またたきの軌跡
兎霜ふう
第1話 異物混じり〈インクルージョン〉
霧の立ち込める街に、自動四輪車の前照灯のオレンジが広がった。
サザレ・ジオンはその灯りが通り過ぎるのを待ってから道を渡る。ヒールの低い靴を履いていても、この街の道は全て石を敷いてあるから、足を動かすたびにこつこつと音がする。
石。
サザレが普段は好まない都会にやってきたのは、石が目当てだった。
目当ての場所への案内図は、ステーションで見て頭に叩き込んだ。その図を脳内で辿り、彼女は目的地を目指した。深夜も近いというのに未だ灯りがともされ、賑やかな笑い声が響く店をいくつも通り過ぎる。街中に重く沈み込む霧による湿気を払うためだろう、店内で回っているファンから出た風がサザレの髪を揺らした。
肩につかないほどの、癖のない髪。闇に溶け込むような黒を基本として、一部にごくごく色の薄いアクアマリンのような青みがかったシルバーが指し込まれている。彼女は顔に落ちかかってきたサイドの一房を耳に掛け、先を急いだ。
角を曲がって住宅街に入る。緑豊かな公園が目印とのことだったが、今は暗闇と霧とで豊かな緑は見えない。その代わり、公園のすぐそばに張られた『
サザレはそのテープが張られている建物に近づいていく。警備のためかあちこちに鋭い視線を向けている警察官と眼があった。
「要請により来ました。遺石捜査官サザレ・ジオンです」
サザレは胸ポケットからロケットペンダントを取り出した。それを開けて警察官に見せる。ロケットペンダントの中には、砕いた宝石の欠片を敷き詰めて作った複雑な模様がある。母岩から伸びる剣のような石。成長していく鉱物の結晶を象ったそれは、サザレの身分を証明するものだ。
「お待ちしておりました」
確認した警察官は敬礼をし、サザレを中へと招いた。
テープが張られていたのは、眼を疑うような豪邸だった。手入れされ、噴水が水しぶきを上げている庭。その庭を堪能してもらおうという思惑からか、やたらと曲がりくねったスロープが続いている。それを昇り切るとようやく玄関に辿り着いた。
白い石の柱が天井を支える玄関ポーチには、スーツを着た人々が集まっている。
「警部はあちらになります」
「ありがとう」
抑揚の少ない声でサザレは礼を言い、見慣れた男に近づいていった。
「警部」
「おお、これは〈インクルージョン〉のお出ましだ。やれやれ、これで少しは捜査が進むよ」
中年の良く引き締まった身体をした男は、サザレを見て相好を崩した。差し出された手を無視してサザレは彼の後ろに視線を向ける。
「遺石は?」
「まだ残っているよ」
警部はサザレのつっけんどんな態度に苦笑する。だが、文句は言わなかった。慣れているからだ。
警部に連れられてサザレは豪邸の中へ足を踏み入れた。
城のダンスホールかと疑うほど広いロビー。天井にはシャンデリアが吊るされている。左右の壁には大小様々な絵画が掛けられていたが、これはたしか今最も取引価格の高い天才画家の最古の作品だ。その絵画の前には宝石を薄く削いで作った造花が花瓶に生けられている。
ロビーを進むと小さな段差がある。それを上がると靴が沈み込む感触がした。絨毯が敷かれているのだ。足音を立てずに歩く警部の背中を視界に収めつつ、サザレはあちこちを観察する。
「さて、件の石はこちらだよ」
警部が一つの部屋を示した。ドアが開けっぱなしにされていた部屋に入る。その中にも玄関と同じように複数の人が集まっていた。彼らは皆同じ制服を身につけていて、部屋の様々な場所の写真を撮ったり、手元のバインダーにかがみこんでペンを走らせたりしている。
彼らはサザレの姿を認めると、不審そうな顔をしながらも頭を下げた。
「諸君。〈インクルージョン〉のご登場だ」
警備が説明すれば、皆はっとした表情になってサザレを見つめ直した。
一斉に視線が集中したサザレはしかし動じることはなく、涼やかな顔をして佇んでいる。
制服を着た一人が、手のひらの上に布を広げ、その中に小さな石を持ってやってきた。
「こちらが遺石です」
差し出されたそれをサザレはしげしげと観察する。
男の手のひらの中にあっては小さく見えるくらいの石だった。長辺は三センチほどの長さがある。表面がでこぼことした、透き通った黄色の石。真ん中に一条の光の筋が入っている。
「キャッツアイだ。硬度八。いかにもこんな豪邸に住んでいる人らしいだろう?」
警部が口の端を歪めて言う。サザレは白の手袋を嵌めるとキャッツアイを受け取った。灯りに翳してそれを観察する。混じりけのない、純粋な鉱石。だがそれは、ただの石ではない。
「さて、遺石捜査官の腕前を披露してもらおうじゃないか」
警部が一歩引いて後ろに両手を組んだ。他の者もみなサザレから距離を取り、これから起こることを固唾を飲んで見守っている。
サザレはキャッツアイを翳していた手を下ろした。表面を微かに撫でる。眼を伏せ、口を開いた。指先に摘まんだキャッツアイを口許まで運ぶ。歯を立てると本来硬いはずのそれはぱきんと音を立てて割れた。同時に僅かな光を示す。
周囲からどよめきが起こった。サザレはそれを無視する。今集中すべきはキャッツアイから得られる情報だ。
口の中に含んだ半分をまずは細かく噛み砕いていく。砂粒ほどになるまで細かくすり潰したら残りの半分を放り込む。ぱきん、がり、ごり、音を立ててサザレはキャッツアイを食べ終えた。
ふう、と息を吐く。眼を開ける。
「警部、彼女の眼の色が……」
誰かが囁いた。
サザレの瞳はクリスタルを思わせるような色をしている。瞳孔までも色が薄い。だが今は、瞳孔の周りの虹彩が変色していた。それは太陽の光を浴びた夏の花。先程食べたキャッツアイと同じ色に輝いている。
「今から彼女はリーディングをするんだ」
警部が説明する。詳しく尋ねる警官の声を聞き流しながら、サザレはゆっくりと眼を閉じた。
ぐわん、と体が歪んだような感覚。次いでどこからか音が聞こえてくる。ばたばたと人が壁にぶつかる音。それから金切り声。怒号が飛び交っている。
『誰のお陰で生活できていると思ってるんだ』
『足りないのよ、あれっぽっちじゃ! わたしたちがあれだけで暮らしていけるとでも?』
次いで、鈍い音。それから悲鳴。眼の前がさっと明るくなって女の顔が浮かんだ。必死の形相をした女が近づいてくる。そこで全ては途切れた。
サザレは眼を開けた。
「どうだったかね?」
警部が尋ねてくる。サザレはゆっくりと口を開いた。
「音声と映像が少し……。怪しい人物の情報を渡してもらえますか」
サザレはタブレットを受け取る。羅列された人物を眺め、一人のところで手を止めた。
「あ、彼女です」
先程見たのと同じ顔を示す。警部が身を乗り出した。
「……使用人か。何か言っていたかね?」
サザレは聞いたことを正確に伝える。警部がなるほど、というように頷いた。
「よし、事情聴取を始める。君たち、用意をしてくれ」
「あ、あのっ」
部屋に集まっていた中でも年若の女性が声を上げた。
「なんだね?」
「こちらの方、私は初めてお会いするんですが、遺石捜査官って……」
「ああ、そうだったか。遺石捜査官については?」
「一通り、教科書に書いてあったことくらいは……。遺石から鑑定するんですよね、死因とか」
彼女の言葉にサザレは小さく頷く。
人は死んだら石になる。たったひとかけらだけの鉱石を遺して消える。それが遺石だ。
数百年も前、第三次人口爆発以前はそうではなかったらしい。人は、そしてその他の動物も、植物のように姿形がそのままの死体が残った。だが、人体を作り替える薬によって人は変わった。人口が増え過ぎたことによる将来的な死者数とその埋葬、それに伴う疫病の拡大が予言されたのをきっかけに、死んだ後に腐る死体が残らない薬が開発された。全人類はその接種を義務付けられ、今では薬なくしても死して石となるように遺伝子から変質している。
「遺石捜査官は優れた鑑定眼を持っていて、遺石のでき方、形、色味から、死の直前のその人の様子がわかるのだ」
警部が説明を加えた。にやり、と皮肉気な笑みを浮かべる。
「我々も、種類からなら読み取れることはあるがな」
「階級、ですね」
一般的に、人は裕福であるほど、死後の遺石は硬度が高く、透明度の高いものになると言われている。もちろん例外もあるが、遺石を見たらどのレベルの暮らしをしていたのかがわかることはたしかだった。
「だが、こちらの〈インクルージョン〉はそれだけではない。彼女は、遺石を取り込むことで、そこに刻まれた情報を読み取ることができるのだ」
「すごい!」
尊敬の眼差しを向けてくる女性に、サザレは苦笑した。
サザレは遺石捜査官の中でも特殊だ。特異体質を持っている。
それは、遺石を食べることができる、というものだった。遺石には、死の直前の光景や想いが記録される。死後時間が経つとそれは薄れていってしまうものの、サザレは遺石を摂取することによってそれを読み取ることができた。
読み取る、と言っても情報は様々な形で与えられる。本を読むように文章を追いかける時もあれば、今回のように音と映像が現れる時もある。
遺石の情報を読み取っている時には、彼女の虹彩は変色する。鉱石を口に含むこと、そしてクリスタル色の瞳に違う色が混ざることを見て、誰かがつけたのが〈インクルージョン〉——内包物のある鉱石を示す言葉——という綽名だった。
「そんなことができちゃうなんて」
「ただの体質よ」
サザレは肩を竦めて話を打ち切った。
手袋を脱ぎ、髪に手を差し入れて梳く。疲労感が肩の辺りに溜まっていて、息を吐いた。タブレットに付属していたペンをとって書類にサインをした。
「では、わたしはこれで失礼します」
タブレットを渡し、警部を真っ直ぐ見つめる。うむ、と彼は頷いた。
「ご協力、感謝いたします」
サザレは街灯のともる道をステーションに向かって歩いた。ふう、と息を吐き、空を見上げる。霧と雲に覆われてそれは暗い。吸い込まれるような黒をしている。
ぱあっと眼の前が明るくなった。自動四輪車がこちらに近づいてきている。サザレは足を止め、それを見送ってから再び歩き出した。
ステーションにつき、終電に駆け込む。席に座り、眼を閉じた。軽く目頭を揉んでから瞼を開ける。その時にはもうサザレの変色していた虹彩が元に戻り、冷たく灯りを跳ね返していた。
またたきの軌跡 兎霜ふう @toshimo_fu
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