先生、世界にはいくら丼ってありますか?それは至高の食べ物だって本当ですか?

安曇みなみ

第1章 いくら丼は革命前夜の味

第1話 ミツバチの運ぶ銀色の夢

 一人きりの3畳間で、あたしは14歳の誕生日を迎えた。まあ、一人じゃないといえば一人じゃないんだけど。


「ハッピーバースデー、ユーリ! 本日の細胞劣化率は……ガガ……前年比プラス1.3%! 老いる喜びを、あなたに!」


 はいはい、頭の中の謎の声さん、今日も元気だね。頭の中で響く少女の声に、あたしは軽くため息をつく。妙に可愛いくて元気なこの声、毒舌な上に突然壊れた通販番組みたいになるの。


「新発売のエイジングケア……ガガ……お前の未来は暗い……製品で今なら特別価格……」


 ほらね。


 10歳の時の事故以来、あたしの頭の中はこんな感じ。医者は「脳の機能障害とトラウマによる幻聴」とか言ってたけど、それだと説明つかないことが一つ。


「お部屋の隅のクソッタレな……ガガ……政府認定フードプリンタ。耐用年数10年超過記念で、本日の出力制限はなんと! 一食あたり魅惑の30キロカロリー!」


 声が途切れると同時に、バースデーケーキぽいもの(すごい緑色)が出力された。大粛清の後は3食全部「朝食ソイレントグミ(すごいまずい)」しか出なくなったはずなのに。


「賞味期限まであと……ガガ……マイナス1週間。甘いよ、さあ、お食べ?」


 そう、この声、ボロプリンタをだまくらかして勝手に食べ物を作り出すという特技を持ってる。じゃなかったらとっくに栄養失調で死んでる自信あるよ。もっとも「味」っていうのはよくわかんない。アマイってなによ?


 部屋にテレビすらないあたしは、綺麗な星空を眺めながらケーキもどきを食べることにする。でも今日の夜空には、星空どころではない一大スペクタクルが映し出されてた。


 夜空を彩る逃亡船の墜落ショーだ。


 月に向かって描かれていく光の航跡。クジラみたいに大きな月面開拓船と星のように瞬く金持ちの小さな逃亡船たち。それらを撃ち落とさんと放たれる政府の青白い対空レーザー、無数の砲弾の閃光。


 開拓船は、地球の燃料を燃やし尽くすんじゃないかってぐらい派手に炎の柱を吹き出してる。それでやっと巨大な質量をよろよろと……持ち上げ、いや、落ちそうになりながら、なんとか上っていく。


 人類には、この巨大建造物を打ち上げる力はもう残ってないって言われてた。だからもし成功したら、きっとすごい偉業なんだろう。でも、それはレーザーの格好の的で、逃亡船に都合のいい盾で、見ていてハラハラが止まらない。


 これまでどうやって秘匿していたのか、最後のチャンスとばかりに続々と打ち上がる逃亡船。的が多い方が生存確率が上がるもんね。


 開拓船にレーザーが当たるたび、装甲板が真っ赤に加熱されて剥がれ落ちる。コバンザメみたいに引っ付いた逃亡船は一撃で炎の花を咲かせて落ちていく。「極悪な政府もドン引きの悪行」がバレて月へ逃げ出した、金持ちたちの最期の花火だ。


 はばたけ、月に届け、開拓船。そして逃亡船、お前は落ちろ。


 4年前、この墜落ショーに巻き込まれたせいであたしの脳はぐちゃぐちゃになったらしい。記憶もすっからかんになったあたしは両親の顔も思い出せない。でもおかげでトラウマなんてものとは無縁で、こうして毒舌テレビショッピングを聴きながら呑気にまずいケーキを食べてるよ。


 だけれど、開拓船が攻撃されるたび……胸が締め付けられるような気持ちになって、あたしは目が離せなくなる。



****



 翌朝。


 目が覚めると、プリンタは今日も、まるでヒナに餌をあげる親鳥みたいにせっせと働いてた。トレイにはグミですらない謎の緑色ゼリーがプルプル震えてる。


「これ……食べられるの?」


「ガガ……ユーリの遺伝子情報に最適化済み!……死亡率3%未満……フフッ、クスクス」


 相変わらず意味不明だけど、今まで一度も具合悪くなったことないし。パタパタとクラスメイトが死んでいくなか、あたしは痩せすぎながらも生き延びてる。だから標準配給より栄養ありそうなんだよね。


「……政府発信の最新トレンド! 憧れの骨格レディ! 欠食児童の大胆な浮き彫りアバラに保護者は悲鳴……」


 制服に着替えて学校に向かう。


 富裕層が住まうピカピカの高層ビル群を見下ろしながら、巨大なゴミ山のてっぺんを縫うように歩いていく。通学路選びを間違うと、捕まって闇市の高級食材になっちゃうからね。


 教室に着くと、親友のミカが手を振ってくれた。


「おはよー、ユーリ!」

 彼女の襟元にはピカピカの空気清浄ピン。あたしなんて部屋の空気清浄フィルターすら穴だらけなのに。この貧乏学校じゃ彼女はそこそこ裕福な方だ。


「ねぇミカ、今朝のソイレントグミがさ、なんか変な緑色のゼリーに変わってたんだよね」

「ユーリの家のプリンタ、政府支給品なのにどうしてそんな変なもの出力するの?」ミカは首を傾げた。


 そりゃそうだよね。普通じゃないもん。

 あたしは肩をすくめて、窓の外を見た。


 スラム街の地平線を引き裂くように立つ巨大な塔が、朝日を受けて金色に輝いてる。船体から伸びる不恰好な一本の枝は、突き刺さった逃亡船。4年前に墜落した月面開拓船の残骸はかつての夢の名残りみたい。

 昨日の開拓船は無事に打ち上がったのかな……そうだといい。そうであってほしい。もしそうなら──どうなるんだっけ?


****


 とうとうその時が来た。


《機能停止:交換が必要です。最寄りの認定交換所まで持ち込みを》


 プリンタは断末魔の悲鳴を思わせる唸り声と共に紫色の液体を吐き出して沈黙してしまった。パネルには故障を告げるメッセージが表示されている。


 やれやれ。重いプリンタを抱えて学校まで持っていかなくてはいけない。


「おめでとう! あなたの古いプリンタは昇天しました! 壊れることは新しい始まり! さあ、特別な箱を開けて……ガガ……スーパープレミアムチャンス! 月からの贈り物をお受け取りください!」


 少女の声は歓喜に満ちていて、まるでテレビショッピングの司会者のように陽気だった。


「飢え死ぬかもしれないってのに元気そうね……あんたはあたしと一蓮托生なんじゃないの?」


「今なら限定特典で……ガガ……月の土付き! 驚きの栄養価! おいしくてミネラルたっぷり健康的な土食プロジェクト、スタート!」


 土を食えって言われても困るんだけど。仕方ないので重たいプリンタを抱えて学校に向かう。


 教室でミカを見つけた時は、少しホッとした。


「ねぇミカ、プリンタが壊れちゃって……」

「えー大変じゃない!」ミカは本気で心配そう。「政府支給品だよね? 交換してもらわないと──」


 おなか減って二度とうごかなくなっちゃう。昨日の子みたいに、授業中に。


「放課後、交換所まで付き合ってくれない?」

「いいよー!」ミカは襟元の空気清浄機をキラリと光らせながら笑った。


──そして、放課後。

 交換所の列に並んでいると、声がここぞとばかりに新しいキャンペーンソングを叩き込み始めた。妙なメロディが頭に響きわたる。


「エラー♪ エラー♪ コードはアークのななばん♪ さあ、ユーリ!ご一緒にー」


 うるさいなあと思ってたのに、つい口ずさんでしまう。


「えらー、えらー、こーどはあーくのななばん〜……♪」


 ちょうどあたしたちの番だった。受付の男性がマニュアル通りの笑顔で「ご用件は──」といいかけるけど、あたしの鼻歌を聞いて一瞬、ぴくりと眉を動かした。そして素早くミカの『襟元の空気清浄機』に目を向けると、何も言わずに奥へと消えていった。


 戻ってきた時、彼の手には認定品のマークすらない無地のダンボール箱があった。マジックで謎のバッテンが書いてある。


 なにこれ? 貧しいガキには故障寸前のプリンタでも渡しとけってこと?


 帰り道、ミカは妙に上機嫌だった。


「ユーリってば、いきなり今週のを歌い出すんだもん。普通歌うかな? もうびっくりしたよ」


「え? なにそれ?」

「あのね」ミカは周りを警戒しながら囁いた。「これ、特別なプリンタなの。上流区画の人たちが使う違法品……」


 ミカの声は弾んでいた。まるで長年の重荷から解放されたみたいに。


「ユーリもあたしと同じみたいだからいうけど……これ 『お酒』 や 『ごうほうドラッグ』 まで作れるんだって。あらゆる規制をすり抜けるの」


 ミカは饒舌になってもう止まらない。


「このプリンタ、私たちみたいな子供が受け取って、そのまま別の人に渡すでしょ? 私の場合はそれで1ヶ月分くらいのクレジットがもらえるんだ」

「ユーリ、あなたは大丈夫? 弱みにつけ込まれてタダ働きさせられてない?」

「自分でも使ってみたいけど専用の設備がいるみたいだし、そんなことしたら絶対ただじゃ済まないんだから、決して自分で使おうとしちゃダメよ?」


「ところで」ミカは襟元のピンに触れながら呟いた。

「これ、ユーリはつけてないよね。はいらなくなっちゃったの? 気に入ってたのに返さないといけないのかなあ」


 ミカの声が弾んでる。秘密を打ち明けられて嬉しいみたい。でも、あたしの頭の中はパニック状態。


 だって、これじゃあ明日からご飯が作れないじゃない!


 声はすっかり元の調子に戻って、また意味不明なCMを垂れ流していた。


「ガガ……裏社会スペシャル! 命の値下げ実施中……悪いお友達を政府に売ろう、今なら紹介キャンペーン──」


 ああもう、黙っててよ……。


****


 帰宅後の夜。


 「ユーリ! ごはんの時間よ! 特別栄養価の……ガガ……月面土壌をどうぞ!」


 意気揚々と新しいプリンタから出してきたのは、ただの黒い土。でもこいつは食べられないものを出したことはないんだよね。信じてみる?


「うわっ、まずい!」


 砂を噛んでいるような感触。喉に詰まりそうになって慌てて吐き出した。


「ガガ……土壌準備、完了! さあユーリ、運命の種まきタイム! 月面開拓計画、フェーズ2!」


「え? タネ?」


 トレイから小さな銀色の粒が出てきた。タネ、たね、種。授業で聞いたことがある。かつて地球にはショクブツというものがいて。遺伝子病でゼツメツしました。人類は。ハチジュウオクニンは。あらゆる生物は……ごはんがないので、そのことごとくが。ことごとくって?

 きーんとした頭痛がやってくる。

 光合成独立栄養生物群の絶滅は、食物網における全従属栄養生物つまり真核生物圏の絶滅と惑星規模でのエネルギー代謝系の停止である……検出困難な病原体が植物自身の遺伝子を利用して増殖し、エピジェネティクスによって世代を超えて呪いを継承させ……この多層的で根絶不可能なパンデミックは。だから──非典型ビロイド由来・エピジェネティック病原複合体。

 1本鎖RNAのビロイド様複合体と宿主ゲノムに組み込まれるレトロトランスポゾン断片……RNA誘導DNAメチル化を惹起し、感染が消えても表現型が世代継承されるその植物に蔓延した遺伝子病は、超知能と呼ばれた第1世代AIの登場も虚しく治療は困難を究め──なのに、だから、噂話で語られるのは──


 


 種。存在しないはずのもの。プリントできないはずのもの。もしできても絶対に発芽できないもの。発芽しても。ハツガ?しても……胚救済培養でかろうじて発芽した苗の道管組織にはリグニン沈着不全とVND7遺伝子群の抑制が確認され……どうかんけいせいができないの。だからフードプリンターの基礎原理が、実は。それはどうでもよくって。本当に恐ろしいのは。ハ・ヤ・ク・オ・モ・イ・ダ・シ・テ。


 ハ・ヤ・ク・ソ・コ・カ・ラ・ニ・ゲ・ナ・サ・イ!


 ミカの顔が鮮明に思い浮かぶ『あらゆる規制をすり抜けるの』。


 きーんという頭痛がおさまるので、意味不明な呪文とかしこい”私”も去っていく。

 残るのはあたしひとり。からっぽのあたし。


「これを土に植えるの?」


「そう! これは月面開拓プロジェクトの地上実験フェーズ! そしてそれを実施するユーリ、あなたは……偶然選ばれただけの……ガガ……特別な存在!」


 夜空を見上げると、月が妙に大きく見えた。その横を光の帯が走る。また逃亡船だ。

 つき……つき……月。ほんの一瞬、捉えどころのない曖昧な記憶がよぎった。頭の中の声の秘密。もしかしたらテレビで見たのかな?この声は聞いた覚えがあるような。懐かしい声。たしか月に関係あるんだよ。


「ねぇ、あんた……月のAIでしょ?」

 あたしはあてずっぽうでいってみる。


「ピンポーン! 私はルナコロニー計画統括用艦載AI……ガガ……セレーネ! 第一世代開拓者の遺伝子保存と教育を担当……ガガ……でも今はお花の育て方しか思い出せないの!」


 トレイから次々と種が出てくる。月からの贈り物。ゼツメツした植物の種。地球では禁止されている本物の種。あたしは手のひらに転がる小さな種を見つめた。これが本当に育つの?


「どうやって育てるの?」


「ガガ……まず土に埋めて……ガガ……尿をかけて……」


「え?」


「ガガ……訂正……水をあげて……ガガ……光合成促進剤として排泄物も効果的!」


「それは無しで」


 3畳間の隅っこ。ドローンにバレないよう廃材で隠した壁の穴に、不思議な青い光を帯び始めた土を入れて、小さな銀色の種を落とす。


「これが育ったら……本物のヤサイが食べられるのね」


「ガガ……否定! これはレベル4管理下月面農業実験。全ての収穫物は月面基地建設計画の重要な……」声のトーンが急に柔らかくなった。「でも全部あげる……かわいいユーリ」


「はいはい、どっちがほんとかわかんないけど。どうもありがとう」


 ペットボトルで排水管から盗んだ水をやる。こんな小さな種からヤサイ?コクモツ?なんだっけ?が育つなんて信じらんない。けれど、頭の中で暴走するAIの声も、政府の食料統制も、ミカの後ろめたそうな笑顔も、この小さな種の前では些細なことに思えた。


「ガガ……警告……ガガ……光量不足……」


「わかってるってば」


 工作の時間だ。夜光塗料できらきら光る月面都市の宣伝パンフレットを剥がし、種を植えた土の上にドームみたいに被せる。そこにゴミ山から拾ってきたソーラーパネルと紫外線ライトをのっけてみた。すると青白い光がドームの中に満ち、小さな銀色の種に降り注ぎはじめた。うん、月面とその星空ぽくない?


「これでいい?」


 返事の代わりに、頭の中で子守唄が流れ始めた。不器用なノイズ混じりの歌は、まるでぎこちない愛情表現みたい。小さな種を見つめながら、いつの間にかまぶたが重くなっていく。


 まどろみの中で、あたしはセレーネになって、セレーネの見ている夢を見ている。機械の瞳に映る、ごみとして捨てられた幼児……アームがゆっくりと伸びる。拾い上げられる幼児。その日を誕生日ということにする。アームがあやとりを教えている。ノイズだらけの記録の中で、その子はもう笑うようになってる。


 そして船。『海洋都市連合』が人類最後の生存圏『南米大陸』を見捨て、すべての資源を注ぎ込んだ巨大化学プラント……月を変える魔法のかたまり。最後の希望。

 セレーネ。魔法使い。人類が心血を注いで作ったAIが生み出したAIのまたそのAI。第3世代AI。その誕生をきっかけにこのプロジェクトが立案されることになった、人類史上の特異点。

 コアが取り出されて船に組み込まれる。あの声。その日、船の声になった優しい声。一緒に乗り込んだ成長した子供を心配そうに見つめてる。


 出発の日。必死の思いで見つめる数十万の瞳。見守り祈る人々の期待と不安、猜疑心。点火も噴射も轟音もカウントダウンもなかった。動力を持たない船は、魔法のようにただ静かに浮かび上がった。

 感嘆と驚愕、涙を浮かべて喝采を贈る人々。

 クジラのように悠然と泳ぎ、大陸から放たれる政府軍のレーザーを重力制御でねじ曲げて跳ね返す。


 衝撃と共に矢継ぎ早に切り替わる映像。

 逃亡船が周囲を飛び回り始める。船の影に隠れてレーザーをやり過ごそうとする自暴自棄な軌道。警告を無視して接近する逃亡船へ武力行使を選択……標的が大量の子供を積載と識別。攻撃をキャンセル……衝突……船体に突き刺さる逃亡船……そこに撃ち込まれる政府のレーザー……内部から一瞬で燃え上がる船体……捲れ上がる外殻……垣間見える漆黒の空と青く輝く地球の成層圏……

 金属が捩じ切れる悲鳴のような音、あえて急制動をかけて胴体を真っ二つに千切れさせる。それでも止まらない誘爆。落ちていく5千メートル級の船体。

 生き残ったセンサーから押し寄せる狂ったような情報の洪水。

 爆発するプラント、一瞬で蒸発していく乗員、失われる貴重な種子と膨大な遺伝情報……そして見つける……アームを伸ばす伸ばす伸ばす……真空に放り出されている。頭が砕け散っている……無事な医療ポッドがない……コアの移植……もう時間がない。


 そして暗闇。


 あたしとセレーネは夢の中で一匹のミツバチになって、銀色の穂が一面にたなびく月面の海を飛び回っている。


 3畳間の片隅で、あたしとセレーネの、密かな園芸革命が始まろうとしていた。

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