第9話:天龍さんの願い

 それから数日後。再び誰かが家を訪ねてきた。また海だろうかと思い急いで出ると、そこに居たのは水元さんの恋人である天龍さんだった。


「ごめんね急に。どうしても話したいことがあって。入れてもらっていい?」


「……一人暮らししてる男の家に上がって、彼女、心配しない?」


「鈴木くんなら大丈夫だよ。帆波も私も、君のことは信頼してるから。君は私に何もしないでしょう? 入れてよ」


 君は私に何もしないというセリフにデジャヴを感じて苦笑しつつ、彼女を家に入れた。紅茶を淹れていると「あのぬいぐるみ、なんかちょっと海に似てるな」と彼女の呟く声が聞こえてきた。どのぬいぐるみを見て言っているのかは彼女の視線を辿らずとも分かった。


「紅茶どうぞ」


「ありがとう」


「……で、わざわざ家まできて話したいことってなにかな。そんなに大事な話?」


「えっと……海とは最近会ってる?」


「……この間うちに来たよ。急に。預けたいものがあるとか言って」


 俺がそう言うと、彼女はどこか複雑そうに言った。「ちゃんと預けてくれたんだ」と。


「あれは天龍さん達のものなの?」


「……うん。私と帆波から、大切な友達に向けたメッセージ」


「……そう」


 それをなぜ海ではなく俺が預かることになったのか。なぜ自分達で渡さずに他人に預けたのか。気になることは山ほどあった。だけど聞けたのは、彼女が今日ここに何の用があって来たのか、ただそれだけだった。彼女はお願いしたいことがあってと、俺と目を合わせずに答えた。


「お願い?」


「うん。……海を、独りにしないであげて」


 どこか躊躇うようにこぼされた願いは、以前水元さんが俺に言ったことと全く同じだった。


「……二年くらい前かな。水元さんにも同じこと言われたよ」


「……うん。知ってる。……私ね、帆波と一緒に旅に出るんだ」


 その旅の行き先はすぐに察した。もう今更止められないことも。


「……海は知ってるの? そのこと」


 恐る恐る問うと、彼女はこくりと頷いた。


「……彼女のそばに居るべきは、俺よりも、君達の方だと思う」


 それを言ったところで彼女達の決意は変わらない。分かっていたが、最後の賭けだった。彼女は「分かってる。でも私は帆波と海なら、迷わず帆波についていくから」と震える声で答えた。やはり俺には彼女達を止められない。分かっていたから、あの日水元さんも俺にそのことを匂わせたのだろう。


「……鈴木くん、私達がいずれ旅に出ること、悟ってたよね?」


「……二年前、水元さんがうちに来た時になんとなく気づいてた。けど……何も声をかけてやれなかった」


「……そう。彼女を海に会わせたのは、海が彼女を止めると信じたから?」


「いいや……海は止めないだろうと思った。……正直、会わせたくなかった」


「それでも海の居場所を教えたんだ?」


「……海が、会いたいって言ったから。会わないと、駄目だって」


「……そっか。……もし、海が旅に出るって言ったら、君はついていく?」


「……きっと彼女は俺を連れて行ってはくれない」


「連れて行ってくれないと行かないんだ?」


「……行かない。……行けない。俺は……彼女が望んでくれないとそばに居られない。邪な想いを抱えたままそばに居るのは、あまりにも辛いから……」


 だから離れたかった。それなのに、彼女の方から近づいてきた。逃げることは許さないというように。

 海が君にメッセージを預けたのは帆波の指示だと、天龍さんは申し訳なさそうに打ち明けてくれた。俺がこの先も叶わぬ恋に苦しみながら生きていくようにという呪いと、海が自分達の後を追わないようにという祈りを込めて、あのメッセージを二人を結びつける鎖にしたのだろうだと。あのメッセージが天龍さん達のものだと知った時点でそんな気はした。だけど俺は水元さんを責められない。彼女から離れたいと思いながらも、心の奥底ではそばに居られる理由を求めていたから。


「……優しいよね。君も……海も。……私達の選択を受け入れてくれて、八つ当たりに付き合ってくれて。……帆波は君のそういうお人好しなところが、嫌いだったんだろうね」


 そう言うと彼女はご馳走様と一言言って、ふらりと立ち上がった。


「……話聞いてくれて、ありがとう。最期に君と話せてよかった」


 これが最後にならないことを祈っている。そう口にすることは出来なかった。言ったところでもう止められない。止められないのならせめて、罪悪感を抱かせたくはなかった。


「鈴木くん。海のこと、頼んだよ。ずっとそばに居てあげて。約束だからね。約束破ったら死なない程度に呪うから」


 去り際に彼女は俺の方を見ずにそう言い放つ。切実な声で放たれたその言葉は、既に呪いだった。その呪いが、彼女が俺に放った最期の言葉だった。

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