベッドに入って彼女を抱き寄せる。


「……早く寝て」


「……うるさくて眠れない」


「我慢してよそれは……」


 お願いだから早く寝てくれ。そう願いながら彼女を寝かしつけるように背中をトントンと優しく叩く。

 やがて、背中に回されていた彼女の腕から力が抜ける。今がチャンスだとまたもや騒ぎだすもう一人の自分を無視して、目を閉じる。しかし眠れない。眠れるはずなどなかった。むしろなぜ彼女はこの状況で眠れるのだろう。抱いてくれと誘ったのは本心ではないくせに。本当は男に抱かれることなど望んではいないくせに。何故俺の腕の中で安らかに眠れるのだろう。それほどまでに、俺が危害を加えない安全な人間だと、彼女の本能が信じているというのだろうか。向けられる好意が友愛ではないと理解しているくせに。俺がずっと押さえ込んでいる欲望に気づいているくせに。気づいているからこそ、自傷行為のために煽ったくせに。苛立ちを覚えるのに、その信頼が嬉しくてたまらない。欲望に負けてそれをぶち壊すくらいなら一生眠れなくとも構わない。一生苦しんでも構わない。利用されたって構わない。そう、思ってしまうほどに。


「……麗音……巻き込んで……ごめん……ごめんね……」


 そう夢の中で何度も謝る彼女に答える。大丈夫だよと。どれだけ苦しくても君が望む限りはそばにいるからと。だから自分を責めないでくれと。夢の中まで届くように願いながら、朝が来るまで答え続けた。

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