第3話 Infancy(幼年期)3


 子供たちの誰かが修道院を出るときは、必ずそれは夏至の日、太陽が正午、この修道院の門を真正面から照らす日であった。

 その日が来るまであと10日を残すこととなった日、修道院では去って行く者達への別れの会が行われた。

 会といっても、修道院の大人達は関わらずただ飲み物と幾ばくかの馳走を用意して、後は子供たちに任せるだけで、去る側も残る側も出席は自由である。ただ、その日は子供たちの外での作業は免除され、大人達がかわりに作業を行う決まりになっていた。

 Kは参加するかどうか、最後まで迷ったが、いったいドナルドが去り際に何を言うのか知りたくて参加することにした。その年の出席者はいつもよりかなり少なかった。Kのように直接被害にあったものは多くはなかったが、ドナルドの行為に反感を覚える子供たちは決して少なくなかったのだ。ドナルドと一緒に院を出る者の中には集まりが閑散としているのを寂しく感じる者もいたようで口数少なく別れの挨拶をしたが、当のドナルド自身は一向にそのことを気にする気配はなかった。

「ここは刑務所のようなところだ」

 集まっていたものたちの前でドナルドは嘲るような口調で「別れの言葉」を述べた。昔、刑務所という場所があった、という話はKも聞いたことがある。罪を犯した人間が入れられた場所は、自由を奪うことで罪を自覚させるばかりでなく、更なる罪を犯させないためにあったのだという。ならば、この場所こそ、ドナルドに相応しい場所なのではないかとKは思ったが、口にはしなかった。

「刑務所には囚人と、それを取り締まる看守というものがいた。俺は囚人にはなりたくなかった。だから看守となった」

 残される「囚人」を前にして、得意げに語るドナルドの言葉に眉を顰めたのはKばかりではなかったが、子供たちの多くは無表情でその言葉を聞いていた。

「どこに行くのか知らないが、ここよりずっと思い通りにできる場所に俺はいく」

 だが、その思いは叶うことは無かった。一人長口舌で「別れの言葉」を述べたドナルドには確かに別れが待っていた。

 夏至の朝、ざわめく廊下の音に目覚めたKが部屋の扉を開けると、子供たちの姿に混じって何人かの修道士がドナルドの部屋の前に集まっていた。修道士の口からは悼みの祈りが発せられ、その陰鬱な響きが清澄な朝を汚していた。

 どこかで見たことのある風景・・・そう、ユウが死んだときと同じ景色だった。だが、あの時湧いてきた切迫するような悲しみも後悔も何も湧いてこなかった。

 ドナルドは死んだ。なぜ、死んだのかは誰も知らない。ただ、出発するはずのその朝、ドナルドはベッドで冷たくなって横たわっていた。

 修道士たちはさして驚いた様子も悲しむ様子もなく、淡々とドナルドの遺体を検めていた。彼らの様子はまるで、その死があらかじめ決まっていたかのように機械的だった。ユウが死んだときも冷たい感じがしたが、比べてみればあの時彼らはもう少しざわつき、もう少し哀れみの表情を見せ、もう少し丁寧だった。

「このままにしてはおけない。地下の倉庫に運び入れる」

 修道士の一人がそういった。Kも手伝うように言われ、ベッドを抱える者に加わった。布を厚く掛けられ、ドナルドの遺体は覆い隠されていたが、運び出す時に遺体は右に左にと揺れ、そのたびに手にかかる重さが変わり、運んでいるのが死体なのだと実感させた。地下の冷え切った倉庫に遺体を下ろすと皆が布で覆い隠された遺体を囲んだ。その一番外側に、帯刀が項垂れているのをKは見た。あんな男でも、友人の死を悼んでいるのだ、Kはそう思った。

 たぶん、ドナルドの「思い通りにできる場所」に行くという思いは・・・もしそう言うものがあればの話だが、叶わずに、おそらくは真逆の場所に連れて行かれたに違いあるまい、そんな気がした。

 集まった小さな子供たちは息を呑むようにして眺めていたが、暫くしてやってきた院長が

「ここにいてはならぬ。さっさと他の者たちの見送りに出向け」

 厳かな声でそう命じると子供らは箒で掃かれたちりのように消えさった。だが、一緒に立ち去ろうとしたKだけは肩に手を当てられ、留まるように指示されその場に居残った。院長は子供たちが去ったのを確かめると、遺体の顔を覆い隠していた布を剥ぎ取った。そこには動かなくなったドナルドが別の存在として横たわっていた。唇は蒼く、死神に連れて行かれると知った時のような恐怖に満ちた目が見開いたままだった。

 たしかにそれは「別の存在」としかいいようがなかった。院長は慎重にその遺体を検分した。閉じた眼を開き、光を当て、心臓の鼓動の不在を確認し、額に掌を当てて熱を測った。そして

「死んでおる。確かに死んだと伝えよ」

 と言った。副院長が厳かな様子で遺体安置場となった倉庫から出て行った。一体、誰に伝えるのかKには分からなかったが、大人達は何でも無いことのようにその姿を見送っていた。そして遺体を残して皆、倉庫から出、倉庫の扉は閉ざされた。


 その昼、修道院を出ることになっていた十人の子供のうち、ドナルドを除いた九人は副院長に連れられて門を出て行き、子供たちはそれを見送った。本来なら院長が連れて出ていくのが恒例だったが、死者が出たために院長は残ることになった。

 見送りがどこか陰鬱なものになったのはドナルドが死んだからであろう。そしてその死を悲しむ者が少なかったからであろう。実際、死を嘆いるらしく見えたのは帯刀一人で、そんな帯刀を大人も子供たちもどこか、冷ややかに見ていた。卒園者を見送ると子供たちの幾人かはまた地下倉庫へと戻ってきた。死はそれほど珍しいものであった。


 だが、地下倉庫の扉は閉じられたままであった。院長と何人かの修道士たちは倉庫の扉の前で何かを語り合っていたが、子供たちの姿を見ると、院長は

「入ってはならぬ。部屋に戻れ」

 ときつい口調で叱りつけた。ただ、子供たちの中にKの姿を認めると、再び

「お前は残るのだ」

 とやはり叱りつけるような口調で留められた。Kは身体を硬直させた。なぜ、自分だけ、と思ったが黙っていた。

 去って行く子供たちの最後に蹌踉よろめくように歩く帯刀の姿があった。その顔は蒼白であったが、Kの視線に気づくと慌てて顔を隠すようにして小走りで消えていった。残ったのはKを含めて十人だったが、K以外は全てこの院でKたちを育て教えている修道士たちだった。院長は倉庫の扉を開けた。倉庫の中の冷気が流れ出し、Kは思わず震えた。

「埋葬せねばならぬ」

 院長は厳かな声を出した。

 Kを除く九人が頷き、Kもそれを見て和した。埋葬すべきなのは明らかだ。だがどこへ?

 Kがここに来てから死んだ人間はユウだけであった。ユウは白い衣に丁寧に包まれ、白木の棺に入れられ、沢山の香草と共にあのカンナの傍に掘った穴に葬られた。もしドナルドが同じ場所に埋められるとしたなら・・・ユウはどう思うだろうか?きっと怯えるに違いない、とKは案じた。

「いつでございましょう?」

 大人の一人が尋ねた。普段この院の日常を取り仕切っている「曽良」という名前の、歳が50ほどの男である。

「立つのは、4時」

 院長は厳かに言い放った。立つ?Kは院長を見たが、院長は厳かな表情を変えず、視線も動かさなかった。立つとは・・・いったいどこへ向かうのだろう。

「分かりました」

 曽良は答えた。

「衣装を整えておくように、お前は」

 院長はKの方に視線を動かした。Kに皆の視線が集まった。

「もちろん、初めてであろう。すぐに衣装を作れ」

「はい・・・」

 Kはやっとの思いで答えた。だが何をすれば良いのかさっぱり分らないで戸惑っていた。すると、曽良が

「私が手伝いましょう」

 と言うと、Kを見た。その視線は優しげであったが、どこか物問いたげなものでもあった。

 夏だというのに、倉庫を出るときは身体が冷え切っていた。倉庫はいつも涼しく、こんなことさえなければ涼むのに良い場所であったが、一人の男の遺体がまるで氷のように部屋の空気を冷たく重い物にしていた。

 曽良はKを引き連れ、院の一角に連れて行った。そこは普段、修道士たちが学びを行う場所で、その隅にある大きな机の上に曽良は白い布を広げた。尺でKの背と股下、胸と腹周りを図ると、曽良は白い布にチャコールで線を器用に引き、それにそって鋏を入れていった。その布を床に広げると、Kにその上に横たわるように言い、そして布を折り返し針でそこ、ここを止めると今度は縫い始めた。ものの三十分もしないうちに衣装はできあがった。

「これでよい。どうせ間に合わせの物だ」

 そう言うと、曽良は、最後に止めた細い布を切り、衣装を脱がせた。

「4時になる前にもう一度ここへおいで。止め布を付ける」

「はい」

 Kは素直に答えた。

「ところで・・・」

 曽良は鋏や針を元に戻しながら、Kに尋ねた。

「なんでしょうか?」

「ドナルドは・・・あの子を?」

「あの子?」

「うむ、冬に死んだユウだ」

「・・・」

 Kは曽良をまっすぐに見た。

「あの子が死んだのはドナルドのせいか?お前はそれを知っているのか」

「なぜ、そんなことを?」

「いや・・・」

 曽良はかぶりを振って話題を変えた。

「色々と他にも用意せねばならぬものがある。遠出だからな」

「どこに行くのですか?」

 Kは尋ねた。

「森の果て、山の麓だ」

「森の果て?」

「そうだ。森は山の麓まで続いている。そこまでは車で運ぶ」

 車、というのは手押しの車である。その山の麓までどれほど掛かるのであろうか?Kのそんな思いを悟ったのか、曽良は

「山の麓での泊まりになる。覚悟するが良い」

 と言って微笑んだ。

「だが、心配するほどのことではない。少し休め。話なら道中ですることもできよう。そこで話しづらければ、泊まりの地で話すこともできよう」

「わかりました」

 Kは答え、曽良と別れて部屋へ戻った。休めと言われても一向に気持ちは落ち着かずにいた。死人が出たので、いつもの日課は全て休みになり、昼時になると修道士たちは食堂に集められ、いつもの食事前の祈りに、死者への哀悼を加え、粗末な食事を共にした。Kは帯刀の様子が気になり、彼に視線を送ったが、帯刀はそれに気づいたのか、Kの視線から遁れるように顔を伏せ、黙々と食事をすると一番最初に食堂を出て行った。


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