コンビニバイトの少女
塾を抜けた先には大きな駅があり、その広場を知らない人が通っていく。その群衆の奥に、何か数人の集まりが見えた。恐る恐る近寄ってみる。驚くべきことに、それは私の大好きだったバンド、「etc...」だった。
月明かりをドラムのライドシンバルが反射する。歩き回り、アスファルトの小石が擦れる音がやけに大きく聞こえる。片平秋介さんがベースとアンプを黒いシールドで繋ぐ。ネックを左手で支えながら音を調整する。古町彼方さんがドビュッシーの「月の光」を弾き始める。それに合わせ、心地いい耳鳴りのようなシンバルが鳴る。山内海斗さんは目をとじ、スティックを握っている。多分この数分、私は時間の枠組から外れていた。それは美しさの権化だった。
その不思議な感覚を抜け出したのは、声をかけられたからだ。それも、山内海斗さんに。あまりの驚きに、少し飛び跳ねてしまう。
「なあ、君はもしかして『ユウナ』じゃないか?」
それは、私のYouTubeでの名だ。高校入学と同時に捨てたものだ。
「え、あ、はい。そうです」
山内海斗さんは皆を呼ぶと、私を紹介した。まだ状況がわかっていない。
「生前さ、塚浦があんたのカバーを気に入ってたんだよ」
「私も、あなたの歌い方が好きでした」
片平秋介さんと古町彼方さんも頷く。
「あの、というか、もしかして路上ライブですか?」
声と手が震えている。多分これは不安じゃなくて、感動と興奮と期待のせいだ。
「そうですね。塚浦さんの死からちょうど一年なので、彼の好きだったゲリラライブをやろうと」
はっと、何か思いついたように古町彼方が笑う。
「ユウナさん、歌いませんか」
思考が固まる。
「いいじゃん」
「いいんじゃない?」
山内さんも片平さんも、当たり前のように頷く。
「一応マイクを持って来ていますし、弔いのライブであなたが歌うことに、何か意味がある気がします」
しばらく考えて、私はマイクを手に取った。
夢見心地という言葉をいつ使えるようになったかは覚えていないが、その言葉を体感した今日を忘れないだろう。いつの間にか人は集まってきて、多分その中には私の知り合いもいたが、今は何も気にならなかった。
ライブも終わって片付けをしていると、桶が見つかった。中にはお金が入っている。『etc...』のメンバーの方々は誰も見覚えがないらしい。観客の一人が近くにあるドン・キホーテで買って来たのだろうか。
不思議に思っていると、片平さんが苦笑した。
「正樹がさ、『風が吹けば桶屋が儲かる』って言葉が嫌いだったんだよ。こじつけだし、そもそも桶屋なんかが儲かるのが許せないらしい」
「これでは、彼は怒ってしまうかもしれませんね」
私はぼんやりとした頭で、憧れの彼が怒っているのを想像してみた。
風が吹けば 宇宙(非公式) @utyu-hikoushiki
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