第28話 けじめ
文化祭2日目の朝、まずは自分のクラスの教室に向かった。
今日の午前中、僕にはお化けになりきって客を恐怖に
その仮装の準備もあるため、早めに学校へ来ておいた。
教室へ向かう道中に、げっそりと疲弊した
もう、限界じゃないか。
「いい加減、無理するなよ」
「……春人くんだ、おはよう。私なら大丈夫だよ」
「過去一で大丈夫じゃなさそうに見えるけどな」
全然、平気じゃないくせに。
意地でも大丈夫と言う梓桜に少し苛つきながら、僕は聞いた。
「文化祭は楽しめてるか?」
「うん。みんな楽しそうだよ」
「みんなじゃなくて、梓桜が楽しいかを聞いてるんだけど」
「私は、えっと、たの……しめてるんじゃないかな、多分」
なんだそれ。
そんなの、どう考えても間違っている。
「もういいよ、無理矢理にでも保健室連れて行くから」
「待って」
待たない。
梓桜の腕を掴んで、このまま一直線に保健室まで拉致しようとしたそのとき、後ろから誰かとぶつかった。
謝罪を述べるために振り向くと、見知った顔がいた。
「あれ、三島先輩? それに、梓桜先輩も」
水野はなぜか、暗い面持ちをしている。
今日はバンド披露する日のはずなのに、落ち込んでいるような様子だった。
何でどいつもこいつも、せっかくの文化祭なのにそんな顔してるんだよ。
「ゆずちゃん、どうかしたの?」
水野の様子を察知した梓桜が配慮を示すような言葉をかけた。
自分だって辛いのに無理して先輩面してんなよ、と思う。
自身が苦しいときでも人に優しくできるのは、美点だなんて僕は思わない。悪くはないんだけど、感情や苦痛を押し殺してまで他人を気遣うのは、なんか違う。
とはいえ、そんなことをわざわざ後輩の前で説教する気にはなれなかった。
梓桜の問いかけを受け、沈んだ表情の水野が自分の身に起きたアクシデントを打ち明けた。
「実は、その」
どうやら水野のバンドのボーカルが今朝になって発熱してしまい参加できなくなったそうだ。
元々2曲披露する予定だったらしく、なんとか1曲目の方は別のバンドのボーカルが歌ってくれることになったらしい。
しかしながら
「2曲目は、曲が曲なだけに、どこのボーカルにも断られてしまって」
「何を歌うつもりだったんだよ」
思わず、聞いてしまった。
そして水野の口から語られた曲名には覚えがあった。
原曲を聞いたことはないが、人が歌っているのを耳にした経験がある。
「よく許可おりたな、それ」
「ベースの子が絶対にこの曲やりたいって、運営にお願いしまくったらなんとか…………って、三島先輩この曲知ってるんですか!?」
水野は驚くと同時に、その瞳に希望を宿らせた。
もし良ければ歌ってくれませんか?
そんな願望が見えた。
「あの、もし良かったら」
「無理だよ。何回か聞いたことあるだけだし、仮に歌えても人前では絶対に歌いたくない」
「そ、そうですよね。すみません。藁にも縋る思いでいたので、歌ってくれる人がいたらいいなって、期待しちゃいました。ほんと、すみません」
残念そうに笑みを浮かべる水野の目からは希望が薄れ、諦めの色に染まった。
けれど、仕方がない。
人生こういうこともある。
慰めの台詞を考えていると、水野が深々と頭を下げた。
そんなマジに謝るなよ、と思ったが違ったみたいだ。
「三島先輩、めっちゃ楽しみにしてくれてたのに、すみません」
「あっ、あー、そういうことか。でも、1曲はできるんだろ。ちゃんと観に行くから」
そうだった。
数日前、水野に生きていてほしくて、僕がそう伝えたんだった。
期待の言葉をかけた責任が僕にはある。そうであるにも関わらず、水野を察してあげられなかったのは我ながら酷い先輩だと思った。
そうして水野が「はい、ちゃんと来てくださいね」と言ったタイミング。
予期していないことが起きた。
梓桜が、控え目に手を上げた。
「……私、歌えるよ」
一瞬、僕も水野も呆気にとられた。
まず返事をしたのは、水野だった。
「えっ、本当ですか!? 梓桜先輩なら歌も上手いし」
「水野!」
叱りつけるように僕は水野を制止させた。
もう、梓桜は限界なのに……。
これ以上、梓桜に頼み事を増やさせる訳にはいかない。
「……ど、どうしたんですか?」
「ごめん。一回、梓桜と二人で話をさせて欲しい」
やや怯える水野を横目に、僕は梓桜の手を引っ張ってその場を離れた。
周囲を見渡して、誰にも聞かれないと判断したところで、僕は梓桜と向き合った。
「梓桜、考え直せ。ああいう曲を歌ったときにどうなるかを考えろ」
水野たちのバンドが2曲目に歌おうとしている曲は、梓桜がカラオケで歌っていたものだった。
僕といるときにだけ歌い、他の人の前では抑えて歌うことのない曲。
つまりは、これまで梓桜が築き上げてきた期待が損なわれてしまう可能性のある曲。
それを、梓桜はステージ上で歌おうとしている。
多分、今の梓桜は正常じゃない。
疲れているから、投げやりになっている。
訴えかける僕に、梓桜は同じく訴えかけるような目で見つめた。
「大丈夫、ちゃんと分かってるよ。でも、やらなくちゃ」
「水野の期待に応えるためか?」
「違うよ」
「じゃあ何だよ」
「…………息抜き」
少し照れくさそうに、梓桜は微笑んだ。
理解が、できない。
僕は「はぁ?」と不可解な感情を口から漏らす。
「って、いうのも、あるし」
困惑する僕に構うことなく、梓桜が続ける。
「文化祭、みんなが一生懸命になって、
「……この間、似たようなことをカラオケのときにも聞いたな」
「あれ、そうだったっけ?」
誤魔化すように、梓桜が微笑む。
「それとね、私、気付いたんだよ」
「……何に?」
「今まで抑え込んでる私が悪いって思いながらも、心のどこかでは、期待してくる人たちのせいにもしてたんだ」
「それは、仕方ないだろ」
両親の葬式で、そういう生き方を植え付けられてしまったのだから。
それでも梓桜は、首を横に振る。
「でもやっぱり、そうじゃない。断れず、曝け出せない私に、ちゃんと責任があった。だからいつまでも、こんな我慢し続けた状態でいられないの」
「…………」
「なんていうかね、けじめってやつを付けなきゃいけないと思うんだ」
僕は、呆然としてしまった。
何も言い返すことができない。
また、僕の悪いところが出たからだ。
勝手に決めつけて、梓桜のためにと良かれと思って、足を引っ張っていた。
この文化祭に取り組む期間の中で、梓桜は己と戦っていた。
無理はしつつも、どこかで自分の内側を見せるタイミングを窺っていたのかもしれない。
心境の変化や葛藤を繰り返し、その上で「歌う」と覚悟を決めて、とうとう手を上げたのだろう。
なら、僕に止める権利なんてあるはずがない。
また自分自身が情けなくなり、僕は下を俯いた。
そんな僕をフォローするように、梓桜が声をかける。
「でも、やっぱり怖い。期待を裏切るんじゃないかなって思うと、手足が震える」
俯く僕を、梓桜は下から覗き込む。
「だから春人くん、期待して。私に、期待してよ」
梓桜の言う意味が理解できなかった。
「何言ってんだよ。僕は期待なんか」
「期待してよ。私は、大勢の誰かより、春人くんからの期待を一番に裏切りたくないんだ」
胸の奥が、締め付けられる。
そんな気がした。
「だから、お願い」
梓桜が両の手のひらを合わせて言った。
そんなことを言われても困る、と思った。
僕は取り繕わないから。
そのためには本心を言うしかない。
そして今この胸に抱えている気持ちは、梓桜に無理をして欲しくない、だけのはずだった。
だけど、それと同じくらい、梓桜の背中を押してやりたいという強い想いがあった。
どちらともに、紛れもない本心だ。
「梓桜、その……」
「うん」
こんな葛藤を、梓桜も乗り越えていたのかもしれない。
「梓桜が、みんなの度肝をブチ抜く瞬間を、僕は見たい……。そう期待しても、いいと思うか?」
「……うん、いいよ。任せてよ」
もう、あとには戻れない。
校内放送から、文化祭2日目の開始が宣言された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます