第四章:小銭の袋
「たより、いつもお前がつるんでいるあの坊主な、昨日の夕方役人にしょっぴかれたって話だぞ」
たよりをつかまえてそう告げたのは、『平家物語』の午前の部を終えて村人を見送り終えた新造だった。
「えっ、それ本当!?」
嫌な予感がした。
昨日、一太郎が見せてくれたあの伊勢の組木細工。
あれを見た時から――。
たよりは走った。
夏の日差しがその上に容赦なくてりつけた。
喉が渇き、足がもつれた。
それでもたよりは一心に走った。
確かこの界隈――。
たよりは往来で人をつかまえて、一太郎の家を探した。
ようやっと人づてに探し当てた家の前には、見ると一人の男が立っていた。
胸を大きくはだけた姿で、だらしなく焼き鳥をほおばっている。
意を決して、たよりは男に声をかけた。
「あの、ここ、一太郎さんの家ですか」
男は気だるげにたよりに視線を落とすと、串で歯の隙間をしごきながら答えた。
「ああ、そうだよお嬢ちゃん」
男の目の動きを追うと、たよりのつま先から頭のてっぺんまでをなめるように見ている。
その様子に嫌悪感を抱きつつ、たよりはなけなしの勇気を振り絞って言葉を継いだ。
「あの、一太郎さんのお母様はいらっしゃいますか。一太郎さんが大変なんです!失礼します!」
そう言うや、たよりは家屋の中へと足を一歩踏み入れた。
その途端、すえた匂いと共に、おおきな喘ぎ声が聞こえた。
たよりの顔色がさっと変わる。
たよりはびたりとその場に立ち止まり、間を置いて、そっときびすを返して背中を奥へと向けた。
焼き鳥の男と目が合った。
男は右の口角をぐいと引き上げると、にたりと声もなく笑った。
「そっから先は大人の領域だ。お嬢ちゃんにはまだ早いらしい」
そう言って男は喉を鳴らした。
その様子が大層下品であったため、たよりは全身に鳥肌が立つのを感じた。
しかし時は一刻を争う。
たよりはその場に立ったまま動かず、背中を向けた奥へと呼びかけた。
「一太郎さんのお母様、そこにいらっしゃいますか。噂によると、一太郎さんが昨日役人に連れていかれたそうです。一大事です。助けてください!」
こんな子供の言うことが、果たしてどれほど通じるのか――。
大人の世界にあって、たよりは己の言葉をことのほか非力に感じた。
果たして、部屋の内から聞こえていた喘ぎ声が、ぴたりとやんだ。
「ちょっと待ってねぇ」
そう、細い声ながらはっきりと聞こえた。
すぐそばで焼き鳥男の大きな舌打ちが聞こえた。
奥で短く言い争う声がしたかと思うと、しばらくして、一人の太った男がのっしのっしと出てきて焼き鳥男の前を通り過ぎていった。
焼き鳥男は「お代はお返しします」と、その手に小銭を握らせていた。
それを見て、たよりはそうっと、振り返った。
そこには、今しがた衣をつかたばかりで腰ひもを結っている最中の、一太郎の母・美映の姿があった。
「お待たせ。一太郎が大変なんだって?」
髪の毛は大いに乱れ、衣からのぞいた胸元や太ももには無数のあざが見えた。
たよりは、こんなことを毎日している女もいるのだと、はじめて知った。
そんな衝撃を受けながらも、たよりは事の顛末を手短に伝えた。
「たぶん、あの伊勢の組木細工が原因なんです」
たよりはそう言うと、一太郎の申し出を断った自分を思い返し、なんだか申し訳なさを感じた。
美映の表情を読み取るに、眉根に皺を寄せて、今にも噛みつかんばかりに険しい。
「あの馬鹿が、盗むならばれねえように盗めってんだ」
背中で話を聞いていた焼き鳥男が口汚く一太郎をののしる。
「それで、あの、美映さん、稼ぎってありますか?」
突然のたよりの発言に、美映は怪訝な視線を寄せる。
「役人に袖の下を渡せば、一太郎を放免してくれると思うんです」
美映は無言で聞いている。
沈黙をやぶったのは焼き鳥男だった。
「けっ。甘いな。今のご時世、役人も善人ばかりじゃねえぞ」
「けど、考えたけど、これしか手は無いんです。戦が終わって誰も彼もが疲れて金を稼げずにいる、そんな今の世じゃあ、金に頼るしかないじゃないですか」
最後は叫びださんばかりになっていたが、なんとかたよりは己をおさえた。
「少しなら、あるよ。取ってくるから一緒に役所まで行ってくれる?」
美映はそう言うと、部屋の奥へと消えていった。
再び現れた時には、土のついた大きな袋を携えていた。
「これだけありゃいいだろう」
美映がその袋を手のひらで動かすと、じゃらりと小銭の重なり合う音が鈍く聞こえた。
たよりと美映は急ぎ、その足で役所へと向かった。
恥を捨ててすれ違う人に、しょっぴかれた人間がどこへ連れていかれるのかを尋ねてまわり、ようやっと一つの建物を探し当てた。
建物の門の両脇には、屈強なが体をした男二人が、のっしりと棒をつかんで仁王立ちにたっていた。
たよりはそのうちの一方に声をかけてみた。
「お兄さん、うちの一太郎を知らないかしら。昨日の夕方こちらへ連れてこられたらしいのだけど。確か年の頃は十三…」
たよりがすべてを言い終わらないうちに、男は手に持っていた棒を少しだけ持ち上げ、たよりの前へとずいと押しやった。
「娘、ここはお前のようなものが来るところではない。さっさと帰れ」
にべもなく言われ、たよりの頭にかっと血がのぼった。
「まぁまぁ、そう言わず、お兄さん、ほら、これ……」
そう言って男の手の中に小銭を握った手を差し出したのは、たよりの背後に控えていた美映であった。
男の表情がぐにゃりと和らいだ。
「へっ、女、話が早いな」
それを聞いて、美映は腰を深々と折る。
たよりは二人のやりとりを面白くなさそうに見ている。
「それでね、お兄さん。昨日の夕刻、このくらいの背をした男の子が連れてこられたんじゃないかなと思ってね、何か知っている?」
美映はそう言うと、男との距離をぐいと縮めた。
美映の衣は胸元がはだけ、足は膝の上までむき出しになっている。
無論、美映が意図的にそうしているのだ。
「なんだ、女、商売女か」
男の大きな両目が、ぎょろりと美映をにらんだ。
「はい、お恥ずかしながら。それで、一太郎と申します私の息子が、昨夜からこちらでお世話になっていると聞きまして、急ぎ参った次第でございます」
美映はそう言うと、深々と、二度に渡って腰を折った。
「知らぬわけでは、ないが…」
男はそう言いながら、美映の持つ大きな袋に目をやる。
じゃらり、と、袋の中で小銭が鳴った。
「はい、それはもちろん、お礼の方ははずませていただきますので」
美映は、小銭の入った袋を顔の前まで持ち上げて言った。
「どうか、私のかわいい一太郎を、解放してやってはくださいませぬか。お兄さんを見込んでのことでございます」
「ほう」
男は美映と小銭の入った袋を見比べしばらく何やら考え込んでいたが、「よし」と言うと、にっと笑みをつくって言った。
「ようし、俺に任せておけ。明日の朝に再びここへ来い。そうしたら、その一太郎とやらに会わせてやろう」
たよりと美映はぱっと笑顔になり顔を見合わせた。
「本当でございますか!」
「ああ、男に二言は無い。任せておけ」
男はそう言うと、がははと大きな口で笑った。
その様子が大層頼もしく思えたので、たよりと美映は互いにほっと肩の力を抜き、では、と美映が小銭の袋を男に渡した後で、二人して帰って行ったのだった。
その夜、他の男たちと同じ牢屋に閉じ込められていた一太郎を呼ぶ声があった。
一太郎はその声が指示するままに、暗闇の中、ひとり牢から出された。
牢の中の者にとっては、それが一太郎を見た最後の瞬間だったという。
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