大学時代の撮影バイトが黒歴史のその後の話。

逢坂 純(おうさかあつし)

20代、さまざまな仕事をやって。

大学を出てから、本当にさまざなな仕事を転々としました。

僕がやっていたのは、主にアルバイトでした。

コンビニエンスストアに勤めたり甘味処で接客をやったり、警備員をやったりお弁当屋さんをやったりビリヤード屋の店番をやったりと本当にさまざまな仕事をやってきました。

そのどれもが統合失調症による認知機能障害でうまく働くことができなくて、オープニングスタッフとしえて開店前から雇われたレンタルビデオ屋では、内装をスタッフらがやっていたのですが、その騒々しさから開店前に辞職するということもありました。

三十代になって、母親から「あんたは仕事ができないから家に居なさい」言われ、30代の全般から中盤までを家で引きこもる生活を送っていました。

それでも30代の後半になって、友人に「家にばかり引きこもってちゃいけない。作業所に行った方がいい」と何度も根気強く言われ、就労支援継続事業所に行くことになりました。

その作業所に通所した数年間は僕にとっても、よい学びとなりました。

そう言えば作業所ではこんなこともありました。

作業所の友人二人が利用者の人が昼食中でみんなのいる前で、大きな声で僕の悪口を言っているのです。

僕は中学の頃から中島みゆきさんの大ファンだったのですが、どうやら僕の悪口を言っている友人二人は僕が『中島みゆきのファンであること=性格が暗い』ということを大声で言っていたのでした。

僕はすぐさま、所長のところに行って二人が僕の悪口を言っていると報告しました。

すると所長は二人に直接「悪口を言うのをやめてくれ」と言うように言うのでした。

恐らくみんなの前で二人が僕の悪口を言うことで、僕の存在が皆の中で軽視されるのを危惧して所長はみんなの前で二人に自分で注意した方がいいと言ったのかも知れません。

それは二人の精神障がいは重くなく、直接言ってもトラブルにはならないだろうという所長の判断だったのかも知れません。

だからもしかしたら、二人の症状が重かったのなら職員さん同伴で相談室で話し合いを持っていたかも知れないので、僕のこの話は誰でもに共通して言える解決法だとは言えないかも知れません。

そんなこんなで僕は二人に直接、悪口を言うのをやめるように言いました。

すると一人の人は「ああ、すまんかったな」と素直に僕に対して謝辞の言葉を述べたのですが、もう一人の友人は「だってアツシさん、実際に暗いじゃん」と言ってプイと部屋を出ていきました。

二人に直接、自分の意思を伝えることによって、その二人との関係もその後、円滑になったのですが、複雑な人間関係をより良い人間関係にするのは難しいようで案外簡単なのかも知れないと思った出来事でした。

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大学時代の撮影バイトが黒歴史のその後の話。 逢坂 純(おうさかあつし) @ousaka0808

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