20 years later

妄想屋あにこう

20 years later

 2005年(平成17年)4月25日9時18分ごろ…

 JR福知山線塚口駅-尼崎駅間で列車脱線事故が起きた。


 乗客運転士合わせて107名が死亡、562名が負傷した。

(Wikipedia調べ)


 その日その時間だったかどうかは覚えていない…ただ意識を取り戻して病室のベッドの上からその事故の様子を知らせるニュースをテレビから見た記憶があり、その時思った…


『何で死のうとした奴が生きて、生きるべき人がこんなに死ぬんだろう』


 今年であれから20年が過ぎようとしている、そしてそれは…


『私「妄想屋あにこう」が鬱病発症の後に自殺未遂してから20年』でもある。


 先日同人誌イベントにサークル参加した時に出会った人から「主人公鬱病について」という事を聞いて「それは描いたつもりなんだけどな」と思いながらもふと改めて「自分があなってしまった理由って結局何なんだろう?」という気持ちも浮かんだので心当たりを探りながら改めて考えてみようと思った。


 …それが「古傷の傷口を抉る行為」かもしれないが。


 ニコニコ動画、そしてここで小説として書いている「囲い女鎮守府」内の主人公「中重光樹」が暁型に対して放した内容は自分の実体験をもとにしている。

 宮崎勤事件の冷めやらぬ中でのヲタク(ヲタク趣味)への蔑視は強くなりこそすれ収まる気配はまるでなく、一時期テレビでコミケの様子を移して「ここに居る人達は皆性犯罪者予備軍」とさえ喧伝したテレビの報道もあった。

 そんな中で自分はそんな趣味の自分として生きて、それを夢見ていたが破れて田舎に帰ってきたが結局そんな自分を変えられず、あの時よりはましになったとは言え「勤労意欲の無さ」からのフリーターだった。

 そんな自分が正社員として就職する事になったのは父親が亡くなった翌年だった。

『こんな自分だがこれで親孝行が…』

 と思った矢先年が明けてすぐの頃に母親が倒れてそれからもう何年だったか思いだす事も出来ない…いやそれもまた最初に触れた一切からの理由もあってはっきりと思いだせないが十年前後だったか植物人間として眠ったままでそのまま数年前に亡くなってしまった。


 思えば母親が倒れて暫くしてからだったかもしれない、「鬱病の片鱗」と呼べる物が自分の中で生まれ始めたのは、それが何時から?どんなふうに?と言う事が思いだせない。「ヲタに対する蔑視(差別と言っても良い)に対する恐怖」からだと思っていたしその原因の一つは間違いなくそれだろう事は今も思っている。


 しかし先にそう言われて「それだけだっただろうか?」という疑問が浮かび時々そんな事を思い返すように「結局何が理由で?」と思っても明確に「これだ」と呼べる物が見つけられず、だが「これが理由だ」と呼べる物が今更のように纏まって来たのを感じた。


 今自分はありがたい事に寛解して数年が過ぎている。しかしコロナ禍でマスク騒動の中で再発の恐怖を感じた事もあって「今からでも間に合うかもしれないからどうにか就職を」という気持ちが浮かばずに今も、多分病室のあの時からかもしれない。


『今度もし再発したら今度は死ぬまで治らないかもしれない、そうなったら…』


 そんな恐怖が今も先に立ち続ける。このまま死んでいくかもしれないが仕方ないとさえ思っている。


 長々と話してきたがあの日から20年が過ぎようとしている…その事にある日気付いてふと思った事は…


『もう十分に生きたよな』だった。


 そしてあの時から決めて生きてる事がある…それは…


『「誰かの為」だけにしか頑張れないなら頑張らない』だった。


 ヲタク趣味のせいというのも大きくあったけど結局あったのは「他人を理由に頑張れてもその人が居なくなった途端に揺らいでしまうなら初めから」という悲しいが自省しての結論だったと思う。


『まずは「自分の為」に。それが「誰かの為になったならそれは良し」無ければ…』


 それはそのまま「誰も救えず」「誰も助けず」「誰も守れず」そんな自分が「自分だ!本性だ!正体だ!受け止めろ!受け止めて生きろ!」と自分に決めるような事だろうと思う、おかげで気楽に生きる事が出来る様になって今に至る訳だが…今年で46歳になる自分として「時々寂しい」と思う時がやって来る、特に寒くなって来ると。


『それを埋めるだけに相手を求めるのは相手に失礼だ』


 と言う気持ちから今のままの自分なのだが結局これも理由なのかもしれないと思えるようになってきた。


 結局自分は…『誰かに何かを出来ない』…言葉にするならそんな一言に愕然としたからなのかもしれないと思った。鬱病になった事も、自殺未遂した事も。


『自分のしたい事が誰かの為になった事が無い』


 実際はそんな事無いのかもしれない、だが思い返せば返すほどそんな自分しか無かったように思えて。それよりもしたい事があってもそれで誰かが喜んだ記憶が無い、そこまで頑張れなかったというのもあるかもしれないし若い頃の自分は自分でも翻弄される位に移り気だった記憶もある。


『したい事があるけど…そんな事よりもこっちを…』


 そんな言葉や感情にどれだけ振り回されて来ただろうか?そう思った時に思ってしまう…「結局自分がしたい事って何だったんだろう?」と。


 今の自分がその答えだと思ってはいるがそうなる為の日々が今までの全てだとしたら自分から見ても「おいおい」と思えてしまう事は確かだ。20年前に死ぬか社会生活が送れない程の廃人になってるかしてたのだから。


『自分に何も無い…本当に何も…あったとしても意欲も無い』


 そんな自分でも続けられる事がこうやって書き連ねる事だけで…実はこれ自体は昔から楽しかった。だが先に触れた事もあってやっと腰を据えてと言える状態になったのはここ数年…アラフォーになってから位だろう。


『花も実も価値も無い自分の中も…掘り進めばこんなに色んなものがある』


 それを楽しいと思える限りは続けようとは思うがそれが何時まで続くかは解らない。でも「これで一生を、道半ばで倒れ逝くも悪くない」と今は思っている。


『後20年位生きれたらいいかな』


 今の自分はそう思っている。こんな日々をそれ位過ごしてそのまま死んでいくのも良いと。ただ…そんな物でも誰かを喜ばせたり楽しませられるならそんな物としてそれを求める人に届いて欲しいと思っている。


 pixivで書いて、FANBOXで書いて、カクヨムで書いて…一旗一山と言う気持ちが無いわけでは無いがそれよりも先にあるのはそんな気持ちだ。


『誰かの為にもなれない、誰の為にもならない、自己中に生きる事しか出来ない自分』


 結婚して、子供作って、親に孫を…何て夢を…実は鬱病や自殺未遂になる前から「無理だな」と思っていた自分だったがそんな自分でも結局そんな自分になりたくなくて、でもそれにしかなれない事に絶望して、その理由が先に触れたあれらだったってだけで「案外、理由は自分が納得できる後付け」でしかないと今はと言うよりはここまで書き進めて思い始めてる自分がいる。

 別の道を通り、別の人生を送ったとしても同じような展開や…鬱病自殺未遂もあったかもしれないし、その時に死んで人生が終わっていたかもしれない。

 そうならなかった代償がこんなあれからの日々と今の自分だとするなら正直苦笑いしかない、ありがたいとは思うけど。だからこそ最初に触れた事故が発生してから20年が経とうとしてる今も心の中で思う。


『何で死のうとした奴が生きて、生きるべき人がこんなに死ぬんだろう』と。


 その時に死んだ人の代わりに自分がその時に死んでればと言う気持ちは正直あの時ほどでは無いが今もある。だが「だから今死ね」となったとしてもそれの何処に意味があるんだろう?20年の月日が巻き戻る訳ではないのだから。

 じゃあ「その人達の分もしっかりと生きて」という論点になったとしても自分の人生はあの時からこれからもとてもじゃ無いがそう言いきれるものではないだろうと思う。

『だから今死にたい、死にます』とだけは決して言わず思わないけど。

 自分が出来る事はそれでも生きて、生きてこれた日々をこれからも生きていく事だけしか出来ない。それが供養だ何だと言うと恩着せがましいけど結局はそれしか出来ないんだろうなって。


 高校だったか中学だったかで図書館で見つけた本の中の言葉を今も時々噛みしめている。


『死は道の先で待っている物ではない。後ろから絶えず追いかけてきて追い越されない様に走り続ける事が生きる事であり、死ぬ時は追い越された時』


 こんな言葉だと記憶している。あの時、あの時の自分は自分を追い越そうとした死神の肩を掴んで前に押し出そうとしたんだろうなと今でも思っている。

『もういい、もう終わりで良い、もう終わりたい』そんな気持ちで。

 でもそんな事は無かった。そうなって今もその言葉とその時を振り返ると思う。

『死神が「まだ死ぬな!生きろ!」と言った』と。


 でもそれは別に死神が殺す事を諦めた訳じゃ無い事も今も感じている。今は思う。


『死神は時に後ろから追いかけてきて、時に前から突っ込んできて、時に横からぶつかって来るものかもしれない』と。


 もし「いま自分の命を狙う死神が何処に居る?」と言われたら自分はこう答える。


『慎ましく三歩下がってついてきてるよ。何時でも狩れる絶好の距離と角度を維持して』と。


 ここまで書いて今更過ぎるかもしれないが先の事故、そしてその後とこれからもこんな不慮の人災とも言える事で多くの人がこれからも死んでいくのだろう。ご冥福をお祈りする事しか出来ない。


 そんな自分も何時かはそんな理由で死ぬ事だって可能性はあり続けるから、死ぬまで。


 コロナで死ぬ事は無かった…じゃあ南海トラフでは?フィリピン海沖の噴火か隕石落下では?日本を襲うという大津波では?世界的な予言の数々では?日月神事では?日本どころか全世界の人口が三分の一になるとしても?


 そんな諸々と一切関係なく、理由を聞けばあっけなくもつまらない理由である日突然死ぬ事だって言ってしまえは先の全て以上にあり続ける訳で。


「理由は?」と聞かれたら「生きてるから」としか言えない訳で。


 人から見て有意義であろうと無駄な浪費であろうと生きてる限りは生きるだけ。


『自分が望むタイミングで死ねた人がこの世界の人類の歴史の中でどれだけいるだろう?』


 だから我慢しろなんてのも言わない。それはそのまま鬱病患者に「鬱病は甘えだ!気合で治せ!」と言ってるような物でそれがどれだけ無理で無茶な事かももうだいぶわかって来てると思いたいから。


 最近献血を始めた理由も思えば「こんな自分でも誰かの為に」という気持ちからかもしれない、これからも自分なりにマイペースに生きて、探して、やっていくだけ。


 それが後20年続かないかもしれないし、それ以上続くかもしれないその日まで。


 キモヲタの、チー牛(食べれ無いんだけど)の端くれの厄年越えの、これを記した年に46歳になる相対的貧困層に片足突っ込んだフリーターの様な自分でも出来る事をこれからも探して。


『自分のしたい事をする、それが誰かの為になったらありがたい』


 この一念を胸に。


 2025年(令和7年)2月8日 記

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