第13話 夢




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 一面真っ白な部屋に、僕は一人ぽつんと立っていた。


 生活感がまるでない、なんてレベルではない。

 窓があって、そこから差し込む光、それだけだ。


 空気は温かいのに、どうしても現実味が薄く感じられる。


 一体ここはどこなんだろう、そう思ったとき目の前にいきなり一人の女性が現れた。


 そうか、なるほど。これは夢か。



「久しぶりだね」



 にこりと笑い、それに連動するように長い黒髪がふわりと舞った。


 骨じゃない。ちゃんと人の姿をした百合恵さん。


 久しく聞いていないその朗らかな声に、やけに目頭が熱くなった。



「なんで、死んじゃったんですか?」



 これ以上ない最低な挨拶だと思った。


 でも夢なんていつ覚めるか分からない。

 今は感傷に浸っている場合ではない。

 聞いておきたいことは一秒でも早く問いたださなくてはならない。



「会ったら何て言われるかなって思ってたけど、それはちょっと予想できなかったなぁ」



 眉をハの字にして、困ったような顔をさせてしまった。それでも、僕はもっと困らせるような言葉で追随する。



「誰が、百合恵さんを苦しめていたんですか?」



 夢だから何でも許される、なんてのは甘い考えだろうか。


 もし現実だったら、僕はこんな直球で無礼な質問を攻めたりしない。だけど百合恵さんはもういない。聞きたいことだって本当は聞けない。


 現実の百合恵さんが死んでしまった以上、夢の中の百合恵さんにすがる他なかった。


 なんだか、無性に虚しくて仕方がない。


 百合恵さんは顔を曇せて、自戒するように言った。



「……ごめんね。全部、私が悪いの」


「そんなことは絶対にないです」



 亡くなった百合恵さんが悪いなんて、あってはならない。


 例えどれだけ百合恵さんが自分を責めようが、僕がその自責を肯定することは一生ないだろう。


 自殺は自分を殺すと書くが、結局は何かに殺されたのと同義だ。


 社会的要因や環境的要因によって心を殺されて、そして最後には自分の感情に押し潰されていく。


 百合恵さんが一体何をきっかけにして死を選んだのか、僕は知らなければいけない。


 しばらくして、百合恵さんが真っすぐに僕を見つめた。



「……うん、分かった。話してもいいよ。でもその前に、一つだけ質問していい?」



 速まる鼓動を落ち着かせるように、ゆっくりと僕は頷いた。



「春人くんは、私の気持ちを理解してくれる?」



 迷いや苦悩の入り混じった表情に、僕は何も言えなくなってしまった。


 それから、百合恵さんは申し訳なさそうに目線を斜め下へ降ろす。



「ごめんね。こんなこと聞かれても困るよね……。人と人は、心からわかりあえたりしないのに」



 そんな悲しい顔をする百合恵さんを僕は見たことがなかった。やはり、現実とは異なり、所詮は夢に過ぎないのかもしれない。


 それでも姿、声、話し方、目線の合わせ方、それらが生きていた頃の百合恵さんそっくりで、僕は複雑な気持ちになった。


 そして返すべき言葉を考えているとき、そういえば、と思い出す。


 百合恵さんの気持ちがわかるかどうか、みたいな質問を駿矢からもされていた。僕は無理だと思ったし、分かるはずがないと伝えた。


 しかし、こうして百合恵さんと対面している状況で、はっきりとそう伝えることは難しかった。


 それに無理だと思っているだけで、理解できないと完全に諦めた訳じゃない。



「……すべて理解は、できないと思います。でも、理解できるように、努力はします」



 これが精一杯の答えだった。


 そして、百合恵さんはその答えに満足したらしい。



「ありがとう……。春人くんは、ずっと優しいね」



 そう言って浮かべた笑顔が、少しずつ目に見えなくなっていく。


 どうやら窓から差し込んでいた光が、いつの間にか無くなっていたようだ。


 何も見えない暗い部屋の中に、百合恵さんの存在感はもうなかった。


 結局、なんで死んだか、教えてもらえなかったな。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


 

 目を覚ましたのは、まだ朝日が昇っていない時間だった。


 やっぱり夢じゃないか、と分かりきっていたことを自覚する。


 それから体を丸めるように膝を曲げて、布団の中でうずくまる。



 痛みが、止まらない。



 心の穴から血がドバドバと噴き出ているみたいだ。


 悶え苦しむ中で、脳裏に走馬灯がよぎる。


 次々に記憶が浮かび上がる中で、強くフラッシュバックしたのは駿矢の言葉だった。



『ユリ姉の死んだことについて、もっと考えるべきだと思ってる。俺も、お前も』



 …………痛い。


 けど、これでいいのかもしれない。


 この痛みと向き合う必要がある。

 いい加減、逃げちゃダメなんだ。


 僕の心に穴が空いたのは、百合恵さんが死んで悲しかったからだけじゃない。


 納得できなかったんだ。


 百合恵さんが死ぬ理由がわからなくて、そこに正当な理由が見当たらなくて耐えられなかった。



『私の気持ちを理解してくれる?』



 僕が百合恵さんの気持ちを分かるようになる日なんて到底来るとは思えないが、話を聞いて理解する努力はしたい。


 だけど、どうしよう。

 そもそもその話を聞くことができなかった。


 現実にいない人の話をどうすれば聞くことができるのだろう。


 百合恵さんの抱えていた気持ちを、一体誰なら分かることができるのだろう。



「…………死のうと、してる、人」



 百合恵さんは自殺だと、亜嘉都喜あかときは言っていた。


 なら、自殺をしようとする人間になら、分かるのかもしれない。


 ベッドで寝ていた体を無理矢理に起こす。

 机の上に置かれたスマートフォンの電源を起動させた。


 中学時代にインストールして、ずっと放置していたSNSアプリを開く。


 念のため新しいアカウントに作り変えて、次のような内容を投稿した。



『自殺しようと考えている人の声を集めてます』



 寝ぼけていた、では済まされないだろう。


 思い返せば頭のおかしいアカウントでしかない。


 けれど、このときの僕はなんとも思わなかった。


 百合恵さんの気持ちを知る一つのきっかけになるなら、それで良かった。









 

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