第33話 解
今頃、全校生徒が体育館に集まって閉会式をしている頃だろう。
そんな中、俺と春人の二人だけが屋上にいる。
西から、風が強く吹いていた。
「どうして俺が、ここにいると思ったんだ?」
春人が何に勘付いてここまで来れたのか、動機が気になって聞いた。
案外素直に、春人は答える。
「水野に、あの日どうして屋上にいたのか聞いたよ。そしたら、駿矢に頼まれたからって教えてもらった」
春人は、怒っていることをわざと俺に伝えるように言った。
「それから、今日は駿矢を見かけなかった。昨日、駿矢と一緒に文化祭回る約束をしてた人たちなら見たけどな。駿矢抜きで、なんだか物足りなさそうにしてたよ」
足音を刻み立てながら、春人が近づく。
「確証はなかったけど、屋上にいる気がしたんだ」
近くで見ると、春人はしっかり俺を睨んでいた。
「なぁ、駿矢。お前さ、どれだけ人の気持ちを弄ぶつもりなんだ?」
「どうでもいいな。俺、死ぬし」
「だから死なせないって言ってるだろ」
春人は呆れたように溜め息を吐く。
「水野、本気でお前のこと好きだよ」
「だから?」
「この場所から引きずり下ろして、真っ先に水野に謝ってもらう」
「キモいな、お前」
春人は俺のことを、どうせ死ねない奴だと判断しているのかもしれない。
そんな風に思われているのが心外で、腹が立つ。
「俺のこと止めれるのかよ。ゆずのとき何も言えずに立ち去った、お前が?」
煽るようにそう言った。
俺も同じように、春人のことを怒らせたかった。
しかし、思惑通りにいかず、春人は冷静だった。
「そうだな。僕は臆病だから水野を置いて逃げた。でも、二度も逃げたりしない。むしろ、その経験があったから、ここで答えを出せる気がするよ」
春人の言葉に、俺は息を呑んだ。
答えが、見つかった?
思ったことが、そのまま口から零れる。
「死のうとする人間に、かけるべき言葉が?」
「ああ、そうだよ。僕なりの答えが出た」
俺を見据える春人の表情に、嘘は見当たらない。
俺は、そんなはずがないと思った。
あの無言の逃げは一種の正解だ。
死にたがっている人を前に、他人はどう対処しようもない。
人の意思を簡単に変えることなんてできはしない。
なぜなら、本当に大事な場面では、言葉なんて役立たずだから。
試すように、俺は口を開いた。
「じゃあ、今から俺を止めてみせろよ。正解が見つかったんだろ」
「……違う。駿矢、それは違う」
春人が虚しそうに、かぶりを振る。
「はっきり言うよ」
一瞬、答えが聞けると期待した。
そんな期待をした俺が馬鹿だった。
「正解は見つからなかった」
春人が目を離さずにそう言った。
こいつは、何を言ってるんだ?
訳が分からない。
「は? じゃあ、俺をどう止めるつもりだよ」
「駿矢のことは止める。だけど、僕の答えは正解じゃない。そして、その原因は理解した」
妙な言い方をされる。
原因?
呆気にとられた俺を前に、春人は続ける。
「正解が見つからない理由は、自殺を止めようとする自分を正当化したかったからだ。死のうとすることが間違っていて、逆に生かそうとすることが正しい。そんな固定概念を持っていたから、僕はダメだったんだ」
春人は、俺に向けてではなく、自分に言い聞かせるようにして言葉を紡いでいた。
「最初から正解なんてなかった。自殺を止める、その行為自体が間違ってた」
大きな声ではない。
それでも、はっきりと春人の言葉が聞こえた。
「自由を尊重される昨今、それでもなぜか、死のうとすることだけは否定される。必死に生きようとする姿勢には、みんなが応援をして後押しするのに、一方で死にたいと思うことは何一つ肯定されない。こんなの、あまりに理不尽だろ。『生きてることが素晴らしい』っていうのも、ただ一つの価値観でしかないのに。他はよくても、それだけは絶対的概念として押し付けられているんだから」
俺は、何も言い返すことができないでいた。
「初め、こんな自分の考え方を、僕は認めたくなかった。だけど、認めるしかないだろ。死にたいと思うことは何もおかしなことじゃないし、それは本人だけの責任じゃないんだから」
責任。
死にたいと思わせた、責任。
「今、駿矢が死のうとしていることも何一つ間違った行動じゃない。駿矢がそうしたいと思って起こしているなら、正しい行動なんだよ。逆に、僕がすることは間違っていて不正解な行動だった。それに、ようやく気がついた」
そこで、春人は一つ、大きく息を吸い込んだ。
来る。
根拠はなく、ただの直感。
だけど間違いない。
たった今から、俺は知る。
取り繕うことのない、春人の答えを。
覚悟を決めるように、自分の意思を貫こうとするように、春人は力強く宣言した。
「僕は間違っている。その上で、僕は何が何でも駿矢を止める。完全な僕のエゴで、駿矢を生かすよ」
その言葉に、俺は戸惑った。
ここまで死を肯定しておいて何を言い出すんだ、と思った。
ずっと閉じていた口を、久しぶりに開く。
「お前、無茶苦茶だな」
「分かってるよ。でも、無茶苦茶でいい。駿矢が死んだら僕が悲しいし、周りの人だって悲しむから。そんなあまりに身勝手で自分本位な理由で、今から駿矢を止める。僕が、ただ駿矢に生きていて欲しいから、止めるよ」
「…………なんだよ、それ」
ふざけている。
それは、許されてはいけない安易な解答だ。
俺だって、許されるのなら、そうしたよ。
いつまでもユリ姉を肯定したかった。
死のうとするユリ姉を本当なら肯定したかった。
そして俺は、面と向かって言ってやりたかった。
ユリ姉は何もおかしくない。
こんなにも生きづらくて苦しい世の中、死にたいと思う方が普通なんだよ。
だからユリ姉は悪くない。
死にたいと思わせた環境が、社会が、世界がおかしい。
そう伝えても、よかったんだ。
けれど同時に、絶対に死んでほしくもなかった。
矛盾していたから、どちらか一つを選ばなくてはいけないと俺は思っていた。
そうして結局、自分の気持ちを優先して、俺はユリ姉を否定した。
それなのに…………。
死にたい感情を肯定しておきながら、死のうとするのを阻むなんて、そんなのズルだろ。
煮え切らない俺に、春人がすかさず言い放つ。
「改めて言うよ。駿矢を無理矢理にでも、ここで死なせたりはしない」
それが春人の答えだった。
そして俺には、春人のような覚悟が足りていなかった。
正しさを捨ててまで、人の意思を阻む勇気がなかった。
一歩、後ずさる。
春人が逃さないように詰め寄る。
「来るんじゃねぇよ」
「嫌だ」
一歩下がり、一歩詰められる。
その繰り返しは、俺の背中が屋上の柵にぶつかるまで続いた。
ここまで来れば、俺の勝ちかと思っていた。
しかし、春人には一瞬の隙もなさそうに見えた。
少しでも俺が落ちる初動を見せれば、すぐにでも春人は止めにかかるだろう。
背筋がヒヤリとする。
俺は今、春人に
力で負けるはずがない。
絶対に振り払えるはずだ。
そうは思っていても、俺がここから落下できるビジョンが見えない。
春人から今まで感じたことのない凄みが放たれていた。
思わず、息を呑む。
こうなれば、一か八かで、落ちてみるか。
もし春人が飛びついて止めに来たら、蹴りでも食らわせればいい。
距離さえ生まれれば、あとはこっちのもんだ。
勝負は、一瞬で決まる。
柵に手をかけようとしたそのとき、遠くから声が響いた。
「飛び降りれるなら飛び降りなよ!」
突然の出来事に、俺も春人も驚いて声の出どころを見下ろす。
ここから落ちたときの落下地点に、クラスメイトの椎名梓桜が立っていた。
西高で最も人望が厚い生徒、椎名。
俺が今、最も嫌いな奴だ。
醸し出す雰囲気が、どこかユリ姉に似ていたから、嫌いだった。
俺は断じて認めたくなかったのだ。
ユリ姉は唯一無二の存在で、ただのクラスメイトでしかない奴と一緒になんてしたくなかった。
夏休み前、終業式の日を思い出す。
どうやら春人も、同じことを思っていたようだ。
どうしても認めたくなかったのに、それを言葉として形にされたあの日、俺は無意識で春人の頬に拳を出してしまった。
およそ二十メートル真下で、椎名が空に向けて両手を広げていた。
「飛び降りるなら、私が絶対に受け止めるから!」
「……はぁ?」
俺に抜かれるまで、ずっとトップの成績だったんだよな?
頭悪すぎだろ。
受け止められるはずがない。
ここ、四階建て校舎の屋上だぞ。
ありえない。
これは所詮、俺を動揺させるための罠だ。
そう、ただのハッタリ。
分かっている。
分かっているはずなのに。
これじゃ飛べない、と思った。
椎名に怪我はさせられない。
ユリ姉に似ているのならば、きっと俺みたいに憧れてしまう奴がいるんだろうし、結局人として理想的な人間なんだろう。
こんな世界、もうどうでもいいのに、俺はまだ、ユリ姉みたいな人が理不尽に傷を負う未来を望んでいなかった。
「お前、これ図ってやったのか?」
とりあえず春人に聞いてみたが、どうやら違ったようだ。
予定されていた計画などではなく、むしろ春人はこの異常事態に戸惑っている様子だった。
「梓桜っ、なんで? まだ閉会式のはずだし、どうして?」
俺は呆れた。
そして悲しくなった。
なんでこんな二人に、俺は止められたんだ?
段々と、疑心暗鬼になってくる。
俺は今日、本当に死ぬ気でいたのか?
俺の気持ちは、こんなにも軽いものだったのか?
俺の、ユリ姉に対する想いは…………
どれも、偽物だった?
「………………違う」
俺の罪は。
俺の絶望は。
俺の決意は。
どれも偽りなんかじゃない。
俺は、ちゃんと腹をくくっていた。
今日、ユリ姉と同じように、屋上から飛び降りて死ぬと決めていた。
そうだ。
もう、どうでもいいんだよ。
ユリ姉のいない世界なんて、意味がないから。
ユリ姉以外の人間、知ったことではないから。
俺は死ぬ
俺は死ぬんだ
俺は、死ななきゃ
ト゛オ゛オ゛オ゛ォ ォ ォ オ オ ォ ォ ン ッ!!!
次の瞬間、鼓膜を破るような轟く爆音と共に、地面が大きく揺れた。
吹いた熱風の先に、真っ赤な炎が揺れている。
爆炎が噴き上がり、目に映る景色が地獄絵図へと変化していく。
間もなくして、黒煙が空へと昇る。
「おいおい、マジかよ」
学校が、爆破した。
遠くから ジリリリリッ! と火災報知器のベル音が鳴っている。
視界がどんどんと、煙に覆われていく。
これは、千載一遇のチャンス。
奇跡が起きた、と俺は思った。
自死じゃなく事故死になるのかもしれないが、この際どうでもいい。
曇る視界の先で佇む春人に、俺は呟いた。
「これはもう、今日死ぬしかないみたいだな」
「何度でも言うけどさ、そうはさせないからな」
春人が、冷静にしているのが気に入らなかった。
「頼むからお前だけ逃げてくれよ、マジで」
「あのなぁ、駿矢……」
不服そうに、春人は顔を歪める。
それから右手を顎に当てると、考え悩む素振りを見せた。
下を向き、しばらくして答えが出たのだろう。
春人が、俺の目を見て質問した。
「なにがなんでも、ここから離れる気がないんだな?」
「ああ、ねぇよ」
即答すると、春人が右拳を振り上げた。
「悪いな、駿矢」
いつかの仕返しなのか、春人が俺の顔面を一発殴った。
その突飛な行動の意味を俺は理解できなかった。
「お前、何のつもりだよ」
「今から駿矢をボコボコにする」
「それで?」
「気を失わせてから、安全な位置まで運ぶ」
「……イカれてるよ、お前」
春人の目は本気だった。
拳を握りしめて間合いを詰めた春人に、俺は頭突きを食らわせた。
痛がる様子を見せずに、春人はまた立ち向かってくる。
「お前も大概、無茶するよな」
「駿矢と違って友達少ないから、一人でも減るのが惜しいんだよ」
加減もせずに殴っておいて、何が友達だよ。気持ち悪ぃ。
向かい合って、殺すつもりで拳を構えた。
火の粉が舞う中、二人で一心不乱に殴り合った。
蹴り、頭突きも互いに食らわせあった。
遠くから椎名の声がする。大きな声で叫んでいるが何を言ってるかは全然わからねぇ。
「………チッ」
すぐに叩きのめすことができると思っていたが、そうはいかなかった。
こいつ、こんな喧嘩強かったか?
火事場の馬鹿力って、マジであるんだな。
そういや春人とは小さい頃に喧嘩したことは多々あれど、殴り合いになることは一度もなかったな。
口喧嘩から本気の喧嘩に発展する前に、いつもユリ姉が仲裁に入って、気付けば三人で仲良く行動していた。
くっそ、懐かしいな………。
直後、脳を揺らす衝撃。
春人からの右ストレートが決まっていた。
やっべぇ、思い出に浸ってる場合じゃねぇや。
でも結局、一度思い出すとダメだった。いつも三人でいたから、春人を見ると勝手に頭に浮かんじまう。
ユリ姉の顔、声、そしてまた、顔。
もう一度、春人の右拳が向かってきた。
その攻撃をいなしてカウンターを狙うつもりだった。
しかし、そこで目があった。
こんなに真剣な春人を俺は見たことがなかった。
お前ってそんな奴だったっけ?
なに俺のことで本気になってんだよ。
俺はもう、そんな真剣になることなんて、できないのに。
幾つか同時に沸き起こった感情を処理できず、脳が一度、完全に停止した。
その一瞬で、俺は顔面に重い一撃を食らう。
なんなんだよ、これ。
マジで、やってらんねぇよ。
頼むから、俺を死なせてくれ
そこで意識がぶっ飛んだ。
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