第5話:君が茨の道を進み続けられるように

 それから一年。俺達は別々の高校に進学した。顔を合わせれば挨拶はするものの、会話はほとんどしなくなった。

 彼女は朝川さんの転校以来ずっと元気がなかったが、ある日を境に明るさを取り戻した。その理由はすぐに察した。胸が痛かった。やはり俺では、彼女を笑顔に出来ないのだと。いい加減自分も新しい恋に進むべきだ。そう考え始めた矢先に、クラスメイトの岩本いわもと夏芽なつめという女子から告白を受けた。彼女は背が高くて、ボーイッシュで、クールで、雰囲気がどことなく海に似ていた。彼女の告白に俺は「好きな人が居る」と正直に打ち明けた。代わりにしてしまいたくはなかったから。


「……うん。そんな気はした。けど……その恋は叶わないやつだよね?」


「まぁ……うん。……諦めなきゃいけないやつだよ」


「だったら諦める手伝いさせてよ」


「……俺は君のこと、好きになる保証は出来ないよ」


「好きにさせてみせる」と彼女は言い切った。「だからあたしと付き合ってよ」と。迷わずそう言える彼女が羨ましくて妬ましくて、そして、腹立たしかった。それは無理だと分からせてやりたいという暗い気持ちと、彼女のことを忘れさせてほしいという僅かな期待を抱いて、俺は彼女と付き合うことを承諾した。それを受けた彼女は全身で喜びを表現した。そしてこれからよろしくねと笑う。その愛らしい笑顔で芽生えたのは、罪悪感だけだった。


 好きにさせてみせるという宣言通り、彼女は積極的に俺に好意をアピールしてきた。積極的にスキンシップをして、デートの日程や場所も全て決めてエスコートしてくれた。彼女と付き合ううちに情は芽生えたものの、やはり恋は芽生える気配はなかった。

 それでも彼女との関係を終わらせることが出来ずにだらだらと付き合って一年が経った頃のことだった。彼女とのデートの待ち合わせ場所に行くために電車を待っていると、向かい側のホームに海の姿を見つけた。なんだか様子がおかしいように見えた。電車が見えて来たタイミングで、彼女は線路の方に近づいていく。思わず彼女の名前を叫びかけた瞬間、後ろに居た男性が彼女の腕を引いた。電車が到着し、二人の姿はよく見えなくなる。慌てて向かい側のホームへ向かった。電車はもう出発していて、彼女の姿はどこにもなかった。嫌な予感がして、俺は次に来た電車に乗って帰った。この時もう夏芽とのデートのことはすっかり頭から抜けていた。

 電車を降りると、全速力で彼女の家まで走った。インターフォンを鳴らすと、彼女の母親が出た。海はまだ帰って来ていなかったが、家出をすることは何度もあったからかあまり心配していないようだった。しかし、知らない男性に電車に乗せられるところを目撃したと訴えると流石に動揺していた。警察に電話をかけるために上がらせてもらうと、ちょうど電話が鳴った。緊張感が走る中、空さんが電話に出た。相手は海本人だったらしく、空さんの声からはすぐに緊張が消えたが、すぐにまた緊張が走る。


「ちょっと、そっち行っていい? 母さん達は連れて行かないから」


 そう言うと空さんは電話を切った。そしてすぐに出かける準備を始める。


「海に話聞きに行ってくる。父さんと母さんは家に居て。二人が居たらあの子、冷静になれないから。麗音くんはついておいで」


「えっ、で、でも……」


「でも君のそんな不安そうな見たら置いて行けないよ。君なら彼女も警戒しないから大丈夫だよ。行くよ」


「は、はい」


 車に乗り込むと、空さんはメモを見ながらカーナビをいじり始めた。


「海、どこに居るんですか?」


「バーだって」


「バー!?」


「さっき知り合った男性の店だって」


「だ、大丈夫なんですか?」


「うん。落ち着いてたし、危険に晒されてる感じはしなかったよ。何かあって、その男性が一時的に保護してくれただけだと思う」


「何か……」


「……あの子の人生、色々と大変だからね。今までも……きっとこれからも。あの子は、自分の心に嘘をつかない生き方しか出来ないから。そういうところがカッコいいんだけどさ」


「……そうですね」


「母さんも父さんも、あの子の幸せを願っていないわけじゃないんだ。むしろ、幸せを願うからこそ、いばらの道を進ませたくないんだと思う。けど俺は逆。あの子が最期の最期まであの子らしく生きられるように、傷だらけになってもいばらの道を進み続けられるように支えてやりたいんだ。きっと彼女の幸せはその先にしかないだろうし、母さんや父さんが安全だと思ってる道は海にとってはきっと毒の沼だろうから。麗音くんも同じ気持ちだろう?」


「……はい」


「ふふ。あの子のこと愛してくれてありがとね」


「あ、愛なんて……そんな綺麗なものじゃないと思います……」


「そうかな。俺は愛だと思ってるけど。逆に麗音くんはなんだと思うの?」


「……執着……ですかね」


「執着かぁ……なるほど」


「それも間違いじゃないかもしれないね」と、彼は言った。だけどこう続けた。「でもやっぱりそれは愛と呼べないとも言えないんじゃないかなぁ」と。


「……そうですかね」


「そう思うよ。俺はね。っと……そろそろ着きそうだね。あれかな」


 彼の視線の先を辿る。カサブランカという一軒のバーがあった。怪しげな店を想像していたが、普通の店のように見えた。その店の前に二人の人影が立っていた。それが海であると確認出来ると、安堵でため息が漏れた。

 車を店の前に停めて降りると、海は俺を見てから「麗音が来るのは聞いてない」と空さんを睨んだ。


「ごめん。海が帰って来ないって聞いた時、もう二度と会えなくなる気がして……不安で……」


「……家出なんて、今までにもあっただろ。心配しすぎだよ」


「心配させたのはお前だろ」


 空さんが彼女の頭を小突く。「お兄さんとは仲良いんだねえ」と、海と一緒に居た男性が微笑ましそうに言う。二十代後半から三十代前半くらいの男性だった。古市ふるいち幸治こうじと名乗った彼は、雰囲気は柔らかく、怪しい感じはしなかった。彼に俺のことを聞かれて彼女は迷いなく答えた。友達だと。気まずくてほとんど話せなくなってしまってもなお変わらず友人だと思ってくれていることが嬉しかった。


「で、古市さん……でしたっけ。うちの妹とはどういうご関係で?」


 空さんが古市さんに問う。古市さんはその圧に萎縮しつつ答えた。


「なんか思い詰めた顔してたから声かけて保護したって感じ……ですかね」


 それに対して海は「無理矢理電車に乗せられて連れ攫われた」と主張する。俺が見た感じでは海の主張が正しいように思えたが、古市さんは誘拐ではなく保護だと弁明した。しかし、無理矢理電車に乗せたという事実は認めた。


「あと、ここで働かせようとしてる。僕、未成年なのに」


「法律に引っかからない範囲でしか仕事させないから大丈夫だよ」


 だんだんと会話の雲行きが怪しくなってきた気がしたが、空さんはそのまま古市さんを咎めない方向で会話を続けた。俺も空さんを信じて黙って話を聞いた。


「仕事……ふぅん。海はどうしたいの? 働きたいの?」


「……別に。ただ帰りたくないだけ」


 働きたくないとは彼女は言わなかった。空さんは帰りたくないという彼女の意思を尊重し、古市さんにしばらくよろしくお願い出来ますかと問う。信用していいのかと苦笑する古市さんに、空さんは言った。「あなたはこの子の苦しみに本当の意味で寄り添える人のような気がするから」と。


「本当の意味で?」


「……とにかく、ご迷惑をおかけしますが何卒。何かありましたらまた連絡ください」


 そう頭を下げて、彼は古市さんに連絡先を渡した。心配ではあったが、空さんの人を見る目を信じて大人しく引き下がった。

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